沢尻さんの降板とかいろいろありますが、それでも来年1月の終わりには「麒麟がくる」が放映されます。
「保守的な信長」を描くそうです。最近の「史料の表面しか見ない浅はかな信長研究」の成果です。なにしろ「手紙」とか「相手がいるから相手に合わせて書いている」ものを、「そのまんま本音だと解釈」してしまうのです。
そりゃ誰でも彼でも「保守的、尊王的」になるでしょう。「建て前表現」をそのまま真実と解釈したらそうなる。アホです。権門体制論とか実にばかばかしい。
信長は天下=畿内の静謐を願っていた。足利家も天皇家にも尊崇の念を持っていた、らしいのですが、
☆じゃあ、どうしていきなり越前の「朝倉」を攻めるのだ。畿内じゃないぞ。
☆足利義昭と戦って「天皇のおひざ元である上京を焼き払い、計画では下京だって焼き払う」はずであった。どこが尊王だ!何が天下静謐だ!
というのが私の意見です。「将軍に命じられたから朝倉を攻めた」とか、、、おかしいではないか。とにかく「天下静謐」なんだろ。「天下静謐を乱すなら将軍にとて意見した」のだろ。
それを将軍のいうがままに朝倉を攻めたら天下静謐というウソが崩れてしまうではないか。そもそも将軍の命じゃないし。形式上そういう形をとっているだけだし。
信長は「天皇にも将軍にも神社にも」、さして尊敬の念は持っていませんでした。「貧乏天皇」と「流浪将軍」、、、、どうやったら尊敬できるのか。できるわけない。どうしたら尊敬するような人間になれるのか。むしろそっちに興味が湧くほどです。
手紙では「尊敬しているようなふり」もするでしょう。手紙は相手があるからです。公文書も同じ。でも本音は「行動によって分かり」ます。
信長の行動から判断するなら「保守的な信長」「尊王の信長」なんて全てうそです。そういうウソに依拠した作品は、将来の歴史の評価に耐えないものとなるでしょう。
「保守的な信長」を描くそうです。最近の「史料の表面しか見ない浅はかな信長研究」の成果です。なにしろ「手紙」とか「相手がいるから相手に合わせて書いている」ものを、「そのまんま本音だと解釈」してしまうのです。
そりゃ誰でも彼でも「保守的、尊王的」になるでしょう。「建て前表現」をそのまま真実と解釈したらそうなる。アホです。権門体制論とか実にばかばかしい。
信長は天下=畿内の静謐を願っていた。足利家も天皇家にも尊崇の念を持っていた、らしいのですが、
☆じゃあ、どうしていきなり越前の「朝倉」を攻めるのだ。畿内じゃないぞ。
☆足利義昭と戦って「天皇のおひざ元である上京を焼き払い、計画では下京だって焼き払う」はずであった。どこが尊王だ!何が天下静謐だ!
というのが私の意見です。「将軍に命じられたから朝倉を攻めた」とか、、、おかしいではないか。とにかく「天下静謐」なんだろ。「天下静謐を乱すなら将軍にとて意見した」のだろ。
それを将軍のいうがままに朝倉を攻めたら天下静謐というウソが崩れてしまうではないか。そもそも将軍の命じゃないし。形式上そういう形をとっているだけだし。
信長は「天皇にも将軍にも神社にも」、さして尊敬の念は持っていませんでした。「貧乏天皇」と「流浪将軍」、、、、どうやったら尊敬できるのか。できるわけない。どうしたら尊敬するような人間になれるのか。むしろそっちに興味が湧くほどです。
手紙では「尊敬しているようなふり」もするでしょう。手紙は相手があるからです。公文書も同じ。でも本音は「行動によって分かり」ます。
信長の行動から判断するなら「保守的な信長」「尊王の信長」なんて全てうそです。そういうウソに依拠した作品は、将来の歴史の評価に耐えないものとなるでしょう。
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