残照亭の日日

残り少ない日々、自分の日常や古い話などを時々書きます。
故「藤沢周平」のファン。思い出の作品などを書いてます。

2024-06-25 | 日記

会社員時代、上下ビシッと決めるスーツは「戦闘服」だった

ネクタイを締めるのは「気を引き締める」ほどの意味が有った

どんな苦境の時にも、平然としていた。(つもり)

が、いわゆる定年退職の日「明日からは、スーツもネクタイもしない」と決心

スタンドカラーのシャツ(Yシャツ代わり)を買い込み、ほぼそれで通した

5年ほどして、会社員時代のスーツとネクタイ(季節ごとに少し残したけど)を捨てた

気分は「戦線離脱」

上着(ジャケット)は数着残した

人と会う時や、所属団体の会議には、どうしても上着が必要だった

あれから、10年強上着は2枚だけ買った

ズボン(スラックスかパンツ)は、6本くらい買わざるを得なかった

理由は「腹」・・・履けないのだ。腹へっこめても入らない

その点、上着は何とかなる・・・

出来るだけ「物を増やさない」方針を今も守っている

お気に入りの値の張ったスーツを捨てたとき「鎧」を脱いだ気分だった

さて、もう少し残されている「生」を、何で楽しもうか

・・・考えてるだけで・・楽しみ

妻「部屋、掃除機かけたらどうよ」

ケッ、女はこれだから・・・「今やろうと思ってたんだ」


2024-06-24 | 日記

いつの間にか「夏至」を過ぎていたんだ

清少納言が「枕草子」で、四季のよさを書く中で

「夏は夜」が一番過ごしやすいと書いている

"月夜も闇夜も、蛍も・・・雨など降るもをかし"と

今では「梅雨の最中」で、蒸し暑い・・・、わしゃ俗人にすぎんな

夏至が過ぎると、暑さはいよいよこれからだというのに、天空では早くも

秋の準備というわけだ

人生も同じか

ピークが何時だったか思い至らぬが、もうとっくに下りきっている事だけは

分かっている

さて、人生の残っている時間は「晩秋」・・では贅沢か

いいとこ「冬の終わりころ」なのかナ

もう、世の為人の為でなく、自分だけで楽しみをして、終わろう・・と思う


2024-06-23 | 日記

20年ほど前にタクシー運転手に教えられた「中華そば店」

古い建物の小さなお店だったこともあり、いつも混んでいた

店主と奥さんと息子さん二人の、家族経営

麺は「手もみ縮れ麺」スープは「醤油系」

直ぐ近くに新しくお店を建て引っ越したのは、15年ほど前

メニューのどれもが「50円」の値上げになったが、いつも満席

それから3年して、ご主人が亡くなり息子が後を継いだ

今に至るも、行列は絶えず「スープ切れで終わりました」が常だ

有るとき、顔見知りになった奥さんが話してくれた

「夫が亡くなったときは、店が続けられるか、お客さんが来てくれるか心配だった」と

店の営業方針は亡くなった店主の言いつけを守っている、のだという

"品数は増やさない事。味は変えない事。営業時間を守ること"など、だと言う

引き継いだのは、頑なに守って来た方針なのだろう

いまも行列のできる"ラーメン屋"として、知る人の知る名店になっている


2024-06-22 | 日記

ある「浄土宗」のお寺で、ほぼ二タ月に一度「大切な人を想う法話会」が

行われる

住職とは、ひょんな事から(ボランティア活動)知り合いになり、15年ほど続いている

13年前の或る日「大切な人を亡くした方のご回向をしてあげたい」と言い出した

「震災・事故・病気・自死」などなど、身近な人を亡くし気落ちしてる方や

遠方のため、お墓参りもままならない方たち、気持ちに整理のつかない方たち、

などのお役立てば・・・と

そうして「宗派に関係なく、まったくの無料」で始まった

特段の広告も告知もないまま、口コミで広まり、ご遺族がご位牌を持って来たり

命日の日付を書いたメモをもって、集まるようになった

そうして、いつの間にか13年も続いている

「宗派に関係なく、まったくの無料」とは言いながら、ご回向は「浄土宗」に

則っり、お一人づつ丁寧に行われる

なかなか出来る事ではないな、と思いながら、私も早くに亡くなった父の位牌を

もって、参加させてもらっている

お寺の名前を「慈恩寺」という。小さなお寺だが住職はじめ集う人々は温かである

ちなみに、我が家は「曹洞宗」である


2024-06-21 | 日記

「友有遠方より来る」

遠方に居る知人とは、なかなか会えないものだが、近ごろは

ネットを使っての顔合わせなどが、頻繁のようだ

後期高齢者仲間でも「孫との会話を楽しんでいる」と話していた

しかし、孫・子ならまだしも、友人知人となると、そうまでの出会いは少ない

やはり、顔つき合わせて、口角泡を飛ばす・・会話を楽しみたい

時間のたつのを忘れ・・・

そんな楽しいひと時は、直ぐに終わってしまうのだが、顔合わせての対話は

手を振って別れた後の余韻もまた乙なものであろう

遠方の知人の幾人かに、懐かしさを覚える