散文的で抒情的な、わたくしの意見

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血統主義の陥穽と「ボイス2」

2019年09月24日 | ボイス
韓国ドラマ「ボイス2」は、なんとも嫌な終わり方をします。「ボイス1」は非常によい終わり方をするのに。

ボイス1では、チャンヒョクもイハナも肉親を死を乗り越え「前を向く」と言って終わります。チャンヒョクは死んだ妻にこう言います。「いつまでお前を放してやれずに済まなかった」。死を乗り越えられないことを、放してやれなかったと表現するわけです。実にいいセリフだと思います。

ところが、ボイス2になると、刑事役が変わり、その刑事そのものがサイコパスの遺伝子を持っていると設定されます。したがってボイス2は刑事の破滅を予感させて終わり、ボイス3では実際に破滅めいた方向に進むようです。

「サイコパスの遺伝子を持っている」という設定は良くありません。人間がある程度遺伝子で決定するのは真実でしょうが、性格や社会性は主に後天的要素が強い。性格が親に似るのは親が育てるからで、他人が育てたらきっとその他人に似ると思います。

血統主義、、、だと思います。法律用語として血統主義とは違いますけれども。

たとえば「日本人」をDNA的に規定することは「ほぼ不可能」です。日本人は様々なアジアの遺伝子を持った集団だからです。

しかしそこに幻想が入るとろくなことにはなりません。日本では血統はあまり言われませんが、天皇に関してだけは言われます。万世一系で尊い血筋とか。宗教の問題とも言えますが、皇国史観につながるので私はむろん批判的です。そこは妥協できません。そんな間違った考えをもてば、自然、極端なナショナリズムと排外主義へといきつくのがオチです

韓国は日本より苗字へのこだわりが強いと言われます。今はどうなのか知りません。でもそうだとすると、血統主義を採用しやすい土壌はあることになります。
(ただし幸か不幸か、天皇に相当する存在はいません。いまさら李氏を持ち出すこともないでしょう。)

DNA決定論は、少なくとも「すべてDNAで決定する論」はまやかしです。しかもそういう「まやかし」は害が大きい。人を血統で規定することになります。

「ボイス」はドラマですが、ドラマの影響力は強い。そこにDNA決定論を持ち込むのは、邪道というか、公益性を損なう行為のような気がします。