豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃、琵琶湖の南に「金目教」という怪しい宗教が流行っていました。
史実じゃありません。仮面の忍者赤影の「設定」です。いつの時代なんでしょうか。琵琶湖とあります。秀吉が長浜城主となったは天正元年(1573)です。でもその前年に秀吉は「羽柴秀吉」を名乗っています。木下藤吉郎だった頃ですから、元亀年間なんでしょうね。元亀は4年(1573年まで)ありますが、実質は3年とちょっとです。
さて忍者もの。
「忍びの国」をTVで放映していました。録画をなんとなく見ました。小説の方も読んでいます。
小説の方の少しの面白さは「織田信雄が副主人公並み」という点です。ただ全体に「サツバツとした小説で、救いがない」のです。主人公の無門は伊賀で最も腕がある忍者で「殺人マシーン」のような存在です。あ、ネタバレしますよ。ちなみに映画では織田信雄をジャニーズの知念くんが演じています。「おのれらは天下一の父を持ったことがあるのか」(その辛さが分かるのか)と泣き崩れたりしています。
主人公無門は殺人マシーン的ですが、しかし「お国」という女性だけは例外で、彼女の前でだけは「人間」です。お国はお国で無門を「甲斐性なし」として世間一般の女房のように叱り飛ばします。無門は「女房に頭があがらない亭主」となり、その間だけは「人間」となるのです。
が、最後はお国を殺され、お国を殺した「伊賀の国そのものを壊滅させようと」します。で、織田信長を脅かしてわざと伊賀に攻め込ませます。第二次天正伊賀の乱のことです。
映画は、、、なぜか信長が出てきません。だから無門、嵐の大野くんが「天正伊賀の乱を起こした」となっていません。嵐の大野くんが「非戦闘員をあわせて3万人を殺した伊賀の乱のきっかけを作った」ではまずかったのかなと思います。映画は特に面白いわけでもなく、つまらないわけでもなし。お国は石原さとみさんです。
こっから映画を離れて、織田信雄の話です。
第二次天正伊賀の乱は、1581年(天正九年)です。信長の死の一年前です。
その前1576年に「織田信雄」信長の次男は、第一次天正伊賀の乱を起こしています。勝手に1万の兵で伊賀に攻めこみ、負け、信長にしばかれています。でも結局は信長も伊賀攻めを決め、第二次天正伊賀の乱が起きます。総大将は信雄でした。5万を動員して非戦闘員も殺し、3万人を虐殺しています。
第一次天正伊賀の乱は「信長の命もなく勝手に攻め込んだ」わけです。で勘当だとは信長から言われますが「殺すぞ」とまでは言われていないようです。アホな子ほど可愛かったとか、信長も普通の父親だったとかされます。
大河では天正伊賀の乱(二回もしくは三回あった)はあまり描かれません。「虐殺シーン」になるからです。大河「国盗り物語」では描かれました。総集編が残っているので分かります。それ以後、大河で描かれた記憶が私にはありません。
さて織田信雄。清須会議の後、三法師を抱え込んだ織田信孝への対抗上。織田家の家督扱いとなります。で尾張美濃で100万石です。その後徳川家康と組んで、小牧長久手の戦いを起こします。
1590年の小田原攻めまでは、豊臣大名として安泰です。小田原攻めの後、移封を拒んだら100万石改易です。この時織田信包も改易されています。織田家を秀吉が切り捨てるわけです。ただし、三法師、織田秀信は、岐阜13万石です。三法師だけは小田原後も安泰でした。秀吉としてはかつての織田家家督である三法師に13万石は惜しくなかったのでしょう。信雄は100万石です。これは取り上げたかったのだと思います。
その2年後の朝鮮の役の時に許され、でも2万石程度です。
この辺り伊藤潤の「虚けの舞――織田信雄と北条氏規」に描かれています。しかしその2万石も関ケ原で「傍観者」だったため、家康に取り上げられています。
その後14年間、大坂城で「居候」です。茶々と信雄は「いとこ」です。が大坂の陣の直前に城を出ます。大坂にいたら名目上の「総大将にされていた説」もあります。その後、家康から5万石を与えられました。間者であったともされますが、証拠はないようです。
結局この信雄が信長の血筋を残します。織田有楽も残していますが、彼は信長の子ではなく弟です。信雄はどうにも絵にならない感じがします。一方三法師、江戸期まで生き延びたら、彼の生涯を面白く描くこともできたと思います。惜しいことに関ケ原では西軍について、あっという間に岐阜城を落とされ、高野山追放。その後若くして亡くなります。三法師が東軍について、20万石ぐらいになっていたら「織田家の逆襲」ということで、色々なドラマ、小説で取り上げれていたと思います。もっとも少なくはありますが、三法師を主人公にした小説は存在します。
