散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

これまで日本人は「現実のほう」を「憲法に合わせて」変えてきた。

2018年10月31日 | 政治
日本国憲法はアメリカのエリートが夢想した、アメリカ民主主義の「あるべき姿、理想」です。

それは本国のアメリカでは実現できないものだったし、今でも実現されていません。貧富の差は激しく、貧しいものは医者にかかることすらできません。

アメリカの夢、金もうけのアメリカンドリームではなく、民主主義のアメリカンドリーム。見果てぬ夢です。

むろん「日本の現実」とは少しも合っていませんでした。貧富の差は激しく、貧困ゆえの犯罪が多発していました。少年による殺人は、今とは比較にならないほど多かったのです。その大きな理由が貧困と無知でした。

そもそも日本国憲法は「日本の現実と合っていない」ものなのです。それは「理想」だからです。

だから、日本人は「現実のほう」を「憲法に合わせる努力」をしてきました。

「現実に合わないから憲法のほうを変える」なんて発想はなかったのです。現実の方を「理想に近づけよう」としてきたのです。

「現実に合わないから憲法を変えよう」

それは一見道理にあっているように見えます。

しかしそこには戦後史を考えようという思考が欠落しています。「日本憲法の理想主義的本質」が分かっていない人の考え方です。

「諸外国の英知と努力によって、平和を保つ」ことができない「現実」があるとすれば、まずはその世界の現実を変える努力をすべきです。

むろんそれは理想ですから実現はしないかもしれません。だから自衛隊はたぶん必要なのでしょう。

しかし「現実に合わないから憲法を変える」なんてことを「いちいちやっていたら」、日本は今よりとてつもなく悪い国になっていたはずです。

「現実に合わない」のは「もともとの憲法の姿」なのです。

昭和はいい時代だったなんてのは「大嘘」です。貧困と差別に満ちたひどい時代でした。憲法は全く現実とあっていませんでした。

合っていなかったから合わせようとして、日本人は現実のほうを変えてきたのです。その結果、貧困と差別は、まだあるにせよ、大きく改善しました。

平成の方が昭和の数倍「いい時代」なのです。それは「現実とあっていない理想主義的憲法」を「それでも変えない」という姿勢があって初めて実現したものです。

NHKは大河ドラマで足利義満を主役にする計画を持っているのだろうか。

2018年10月31日 | ドラマ
足利義満をTVドラマで演じた俳優はネットで調べる限り一人です。一休さんの東山紀之さん。ドラマではなく歴史番組の再現シーンで「誰も知らない役者さんが演じている場面」は除きます。

「ヒストリア」で足利義満を妙に「持ち上げて」いました。もしかすると大河の主役にする計画があるのかな、とふと感じました。

義満は皇位簒奪を目指していたと言われます。皇位とは天皇位ではなく「治天の君という立場」です。室町時代ですから「天皇号の簒奪」はありえません。天皇号は使われていないからです。平安から江戸にかけて900年ぐらい、天皇号は使用されていませんでした。

「そんなことはない、皇位簒奪なぞ考えていなかった」と「ヒストリア」に出てきた学者さん、呉座さん(著書、応仁の乱が意外に売れている)、は言っていました。

国王を名乗ったのは貿易における便宜的使用。国内に向けてはそのことを吹聴していない。息子を皇太子にしようとはしていない。親王待遇にしただけである。

という説だったと思います。

足利義満は、大河ドラマはおろか歴史TVドラマ(一休さんは除く)においても「一回も登場したことすらない」のです。金閣寺を作ったし、教科書にも重要人物として載っているにもかかわらず。

大河ドラマは皇族を主人公にしません。藤原氏等の「生粋の公家」も主人公にしません。平安時代をほとんど扱いません。室町時代もほとんど扱いません。

室町初期では大河「太平記」、足利尊氏が主人公。後醍醐天皇が副主人公格です。画期的な作品とも言えます。あと「花の乱」では日野富子が主人公。さらに画期的で純粋に室町時代を扱いました。いい作品です。室町時代を扱うと視聴率がとれないという説の根拠はこの「花の乱」14%という数字だけです。1作品のみが根拠です。しかもこれは「実にいい作品」です。「鎌倉から南北朝時代」を扱った「足利尊氏もの」、つまり「太平記」は26%と高い視聴率を誇っています。

