大鳥居 ※【注1】
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2月中旬、東国三社参りをし、未投稿の鹿島神宮で「東国三社」は完了します(#^.^#)
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東国三社とは千葉県東北部から茨城県東南部にかけて、「東国三社」と呼ばれる神宮二社、神社一社
香取神宮(千葉県香取市)、鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)、息栖神社(茨城県神栖市)
これらの三社を参拝することを「東国三社参り」と呼ばれています
鹿島神宮は、日本建国・武道の神様である「武甕槌大神」を御祭神とする、神武天皇元年創建の由緒ある神社です
楼門
日本三大楼門の一つに数えられ、高さ約13m、重要文化財に指定されています
寛永11年(1634)、水戸徳川初代藩主の頼房卿により奉納されました
お手水舎
本殿
日本神話最強の武神、勝利の神様・タケミカヅチ神
日本神話最強の武神、勝利の神
雷神、航海を司る神、魔を退ける境の神
本殿・石の間・幣殿・拝殿の4棟からなる社殿は、元和5年(1619)、徳川2代将軍の秀忠公が寄進したもので
重要文化財に指定されています
祭頭祭の前日に「大豊竹」を建てて奉ります
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摂社 高房社
御祭神 建葉槌神(たけはづちのかみ)
古くから、まず当社を参拝してから本宮を参拝する習わしがあります
↓ 右側
仮殿
元和4年(1617)、社殿造営のため徳川2代将軍秀忠公が奉納しました
まずこの仮殿に神様をお遷ししてから、旧本殿を奥宮まで曳いていき、その跡地に新しい社殿を造営したのです
江戸時代は楼門を入った真正面にあり、その後2回の移動で現在の場所となりました
奥参道
奥参道に向かって300m程伸びる奥参道は鬱蒼とした巨木に覆われ、荘厳な雰囲気を醸し出しています
5月1日には流鏑馬神事が執り行われます
鹿園
鹿島神宮の御祭神をお遷しして奈良の春日大社を創建する際、鹿が運び手を担ったことから
鹿島神宮では鹿が神鹿として大切にされています
鹿の枝角が英語でアントラーで、鹿島アントラーズのチーム名の由来です
鎌足桜の標識
壮観な杉木立の突き当たりに、神々しい奥宮が見えます
摂社 奥宮
御祭神 武甕槌大神荒魂
右側 要石に向かいます
広大な樹叢
剣をもち大ナマズを抑えるタケミカヅチ神
塚原卜伝(BS時代劇撮影ロケ地)
森の奥深くの柔らかな光が差し込み、神聖な空気がながれています
☆地中深くまで埋まる「要石」が、地震を起こす鯰の頭を抑えていると古くから伝えられています
水戸の徳川光圀公がどこまで深く埋まっているか確かめようと7日7晩にわたって掘らせたものの
いつまで経っても辿り着くことができなかったばかりか、怪我人が続出したために掘ることを諦めた
という話が黄門仁徳録に記されています
要石(かなめいし)
鹿島神宮の要石は凹型で、香取神宮には凸型の要石があり、地中でつながっているとも言われています
鹿島の要石は大ナマズの頭、香取の要石は尾を押さえているとされます
「 要石」お参り後、奥宮の後ろから撮影
御手洗(みたらし)
1日に40万リットル以上の湧水があり、水底が一面見渡せるほど澄みわたった池です
昔は参拝する前にここで禊をしました
現在では、年始に200人もの人々が大寒禊を行います
鹿島神宮園地御手洗公園
池や遊歩道が整備された静かな公園、江戸時代までは御手洗涼泉寺がありました
御手洗の帰り、奥宮の門扉は閉まり静寂さを取り戻していました(16:00)
末社 熱田社
末社 稲荷社
御祭神 保食神(うけもちのかみ)
心願の剣
竹刀のような剣の形の絵馬?
御朱印
☆ 一之鳥居(西)近くまで行けなかった事が残念!北浦湖畔に立っているそうです
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※【注1】 大鳥居再建
東日本大震災により倒壊した御影石の鳥居に替わり、境内に自生する杉の巨木を用いた同寸法の鳥居が平成26年6月1日に再建されました
みたらし公園内 ↓
※【注2】祭頭祭 詳しくはコチラ