本日の真田丸
大谷刑部の最期が描かれました。「治部、楽しかったぞ」が最後の言葉。
頭に「?」が浮かびました。何が楽しかったのでしょう。ちょっと意味不明です。
昔のTBS「関ケ原」では、「三成、地獄で会おうぞ」
これは、忘れられないセリフです。豊臣を滅ぼした罪の意識、戦国武将として最後は地獄という自負、そんなものが感じられます。
三谷さんは当然見ているでしょうから、故意に「楽しかったぞ」に変えたわけです。
その意図が、私にはちょっとわかりませんでした。
「幸福な死だった」ぐらいの単純な理由なのかも知れません。
このドラマが異色な点は主人公が「修羅道」を歩かないことです。
父親の草刈さんさえ、修羅道色は薄いと思います。
「子連れ狼」なんかは「冥府魔道の道」を歩んでいました。
あの当時は、それがシリアスでカッコよかったのですが、これも時代の変化ということでしょう。
大谷刑部の最期が描かれました。「治部、楽しかったぞ」が最後の言葉。
頭に「?」が浮かびました。何が楽しかったのでしょう。ちょっと意味不明です。
昔のTBS「関ケ原」では、「三成、地獄で会おうぞ」
これは、忘れられないセリフです。豊臣を滅ぼした罪の意識、戦国武将として最後は地獄という自負、そんなものが感じられます。
三谷さんは当然見ているでしょうから、故意に「楽しかったぞ」に変えたわけです。
その意図が、私にはちょっとわかりませんでした。
「幸福な死だった」ぐらいの単純な理由なのかも知れません。
このドラマが異色な点は主人公が「修羅道」を歩かないことです。
父親の草刈さんさえ、修羅道色は薄いと思います。
「子連れ狼」なんかは「冥府魔道の道」を歩んでいました。
あの当時は、それがシリアスでカッコよかったのですが、これも時代の変化ということでしょう。