ウディ・アレン監督の映画、「ミッドナイト・イン・パリ」。ようやく観た。
監督の分身的な主人公、アメリカ人の脚本家ギルが、婚約者とその両親とともにパリでバカンスを過ごすうち、真夜中に突然、「古き良き時代」のパリへタイムスリップして…という作品である。
観ている我々も、ギルと一緒にパリを、そしてタイムスリップを経験するのだ。
まだ、911やシャルリ・エブドなどは起こっていないパリ。どこを歩いても魅力的なその風景にはやはり憧れるし、またセーヌ河畔をあてもなく歩いてみたいと思うが、
そんな中でもし訳がわからないまま、目の前にヘミングウェイやピカソ、ロートレックが現れたら⁇
映画を観ていると我々も彼らに出会うのである。あの、「昔の写真で見たことのあるパリのサロン」で、あるいは「マキシム」で、である!
にしても似てる。
…って、もちろんウディ・アレンだって彼らに会ったことはない訳だが、出てくる登場人物って、きっと実際こうだったんだろうなーと思える作り。
ダリとかピカソとか、そうだろうなー。今だから巨匠だけど(いや当時もか)、直接会ったら、何この人!??っていうヒトもいたのだろうなあ。と思える。
ラストは批評する人もいるようだけど、私はそんなに違和感を持たなかった。
ヒトは誰かと話して変わっていくのだ。思いのたけを、素直に誰かに話すことができたら、もうその人にとっての次の一歩が始まっている。
パリは、そこにいたいと思う人にとって、次の一歩を踏み出すための何かを与えてくれる街なのだろう。
この映画では、火事になっていないノートルダム寺院も見える。
非常事態で銃を持った軍人が目立ったり、道路で車が燃やされていたり、黄色いベストを着た人が多数集まっていたりするような、今、我々がしばしば目にするシーンは出てこない。
移りゆくパリの風景。この映画はいろいろな時点でその眺めをピン留めしてくれるような作品である。