幸福な人生を送った戦国武将、個人的ランキング・徳川家臣は除く(つまり本多忠勝や本多正信、井伊直政などは除く)
1位 豊臣秀吉と「ねね」
豊臣家は滅びますが、それは秀吉死後です。秀吉は織田時代も、本能寺後も「やりたい放題」の人生です。挫折がないのです。「我が子を殺した」なんてのもありません。「甥の秀次は殺して」ますが、それによって心に傷を負った感じもありません。
最後の最後に「秀頼を残して死にたくない」となりますが、そりゃ「死にたくない」のは誰だって同じです。家康だって信長だって「死にたくなかった」でしょう。
とにかく「生きているうちは成功の連続で、天下人になってからは金も城も女も家臣の命も自由自在」。1位だと思います。63ですから長生きでもありました。
ちなみに奥さんの「ねね」。徳川時代は高台院として幕府の保護を受けます。80歳ぐらいまで生きました。
2位 徳川家康
苦難の連続とか言いますが、他の戦国武将に比べればましです。それに75まで生きました。当時としては超長生き。長い病気とかもありません。
結局天下を手にして、満足して亡くなります。74ぐらいで大阪の陣に出陣していますが、逆に言えば「それほど元気だった」わけです。
ただ長男を殺しています。正妻も殺しています。それを気にしてもいました。そこがマイナスです。
3位 織田信長
「残念、無念」なのは「死に至るまでの1時間」ぐらいです。
それまでは「やりたい放題」の人生です。彼自身は幸福だったと思います。もっとも彼のせいで不幸な死を迎えた人間は数知れません。
弟を殺してますが、別に気にしてなかったようです。とにかく「本能寺」の寸前まで、成功続きの幸福な人生です。
4位 真田信之
信繁(真田幸村)の兄です。松代藩藩主。約10万石です。4位にしたのはとにかく「現役で長生き」だからです。病気がちではあったものの、現役として93歳まで生きます。当時としては妖怪のごとく長生きです。75歳で亡くなった家康が「驚くほど長生きした」と言われた時代です。93で、しかも現役です。ただし、晩年、お家騒動があったのはマイナスです。
5位 細川幽斎・細川忠興親子
細川といっても支流で名門ではありません。小大名ながら織田→豊臣→徳川と生き抜き、結局は熊本54万石です。
苦労は多かったと思いますが、そりゃ他の武将も同じです。幽斎は77歳まで、忠興は83歳まで生きました。マイナスはガラシャの死かなと思います。
6位 真田信繁(幸村)
6位ではないかな、とは思います。14年間ぐらい九度山に流されています。ただ「生涯に二回ぐらいしか戦っていない」のに、日本一のつわもの、とか言われます。
生きているうちに「幸福だ」と思ったことはないかも知れません。「亡くなった後が幸福な人」です。
7位 前田利家・金沢藩
織田では柴田勝家の「与力」です。23万石程度でした。秀吉の時代になって、徳川への「重し」として「友達だった秀吉」から80~100万石をもらいます。徳川時代も約100万石をキープします。亡くなったのも60ぐらいですから、当時としては長生きです。正妻のおまつさんも有名で、利家死後、加賀100万石は彼女が支えたと言われます。気になるのは「幕末、100万石を持ちながら、特に大きな行動は起こさなかった」点です。
8位 黒田長政・如水
親子そろって才能があったという家です。結局福岡52万石です。両名とも50代後半に亡くなっています。平均以上は生きました。
9位 加藤清正
秀吉の小姓から熊本52万石です。死後の名声も得ました。マイナスなのは50歳で亡くなったこと。そして加藤家が二代で改易されたことです。
10位 伊達政宗
天下なんぞ狙ってなかったと思います。秀吉下でも徳川下でもうまく生き抜いたと思います。70歳と長生きもしています。
11位 藤堂高虎
そもそも豊臣秀長の家臣でした。その後徳川家康に近づきます。家康側近にもなります。そして32万石です。75歳ですから非常に長生きです。
その他の候補者
山内一豊・池田輝政・蜂須賀小六・上杉景勝・武田信玄・上杉謙信・北条氏康など。毛利元就も候補ですが、前半生にあまりに苦労が多いかなと思います。