史実じゃありません。仮面の忍者赤影の「設定」です。いつの時代なんでしょうか。琵琶湖とあります。秀吉が長浜城主となったは天正元年(1573)です。でもその前年に秀吉は「羽柴秀吉」を名乗っています。木下藤吉郎だった頃ですから、元亀年間なんでしょうね。元亀は4年(1573年まで)ありますが、実質は3年とちょっとです。
さて忍者もの。
「忍びの国」をTVで放映していました。録画をなんとなく見ました。小説の方も読んでいます。
小説の方の少しの面白さは「織田信雄が副主人公並み」という点です。ただ全体に「サツバツとした小説で、救いがない」のです。主人公の無門は伊賀で最も腕がある忍者で「殺人マシーン」のような存在です。あ、ネタバレしますよ。ちなみに映画では織田信雄をジャニーズの知念くんが演じています。「おのれらは天下一の父を持ったことがあるのか」(その辛さが分かるのか)と泣き崩れたりしています。
主人公無門は殺人マシーン的ですが、しかし「お国」という女性だけは例外で、彼女の前でだけは「人間」です。お国はお国で無門を「甲斐性なし」として世間一般の女房のように叱り飛ばします。無門は「女房に頭があがらない亭主」となり、その間だけは「人間」となるのです。
が、最後はお国を殺され、お国を殺した「伊賀の国そのものを壊滅させようと」します。で、織田信長を脅かしてわざと伊賀に攻め込ませます。第二次天正伊賀の乱のことです。
映画は、、、なぜか信長が出てきません。だから無門、嵐の大野くんが「天正伊賀の乱を起こした」となっていません。嵐の大野くんが「非戦闘員をあわせて3万人を殺した伊賀の乱のきっかけを作った」ではまずかったのかなと思います。映画は特に面白いわけでもなく、つまらないわけでもなし。お国は石原さとみさんです。
こっから映画を離れて、織田信雄の話です。
第二次天正伊賀の乱は、1581年(天正九年)です。信長の死の一年前です。
その前1576年に「織田信雄」信長の次男は、第一次天正伊賀の乱を起こしています。勝手に1万の兵で伊賀に攻めこみ、負け、信長にしばかれています。でも結局は信長も伊賀攻めを決め、第二次天正伊賀の乱が起きます。総大将は信雄でした。5万を動員して非戦闘員も殺し、3万人を虐殺しています。
第一次天正伊賀の乱は「信長の命もなく勝手に攻め込んだ」わけです。で勘当だとは信長から言われますが「殺すぞ」とまでは言われていないようです。アホな子ほど可愛かったとか、信長も普通の父親だったとかされます。
大河では天正伊賀の乱(二回もしくは三回あった)はあまり描かれません。「虐殺シーン」になるからです。大河「国盗り物語」では描かれました。総集編が残っているので分かります。それ以後、大河で描かれた記憶が私にはありません。
さて織田信雄。清須会議の後、三法師を抱え込んだ織田信孝への対抗上。織田家の家督扱いとなります。で尾張美濃で100万石です。その後徳川家康と組んで、小牧長久手の戦いを起こします。
1590年の小田原攻めまでは、豊臣大名として安泰です。小田原攻めの後、移封を拒んだら100万石改易です。この時織田信包も改易されています。織田家を秀吉が切り捨てるわけです。ただし、三法師、織田秀信は、岐阜13万石です。三法師だけは小田原後も安泰でした。秀吉としてはかつての織田家家督である三法師に13万石は惜しくなかったのでしょう。信雄は100万石です。これは取り上げたかったのだと思います。
その2年後の朝鮮の役の時に許され、でも2万石程度です。
この辺り伊藤潤の「虚けの舞――織田信雄と北条氏規」に描かれています。しかしその2万石も関ケ原で「傍観者」だったため、家康に取り上げられています。
その後14年間、大坂城で「居候」です。茶々と信雄は「いとこ」です。が大坂の陣の直前に城を出ます。大坂にいたら名目上の「総大将にされていた説」もあります。その後、家康から5万石を与えられました。間者であったともされますが、証拠はないようです。
結局この信雄が信長の血筋を残します。織田有楽も残していますが、彼は信長の子ではなく弟です。信雄はどうにも絵にならない感じがします。一方三法師、江戸期まで生き延びたら、彼の生涯を面白く描くこともできたと思います。惜しいことに関ケ原では西軍について、あっという間に岐阜城を落とされ、高野山追放。その後若くして亡くなります。三法師が東軍について、20万石ぐらいになっていたら「織田家の逆襲」ということで、色々なドラマ、小説で取り上げれていたと思います。もっとも少なくはありますが、三法師を主人公にした小説は存在します。
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