今回はJR高崎線本庄駅周辺を散策撮影してみました。
簡単ながら、本庄宿として江戸時代中山道の大宿として
繁栄し、近代になっては養蚕が盛んになり養蚕の街として
知られるようになって、今日に至っている。
当時の写真は本庄市役所歴史民俗資料館で見ることが
できる。
(歴史民俗資料館)
元々は警察署で当時、用のある人は門前待合場で順番を待っていたとの
ことで待合場も残っている。
尚現在は資料館、また敷地には農具の展示物もあり実際に触れて体験す
ることができる。
では駅前北口に降り立つとそこは、コンビニ・セーブオンが一軒営業、目の
前には大きなマンションの光景からスタート。
もう一つ店舗があったような建物があったが既に退去した跡で
ネットなどで数年前の写真撮影後見るとかつては大手ドーナッ
ツチェーンが営業していたようだ。
一行は線路沿いに歩き町名銀座に歩を向ける、そこが栄えて
てた様で大正期には本庄電気軌道なる鉄道も線路に沿って
走り銀座辺りで国道に抜けていったそうだが詳細は不明。
※駅近くにあった煉瓦壁の家屋。今も現役。綺麗にされている。
途中、名車トヨペットクラウンを遠目に見つつ、長くやっていそ
うな中華屋を横目に歩くこと5分程度で交通量の多い道にぶ
つかる。右方向に進路をとるとだんだんと商家が並ぶ街並み
が広がってきた。
↑随分と年季の入った看板、もうやってないのかな?看板を
みると大正12年創業とある絹産業が盛んだったころになる。
(洋品店)
長らくやってた様子を色剥げた看板からうかがえる。
(旧本庄商業銀行レンガ倉庫)
明治29年築で担保とした繭の保管場所として最近までは約30年近く
洋菓子店が営まれていたらしい。その後市の所有物となって都内の
大学と保存活用を促そうとしているらしい。
(取り壊し中の蔵)
本庄が宿場町として栄えた頃に蔵は火災時の防火壁と
しての役割をもっていたそうで、幾度かの火災ににも
見舞われたことから近世建築物が少ないらしい。
この蔵がどの時代のものか?知ることもできぬが、
取り壊し中に目にしたのも何かの縁だろうか?
その縁とはまた別に話好きの地元商店主の話を聞く
機会があったが戦後~高度成長期頃は駅前はじめ
その周辺の空き地の多さが今は目立つ者の当時は
ほとんどなかったこと。銀座町がにぎやかだったこと
をうかがうことができた。
町も生き物で、時代とともに変わって行くのだろうが、
その変化の速さについていくことの大変さを思うとこ
ろがあった。
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