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麒麟がくる・帰蝶は大河ドラマにおいてどう描かれてきたか

2019年12月24日 | 麒麟がくる
帰蝶は濃姫の名で有名です。織田信長に嫁いだ後のことは、ほぼ分かりません。生きていたのか、死んだのか。

ただし時代劇においては超有名で、1973年の「国盗り物語」で大河ドラマに「本格的に登場」(太閤記でも登場)して以降、織田信長が登場する大河ドラマのほぼすべてに登場してきました。

例外は大河「秀吉」で、帰蝶が登場せず、吉乃がメインだったと記憶しています。あるいは少しは登場したのかも知れません。

大河「秀吉」は1996年の作品で、このころになると「帰蝶の人生はほぼ分からない」ということが定着していましたし、「信長が本当に愛したのは吉乃だ」ともされていました。このうち「愛したのは吉乃だ」は、今では「怪しい」ともされています。「麒麟がくる」では今のところ吉乃はキャスティングされていません。今後どうなるかは分かりません。

さて帰蝶(本当の名は分からず)と信長の関係、大河ドラマにおいてどう「描かれて」きたか。むろん史実とは関係ありません。

1973年の「国盗り物語」
総集編が残るのみです。帰蝶は若き松坂慶子さんが演じました。司馬遼太郎さんの作品ですから、夫婦仲はよい。司馬作品は「夫婦は仲良し」が基本です。
高橋英樹さん演じる織田信長は史実通り。延暦寺を焼き討ちしたり、一向一揆をせん滅したりしますが、夫婦仲は別に揺らぎません。

帰蝶が嫁ぐとき、父である斎藤道三は小刀を託して「信長が本当にうつけならば、これで刺せ」と言います。
「この刀はあるいは、父上様を刺す刃となるかもしれせぬ」と帰蝶は応じる。道三は「それでこそ道三の娘」と笑います。

これは帰蝶の最も「有名なシーン」ですが、「麒麟がくる」ではどうなるのか。まあ「ある」と思います。特にカットする理由もないからです。「麒麟がくる」ではたぶん「夫婦仲良し」とはならないでしょうが、それでもこのシーンを排除する理由が見当たりません。排除する理由があるとすれば「古い帰蝶像だから」ということでしょうか。

明智光秀とは「いとこ」とされ、淡い恋もあったとされます。本能寺では信長とともに死にます。これがこれ以降の時代劇のベースとなります。

1983年の大河「徳川家康」における帰蝶

藤真利子さんが演じました。「夫婦基本的には仲良し」です。信長の傍若無人ぶりにも理解を示す「賢妻」として描かれていました。それでも松平信康を謀略をもって殺そうとする信長には「多少いやなものを感じる」という風に描かれました。

2006年の「功名が辻」

和久井映見さんが演じました。織田信長の「悪行」に対しては「はっきりと批判的」です。夫婦仲もよくはない。それでも本能寺ではともに死にます。「殿は地獄、私は極楽、これでは死に別れでございます」という名セリフがありました。

なお「信長」では菊池桃子さんが演じました。あまり記憶にないのです。途中で堺に行ってしまったと記憶しています。


大河ドラマが「戦争」を描く場合、「男は戦乱を望み、女は平和を願った」とされることが多い。多いというかほとんどがそうです。日野富子でさえ平和を願っていた。北条政子は多少戦闘的ですが、基本的には平和主義者です。なにかと勝負を口にするのは「淀殿」ですが、真田丸においてはその淀殿も「戦争の外」に置かれていました。

さて今回も帰蝶は「平和をひたすら願っていた」とされるのか。沢尻さんを起用したことから考えると、もうちょっと「ひねる」可能性もあるでしょう。

帰蝶の「地位」も、信長の付属品みたいな立場から「対等もしくは同等」ぐらいに引き上げられると予想しますが、さてどうなるでしょう。

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1 コメント

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はじめまして (kojimanikko)
2020-06-13 11:21:52
麒麟がくる 吉乃と検索お訪ね致しました。現大河ドラマでは吉乃は全く登場しない可能性高いですね。帰蝶がかなり織田信長を裏で糸を引いている描かれ方になっています。
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