1位 豊臣秀吉と「ねね」
豊臣家は滅びますが、それは秀吉死後です。秀吉は織田時代も、本能寺後も「やりたい放題」の人生です。挫折がないのです。「我が子を殺した」なんてのもありません。「甥の秀次は殺して」ますが、それによって心に傷を負った感じもありません。
最後の最後に「秀頼を残して死にたくない」となりますが、そりゃ「死にたくない」のは誰だって同じです。家康だって信長だって「死にたくなかった」でしょう。
とにかく「生きているうちは成功の連続で、天下人になってからは金も城も女も家臣の命も自由自在」。1位だと思います。63ですから長生きでもありました。
ちなみに奥さんの「ねね」。徳川時代は高台院として幕府の保護を受けます。80歳ぐらいまで生きました。
2位 徳川家康
苦難の連続とか言いますが、他の戦国武将に比べればましです。それに75まで生きました。当時としては超長生き。長い病気とかもありません。
結局天下を手にして、満足して亡くなります。74ぐらいで大阪の陣に出陣していますが、逆に言えば「それほど元気だった」わけです。
ただ長男を殺しています。正妻も殺しています。それを気にしてもいました。そこがマイナスです。
3位 織田信長
「残念、無念」なのは「死に至るまでの1時間」ぐらいです。
それまでは「やりたい放題」の人生です。彼自身は幸福だったと思います。もっとも彼のせいで不幸な死を迎えた人間は数知れません。
弟を殺してますが、別に気にしてなかったようです。とにかく「本能寺」の寸前まで、成功続きの幸福な人生です。
4位 真田信之
信繁(真田幸村)の兄です。松代藩藩主。約10万石です。4位にしたのはとにかく「現役で長生き」だからです。病気がちではあったものの、現役として93歳まで生きます。当時としては妖怪のごとく長生きです。75歳で亡くなった家康が「驚くほど長生きした」と言われた時代です。93で、しかも現役です。ただし、晩年、お家騒動があったのはマイナスです。
5位 細川幽斎・細川忠興親子
細川といっても支流で名門ではありません。小大名ながら織田→豊臣→徳川と生き抜き、結局は熊本54万石です。
苦労は多かったと思いますが、そりゃ他の武将も同じです。幽斎は77歳まで、忠興は83歳まで生きました。マイナスはガラシャの死かなと思います。
6位 真田信繁(幸村)
6位ではないかな、とは思います。14年間ぐらい九度山に流されています。ただ「生涯に二回ぐらいしか戦っていない」のに、日本一のつわもの、とか言われます。
生きているうちに「幸福だ」と思ったことはないかも知れません。「亡くなった後が幸福な人」です。
7位 前田利家・金沢藩
織田では柴田勝家の「与力」です。23万石程度でした。秀吉の時代になって、徳川への「重し」として「友達だった秀吉」から80~100万石をもらいます。徳川時代も約100万石をキープします。亡くなったのも60ぐらいですから、当時としては長生きです。正妻のおまつさんも有名で、利家死後、加賀100万石は彼女が支えたと言われます。気になるのは「幕末、100万石を持ちながら、特に大きな行動は起こさなかった」点です。
8位 黒田長政・如水
親子そろって才能があったという家です。結局福岡52万石です。両名とも50代後半に亡くなっています。平均以上は生きました。
9位 加藤清正
秀吉の小姓から熊本52万石です。死後の名声も得ました。マイナスなのは50歳で亡くなったこと。そして加藤家が二代で改易されたことです。
10位 伊達政宗
天下なんぞ狙ってなかったと思います。秀吉下でも徳川下でもうまく生き抜いたと思います。70歳と長生きもしています。
11位 藤堂高虎
そもそも豊臣秀長の家臣でした。その後徳川家康に近づきます。家康側近にもなります。そして32万石です。75歳ですから非常に長生きです。
その他の候補者
山内一豊・池田輝政・蜂須賀小六・上杉景勝・武田信玄・上杉謙信・北条氏康など。毛利元就も候補ですが、前半生にあまりに苦労が多いかなと思います。
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