平安時代は「風と雲と虹と」が平将門。「炎立つ」では奥州藤原家。大河が平安時代を扱ったのはこの2作品、それと「源義経」「新平家物語」「義経」「草燃える」「平清盛」を加えて計7作品です。しかし「義経もの」「草燃える」は「鎌倉時代が主」、「清盛もの2作品」も「炎立つ」も平安最末期。純粋に平安時代を扱ったのは「風と雲と虹と」だけといえましょう。

ということで「源平時代を除く平安時代は扱わない」「室町時代も基本扱わない」(戦国時代は扱う)が大河の「やり方」です。

まあ足利義満大河主人公の実現は遠いかも知れません。皇位への「そんたく」もありますが、「義満以外の登場人物が全く知らない人物となる」こともそう考える要因です。「花の乱」もそうでした。富子、義政、山名宗全、細川勝元、一休宗純ぐらいが「有名人」であったにすぎず、そのせいもあって「いい作品」なのに14%です。

そもそも「足利義満は、一休さんで1回しかTVドラマに登場したことがない。当然主人公になったこともない。」「大河では1秒も登場したことがない」わけで「ご存知の名シーン」も全く存在しません。「太平記」の最終回に「やがて三代義満で南北朝が統一された」とナレーションが流れます。「よしみつ」という名が登場したのもおそらくこの1回だけです。とにかく「意地でも登場させない」がTV界の「やり方」みたいです。

足利尊氏、義詮、義満の「足利三代」を描けば、当然鎌倉幕府の滅亡、南北朝分裂、その統一、国王問題、皇位簒奪説の真偽も扱われるわけです。これほど勉強になる作品はないと思えるだけに残念です。

なお「ドラマはフィクションだから勉強にならない」は少し違うと思います。「ドラマを見て、史実との違いを調べる」「調べなくても誰かが調べてネットに書く」から、当然「勉強になる」のです。



「花神」ファンからみた「西郷どん」と大村益次郎

2018年10月31日 | ドラマ
小説「花神」の主人公は村田蔵六(大村益次郎)です。大河ドラマでは村田蔵六(大村益次郎)、吉田松陰、高杉晋作です。

「一人の男がいる。歴史が彼を必要とした時、忽然として現われ、その使命が終ると、大急ぎで去った。もし維新というものが正義であるとすれば、彼の役目は、津々浦々の枯れ木にその花を咲かせてまわる事であった。中国では花咲爺いの事を花神という。彼は、花神の仕事を背負ったのかもしれない。彼―村田蔵六。後の大村益次郎である」

実におかしな話ですが、この一文をみただけでなんだか「時々泣きそうに」なります。それほど「花神」における村田蔵六(大村益次郎)は魅力的な男です。

そういう村田ファンから「西郷どん」の村田蔵六(大村益次郎)の描き方をみてみます。

「いやいや違うだろ。違い過ぎるだろ。」という点がいくつもあります。「違う」というのは「史実と違う」ではありません。

あくまで「私のイメージとは違う」ということです。「史実はこうなんだ」という解説ではありません。

以下いくつか並べてみます。

1、北越戦争に参加しろなんて村田蔵六(大村益次郎)は西郷に言ってはいない。

むしろ「行く必要はない」と言ったのです。そのことが後に村田の命を奪う結果となります。薩摩の海江田のはなった刺客によって暗殺されるのです。
薩摩は村田が戊辰戦争の総司令官として忽然とあらわれたことに憤慨していました。
しかし西郷に「近代戦争の知識」なんてありません。西郷は近代戦の戦略にも戦術にも「うとい」人でした。ただ「人望」は大きく、また「現場指揮官」ぐらいの能力はありました。
西郷は村田の出現によって「自分の歴史的使命は終わった」ことを悟ります。たぶん「北越戦争で死のう」と思ったのです。もともと斉彬の死に際し殉死を考え、その後実際に自殺も図った人間です。

