NHKは来年の大河「麒麟がくる」では、信長の保守的側面を強調すると既に予告しています。歴史秘話ヒストリア・世にもマジメな魔王・織田信長・最新研究が語る英雄の真実は、「その線に沿ったもの」で、「最近の流行りの学説」を採用してました。
来年「麒麟がくる」が放映されると「信長のイメージがおかしい」となるはずで、その防止も狙っているようです。
と私が書いた歴史学者、金子拓氏の監修です。
ただ面白いのは「信長像は揺れ動いてきた。永遠に確定することはないだろう」と金子拓氏自身が出演して言っていることです。「一応今の段階ではこうだけど、論争は果てしなく続くよ」と言っているわけです。その割に内容は「これが史実だ」という感じに仕上がっています。
なんというか、逆説的なんですが、問題点は「当時の一次資料」を用いて織田信長像を再現しようとしていることです。
例えば上洛時に「足利義昭公を奉じて、足利幕府を再興します」と書いている。そりゃ書いています。まさか「足利義昭を傀儡にして、天下は自分が治めます」なんて書くわけないわけです。上杉謙信なんか最初はこの手紙を信じて、喜び、信長に好意的でした。
手紙なんて戦略的なウソばっかり、なんですが、「一次資料」ということで採用されます。そうすれば信長像が守旧的になるは当然です。
明智光秀は「細川忠興のために本能寺の変を起こした」と手紙に書いています。細川を味方にするためです。学者のほとんどは「ウソ」としています。でも「一次資料だから信頼できる」となると、「ウソが史実になる」ことになります。
1、信長は朝廷、公家を重んじていた。
そりゃ重んじているふりはしています。それは徳川家康だって同じです。しかし家康は天下をとるや「禁中並公家諸法度」を金地院崇伝に命じて起草させます。建前としては家康だって重んじているのです。が実際はこの法度によって朝廷の政治力を奪います。家康はそうかも知れないが、信長は本気だった、なんてのは成立しがたい意見です。朝廷そのものが問題というより、朝廷と大名の結びつきが問題なのです。明智光秀が謀反を起こした時、朝廷は光秀を恐れ、もろ手を挙げて光秀を支持しました。この「定見のなさ」に家康のみが気が付き、信長は気が付いていなかったなんてことはありえないことです。
2、天下布武というが天下とは畿内である。
これについては今まで散々書いてきたので省略します。
3、信長は足利義昭を奉じて、足利幕府を再興しようとした。
既に書いたように、建前としてはずっとそういう態度です。各大名に手紙も送っています。だから謙信などは黙って見ていた。その戦略的態度を「本気だった」とするのは無理です。最後の最後までそうした態度ですし、義昭も殺していません。追放にとどめています。
4、比叡山焼き討ちに至っては新説ですらない。
前もって中立を要請したが、聞き入れないので1年待って「仕方なく」「天下静謐」のために焼き討ちをした、そうです。
何が「新しい」のか。全く新事実はありません。1年だったかなぐらいは思います。前に読んだ本では3か月となっていました。
要するに「しぶしぶやった」から「新説」らしいのですが、話にもなりません。「しぶしぶ」「天下静謐」という「言葉遊び」をしているだけです。そんなの解釈だけの問題です。
では何故、僧侶だけでなく、「児童、智者、上人一々に首をきり」と「信長公記」にあるのか。子供も知者も上人も殺しているのです。「しぶしぶ」やったなら、「子供は助けよ」「上人は助けよ」ぐらいの命令となるでしょう。金子氏の言っている(この番組の言っている)ことは単なる言葉遊びであり、全く事実を反映していません。
5、四国攻めだけが何故か「天下静謐」の為ではなく、「暴走」とされ、それが本能寺の変の原因であると金子氏、この番組は言う。
どうして「四国攻め」だけが特別な侵略行為とされるのか。藤田さんの本を読んだけど、実に変な理屈なのです。論理破綻もはなはだしかった。でもまたその変な理屈を読み直す気にはなりません。とにかく「強引で変な理屈」でした。お話にならない感じがしたのを覚えています。
ともかく信長は真面目な正常な人間らしいのですが、
では例えば「信長公記」には親父の葬式で「抹香をくわっとつかんで、仏前に投げかけて」ありますが、「これは若い日のあやまち」なんでしょうか。当時の資料に載っているわけです。一応一級資料です。異常な人格です。
それから一向一揆攻めにおける「なで斬り」をどう説明する。天正伊賀の乱における虐殺3万人をどう説明する。NHKご用達の磯田道史氏など「許せない。とんだサイコ野郎だ」と「英雄たちの選択」で発言しています。
さらに城の建て方の革新性をどう評価するのか。
戦略的ウソが多い手紙なんぞより、実際の行動の方を見るべきです。
一次資料など、使い方次第でどうとでも「解釈」できるわけです。
だから私の書いていることも「史実だ」ということではないのです。そもそも資料がすくな過ぎるのです。信長の妻たち、帰蝶も吉乃もお鍋の方も、実名すら分かりません。
それに何故「信長が人気ランキング1位か」を考える場合、その革新性が国民を引き付けていることは確かでしょう。「悪漢小説」というジャンルがあるように、「悪漢の魅力」というものがあるのです。それを真面目ないい子にされてもなーと思います。
まあ「麒麟がくる」で「守旧的な信長を描く」ことは良くはないけどしょうがないでしょう。ただそれが史実だとするのは無理というものです。
かつて山岡荘八が「聖人君子の家康」を描いてベストセラーになりました。あくまで勤王の人として描いたのです。でも今は「たぬき親父」扱いです。
信長をどう描こうと、それはドラマだから自由なんですが、「もし勤王の程度によって人を評価しようとしている」なら、それは愚行です。なんせ信長は上京を焼き払っているのです。京都焼き討ちです。本当は下京も焼くつもりで命令を出しています。勤王の志士にするのは、いかにも無理です。
こういう見方もある、はいいのですが「最新研究だから史実」とはなりません。学者さんの「一次資料の使い方」は極めて恣意的だからです。数日に一冊は歴史家の本を読んでますが、「わかってやってるな」と思うほど不誠実な人もいます。ただしごく少数、本当に真面目な方もいます。
大河の視聴率を高めるためには、若い層も開拓しないといけません。どうせ年寄りは「麒麟がくる」を見るだろう。じゃあ若者受けだ。最近の若者は守旧的だ。「それじゃあ信長も守旧的にしてしまおう」とうNHKの意図が「みえみえ」なのが、なんというか「お願いだからやめてくれ」と言いたくなるわけです。ウソだし。
そもそも「魔王信長」を散々デフォルメして描いてきたのはNHKです。「おんな城主直虎」のデフォルメなんて極端でした。
あとは、どーでもいい話ですが
大河ドラマにおける「狂気の度合い」で考えると、
「国盗り物語」ではさほどではありません。
「信長キングオブジバング」は狂気の人というより「変な人」という描き方です。
「功名が辻」では「かなり狂気が入って」きます。
「おんな城主直虎」となると「完全な魔王」です。市川海老蔵(団十郎)です。
「真田丸」には合計5分も登場しません。真田昌幸、草刈さんは「若い頃の信玄公のような気迫を感じた」と評価し、その妻高畑さんには「神仏を大事にしない人はろくな死に方をしない」と言わせています。計5分ですが重層的な描き方になっていました。
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