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西郷どん 西郷隆盛の日本での評価について

2018年01月26日 | ドラマ
韓国に行った時、もう十年以上前ですが、秀吉と西郷が随分と悪人扱いされていました。むろん伊藤博文もです。

北朝鮮情勢とか、敏感な問題がある時に、「日本でも既にほとんど人気がない西郷」をあえて主人公にする必要はあるのかな、と思います。

昭和の40年代ぐらいまでは、西郷も秀吉も随分と人気がありました。が今は秀吉より織田信長、西郷より坂本竜馬というのが、日本の雰囲気です。

朝鮮政策との関連で、戦前戦中は「軍部によって」随分と秀吉と西郷は「実像以上に持ち上げられて」いました。その名残が昭和までは生きていましたが、今はそんなことはない。「西郷隆盛を尊敬しています」なんて小学生はほとんどいないでしょう。

西郷が「無私の人」であった。または無私の人を目指していた、ことは間違いありません。

明治維新に対しても、長州よりは劣りますが、貢献は大きくありました。

が、西郷自身には、近代国家の青写真はほとんどありませんでした。むしろ近代化を嫌っていたと言ってもいい。

彼が幕末期にとった行動の多くは、なくなった主君である「島津斉彬の遺志」に沿ったものでした。むろん軍隊の近代化ぐらいの見識はあったでしょうが、それによって武士の世が終わることに対しては、忸怩たる思いをもっていました。

彼は東洋的漢学の素養しかなく、しかも武士を愛していました。彼に近代的軍隊を動かす力はなく、彼の軍事権は、明治後すぐに、当然のこととして、近代軍隊の専門家である村田蔵六によって奪われます。

明治の世になった時、彼はつくづく自分が「既に無用の人間である」ことを悟ります。それも悟れず、明治の顕官として威張っていた人間より、そこは多少ましですね。ちなみに大久保は違います。大久保は明治になってむしろ彼の本領を発揮していきます。

で、朝鮮に行って死のうとするわけです。いわゆる征韓論です。朝鮮で西郷が死ねば、日本朝鮮の関係は限りなく悪化しますが、それによって「朝鮮にも維新が起きる」と西郷は思っていました。

近代化を嫌いながら、近代化の必要は当然わかっていました。しなければ、列強の植民地となる。

日本、中国、朝鮮が近代化して、東アジア全体で列強に立ち向かう。これが亡き君主島津斉彬のビジョンであり、西郷の行動はこの遺志にどこまでも沿ったものでした。西郷なりの殉死の姿が朝鮮で死ぬことだったでしょう。

あるいは、西南戦争すらそうかも知れません。西郷に対して「ひいきめ」でみるならば、「薩摩武士と共に滅んで武士の世を終わらせる」というビジョンであった可能性もあります。誰にも言わないから、資料なんてありませんが。

明治の高官たちには、西郷が薩摩武士とともに滅んでくれたことに、ひそやかな感謝があったかも知れません。日本最後の内戦を起こした人物の銅像が、上野に堂々と建っていることも、そう考えれば納得がいきます。