村田はそれを止めました。「アンタが新潟につく頃には戦争は終わっている」という理由でした。実際ほぼ終わっていました。西郷は戊辰戦争を転戦し、歴史的役割を終え、薩摩に引きこもります。
ただ実際には「歴史的使命」は終わってはいませんでした。廃藩置県もそうですが、最後の大仕事、「西南戦争で薩摩武士とともに死に、武士の時代を完全に終わらせる」という使命は残っていました。

戦略において無能な西郷から軍権を奪うことは村田の立場であり、基本的には対立的関係でした。「北越戦争は勝てそうにないから、ぜひ西郷さんに薩摩兵をひきいて参加してほしい」、そんなこと言うわけありません。
もっとも「江戸から西郷を追い出す」という戦略に立ったなら、あるいはその意味で「言った」可能性は残ります。

2、上野戦争の黒門攻撃の指令をなぜ描かない。

これは「翔ぶが如く」の描き方から得た「イメージ」です。
上野戦争において薩摩は最も過酷な黒門の正面攻撃を命令されます。西郷は言います。「大村さーは薩摩人を皆殺しにするつもりか」

村田は平然と答えます。「花神」では「然り」とのみ答えたことになっています。ドラマでは違います。「長州は強いが、薩摩はさらに強い。もっとも強い兵に主戦場に出ていただきたい」

西郷は答えます。「わかりもした。光栄のかぎりでごわす。この西郷も前線に立ち、そこで死にもんそ(死にましょう)」

実にいいシーンです。なぜ「描かない」のか。1分で描けるシーンなのだから入れてほしかったと思います。

にもかかわらず「西郷どん」における西郷は、上野戦争の1分ぐらいのシーンにおいて、相変わらずのアホみたいな平和主義者であり、(平和主義は現代においては最も大切ですが、これは歴史ドラマのシーンですから現代の価値観に寄り添う必要はないのです)、「いつまでこの戦争が続くのだ」とか嘆いています。数話前までは「いくさの鬼」だったはずなのに、しらっとまた平和主義者に戻っています。「平和主義者だがそれを抑えて、泣く泣く戦の鬼になっていたのだ」ということでしょうが、それすら深く描いていないので、ご都合でキャラが変わっているとしか見えません。「大河ドラマにおける、つまり歴史ドラマにおける、特に意味もない平和主義の強調」は一体誰に対するアピールなのか。女性なのか、諸外国なのか。「歴史ドラマが現代的価値観に寄り添う必要はない」というのは小学生にも分かる道理だし、小学生だって「ドラマと現実の区別ぐらいつく」と思います。


3、これは描かなくて当然だが、村田は薩摩をこう見ていた。

維新が終わったが、やがて九州から足利尊氏がごときものが出てくる。東北は心配ない。九州に備えよ。足利尊氏は人望があった。西郷さんにも人望がありますな。

村田はそうみていました。ほどなく暗殺されますが、弟子の山田(日大の創設者)に、九州に備えて関西の兵器庫に銃を補強するよう指示して死にます。実際西南戦争ではその武器が使われました。

またこうも村田は考えていました。

長州は対外国戦争、対幕府戦争、倒幕戦争、戊辰戦争を経験した。それにより長州の持つ「エネルギー」はすでに枯れ果て、今は平安を望んでいる。
しかし薩摩は倒幕段階から戦争に参加した。しかも戊辰戦争が比較的短い期間で終了した。薩摩のエネルギーはまだまだ枯れはててなどいない。集団のもつ巨大なエネルギーはやがて行き場を失い、新政府に向かってそのエネルギーを向けざる得なくなるだろう。

「3」は蛇足ですが、村田は薩摩を警戒していました。ドラマ「西郷どん」のこぶ平ちゃんのような人物とは「全く違う」と私は思っています。





沢田研二とジュリー  誰のコンサートなら1万円を払うか 問わず語り

2018年10月31日 | ドラマ
沢田研二のコンサートは8千円のようです。それで7000名も集まる。「岩盤層的ファン」ですね。70歳。驚きです。彼がジュリーなのは当然覚えてますが、俳優の岸部一徳はリーダーで「サリー」だったようです。「サリーかよ!」ってつっこみを入れたくなります。

