散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

真田丸 最終回 知っていることの不幸

2016年12月19日 | ドラマ
真田丸、面白いという方が多い。それはいいことなんでしょう。

私にとっては「素晴らしく面白く」はない。

すぐ頭に「うそばかり」という言葉が浮かんでしまうからです。

大坂の陣の部分は特にそうですね。「真田幸村が大阪の陣の大将のわけがない」。

そういう史実を知っていると、なんだか楽しめないのです。

幸村が妻子を伊達政宗に託した、政宗は幕府に内密でそれを引き受けた。嘘ばっかり。片倉小十郎の嫁が幸村の娘、は本当だけど、そのことに便乗して、嘘書きすぎ。

別に細部まで史実にこだわるつもりはなくても、あまりに露骨な嘘はなんだか白けてしまいます。

真田太平記やその他歴史本で、真田家の歴史はほぼ分かっています。

大坂の陣がどのように展開するかも知っています。

そういう風に歴史を知ってしまったうえで見ると、フィクションをフィクションとして楽しめない、そういう不幸な人間になってしまいます。

思えば、小学校の頃の大河が一番楽しかった気すらします。

織田信長がどんな人間かも知らなかった。

だから、毎週ワクワクして楽しめました。

へたに歴史を知ってしまうと、大河を楽しめないという不幸に見舞われる。寂しいかぎりです。

真田丸 最終回予想の当たりはずれ

2016年12月19日 | ドラマ
真田丸 最終回でした。

先週ぐらいに、私は最終回の予想を書きました。そのあたりはずれはこうです。

1、目指すは家康の首ひとつというセリフを言う。またはそれに近い事を言う。→当たって当然ですが、当たりです。ほぼ「そのまんま」言ってました。

2、家康を自殺寸前まで追いつめる。→追いつめていましたが、これも当たって当然です。お決まりですから。

3、茶々と秀頼が華々しく死ぬ→はずれ、です。死のシーンは描かれませんでした。

4、信之のその後に触れる。→微妙です。松代藩のその後に触れて、佐久間象山を輩出したとか言ってました。まるで松代藩が討幕を行ったかのようなこと言ってました。まあ嘘です。

4の「嘘です」をもうちょっと細かく書くと、
真田家は譜代並みであって、幕末の当主は「幕府老中」までつとめています。もともとは完全なる佐幕派です。が幕末になって「討幕」に転換。たしかに討幕派になりましたが、それは多くの藩がやったことと同じで、特記すべきものではありません。尾張徳川すら最後は官軍だったのです。

佐久間象山はなるほど多少活躍しましたが、すぐ暗殺されます。彼の時期はまだ討幕という考えは全く存在しませんし、彼は開国派かつ公武合体派でした。「討幕」という考えが具体的になっていくのは、彼の死後です。ただし、彼の影響を受けた人物が討幕で活躍するのは事実です。

佐久間象山などに「頼ることなく」、「信之が93歳まで現役で生きた」ことを強調すべきだったと思います。

さて、最終回、幸村は二度、家康を追いつめます。一回目はコントにように逃げたのに、二回目になると、急に幸村の短銃の前に自ら身をさらして、殺すなら殺せと言い放ちます。

わけわからない行動です。まあ「演出上の都合」なんでしょう。どうしても一対一のシーンが欲しかった。でもリアリティは全くなくなってしまいました。

ついでに書くと、幸村が妻子を伊達政宗に託した、なんて設定は「完全なる嘘」です。

茶々と秀頼の最後も描きませんでした。

何を描いたか、より「何を描かないのか、どうして描かないのか」が多少気になる作品です。ただし、草刈さんのファンなので、前半は見直すでしょうが、大坂の陣あたりの部分は見直す気はしないので、「気になる」といっても、深く考えようとは思いません。

幸村の最期ですが、これがなんのパクリかはすぐ分かりました。「翔ぶが如く」の西郷の自決シーンのパクリです。そっくりでした。

草刈さんを重用したこと、ジャニーズを起用しなかったこと。など功績はありますが、最後の方は、大坂の陣の描き方は「いただけない」感じの作品でした。

それでもジャニーズ大河よりはずっとましです。