私が誰のコンサートなら「1万円を払うのか」

そんなことに興味を持っている方は、世界の75憶人のホモサピエンスのなかで「2名いるかいないか」だと思います。だから「問わず語り」と書きました。

高校ぐらいまでは、吉田拓郎、井上陽水、ユーミンを聴いていた。さだまさしは軟弱と思っていたが嫌いではなかった。そこに彗星のごとくサザンが現れた。さらに久保田早紀さん。松原みきさん。渡辺真知子さんが現れた。

そんな世代です。実際にはコンサートにいく習性は全くありません。

拓郎が初期のアルバム(明日に向かって走れ、までのアルバム)の歌だけ歌ってくれるなら、ギリで1万円は払います。

陽水さんの1980年までのアルバムの歌なら、やはり1万円は払います。

ユーミンが「ひこうき雲」から「オリーブ」ぐらいまでの曲を歌ってくれるなら2万は払います。

小田和正さんがオフコースの歌だけ歌ってくれるなら、やはり2万は払います。

松原みきさんは故人です。だからお金の話はしません。

久保田早紀さん、つまり久米小百合さんが「夢がたり」「天界」「サウダーデ」の歌を歌ってくれるなら3万は払います。メイクはなるべく久保田早紀風にしてほしいとは思います。

サザンのコンサートには行きません。80年代までの歌なら3万でも4万でも払いますが、「行きません」。「心が躍動しすぎて倒れる危険」があるからです。

最近の、僕にとって「最近の歌手」なら、中島美嘉さんに5千円。鬼束ちひろさんが初期の歌を歌ってくれるなら6千円は払います。

番外編としてサブちゃんが「まつり」「北の漁場」、細川たかしが「望郷じょんがら」、吉幾三が「雪国」「オラ東京さ行くだ」、新沼謙治が「津軽恋女」、石川さゆりが「天城越え」を歌う「合同コンサート」なら千五百円までは払います。

アイドルのコンサートには行きません。松田聖子に3千円とか思ってますが、「熱烈的岩盤層ファン」に殺されそうな気がします。実際は1万ちょっとみたいです。

ちなみに日本で「今も歌っている一番古いアイドル女性歌手」をご存知でしょうか。「女性アイドル歌手限定」です。天地真理さんは現役ではないので除外。小柳ルミ子さんはアイドル扱いではなかったので除外。南沙織さんは現役ではないので除外。

とするならアグネス・チャンさんと麻丘めぐみさんです。麻丘めぐみさんはたぶん歌ってはいないので、つまり正解は1972年デビューの「アグネス・チャン」さんということになります。ヒット曲沢山ありますが、今は歌われていないようです。「ひなげしの花」だけではないのです。「草原の輝き」「ポケットいっぱいの秘密」「星に願いを」など色々あるのです。「草原の輝き」以外は「最初にサビが来る」ことが特徴でした。小学生の私は彼女のファンで、部屋に写真を沢山貼っていました。今も現役であることを考えると、われながら先見の明?があった気もします(笑)

その次の年ぐらいに浅田美代子さん、山口百恵さん、桜田淳子さん、キャンデーズがデビューします。キャンディーズは当初は売れませんでした。「8時だよ全員集合」で体操コントをしたりしていました。

さらにちなみに日本最初の「女性アイドル」は誰か。岡崎友紀さんか天地真理さんかが微妙ですが、アイドルとしての「強烈な爆発力」を考えると天地真理さんです。岡崎友紀さんは歌より女優として活躍しました。「アイドル歌手」ではなかったと思います。天地真理さんは1週間通してTVに出ない日はなかったですし、冠番組も沢山持ってました。強烈な爆発力でした。吉田拓郎最大のヒット曲「旅の宿」が天地真理さんの曲にはばまれて、なかなかオリコン1位になれず、悔しい思いをしたので「天地真理さんの凄さ」はよく覚えています。

男性だと初代ジャニーズのデビューは1962年のようです。そしてザタイガース、つまりジュリーのデビューは1966年です。

誰も興味をもたない話をかいて申し訳ありません。