以下はNHKのHPに載っている文章のコピーです。少し長いですが、引用します。
大河新時代= 最新の研究と新解釈を反映した人物像。
「麒麟がくる」では最新の研究で新たなアプローチがなされ始めている英傑たちの姿を、従来のイメージを覆す新しいキャラクター像として、描いていきます。
私怨により本能寺で信長を討った謀反人のイメージを覆す、勇猛果敢かつ理知的な天才・明智光秀。史料がほとんど残っていない20代の青春時代から描写していきます。
また、革新的な魔王のイメージが強い光秀の主君・織田信長を、最近の研究で見直されている保守的かつ中世的な側面も強調、父・信秀から実直に受け継いだ財政面、経営面での才覚も描いていきます。
さらに親子二代で美濃をのっとったという説に基づく斎藤道三、反織田勢力を自由自在に操り、室町幕府の再興をなそうとする権謀術数にたけた第15代将軍・足利義昭、ほかにも若く野心にあふれる細川藤孝、松永久秀、今川義元など、一癖もふた癖もある群雄たちが、戦国時代を舞台に、縦横無尽に活躍します。
明智光秀とはいったい何者なのか?
麒麟は一体、どの英雄の頭上に現れるのか…
物語は、本能寺へと向かいます…
以上引用終わり。
「織田信長を、最近の研究で見直されている保守的かつ中世的な側面も強調、父・信秀から実直に受け継いだ財政面、経営面での才覚も描いていきます。」
「保守的かつ中世的な側面」を「強調」とあるのが気がかりです。「なにも強調しなくてもいいのに」と思います。
織田信長を「どうしても凡人にしたい」「どうしても普通の武将にしたい」という「奇妙な情熱」を持つ人々がいます。学者さんに多いですね。
国民が「ドラマのイメージ」に引っぱられて、信長のカリスマ性に憧れることが「たまらなく嫌」なようで、「史実としては普通の武将だったんだ」ってことを強調します。
そういう学者が1万回ぐらい言うのが「天下とは近畿地方のことだ。天下布武とは近畿地方を掌握することだ」ってセリフです。
聞き飽きました。
「じゃあ、実際の行動として、日本全土を武力制圧しようとした武将がいますか」と聞いてみたいと思います。
答えは「ただ1人、信長だけ、あと本能寺後の秀吉」。よくよく考えてみてください。「本気で天下を狙っていた戦国武将」は他にいるでしょうか。「狙っていたことになっている武将」はいますが、具体的に行動をとった戦国武将は信長以外いません。
信玄の上洛なんてのも、それこそ「近畿の制圧目的」「信長の京からの駆逐目的」であって、日本全土制覇なんて壮大な構想は全然頭になかったでしょう。義昭に頼まれてやっと重い腰をあげた感じです。上杉謙信も最後の最後に少し動きますが、手取川で(たぶん)勝って、越後に引き上げています。いつもの「関東管領」としての謙信の行動パターンです。そもそも天下を狙っていたなら、動く年齢が高すぎます。当時としては老境である50前後で動いても、天下など取れるはずもありません。実際二人とも動くやいなや病死しています。
毛利は中国地方で拡大をやめます。謙信はあくまで関東管領としてふるまいます。信玄の上洛は義昭に強く請われての行動です。北条は「関東の覇者」であること以上の野望は持ちません。それぞれが地方の「管領的立場」以上の行動はとらないようにふるまったのです。
そして「事実として日本全土の武力制圧を考え実際に行動したのは信長しかいない」のです。
信玄も謙信も、浅井も、朝倉も、北条も、むろん毛利も、長曾我部も、そんな行動はとっていません。
「天下は近畿のこと」なんてのは「言葉遊び」で、信長の実際の行動を考えれば、彼のいう「天下」とは「日本全土」です。
こう言い換えてもいい。信長が「天下」という言葉を日本全土という意味にしたのだ、と。言葉の意味なんてあっという間に変わります。現代における「やばい」の用法のように。
さらに奇妙な情熱をもった学者は言います。
「3000丁の鉄砲の三段撃ちなんてなかった」
そりゃなかったでしょう。整然と1000丁ずつ撃つなんて無理です。だいたい3000丁も怪しく、1000丁ぐらいみたいです。
しかし1000丁ほどと考えても、その威力は強力です。
1000丁の火縄銃を各自が「勝手に撃った」とします。そうなると大体200丁分ぐらいの鉄砲玉が間断なく飛び交っていたでしょう。相手は進むことができません。
「武田騎馬軍団なんてなかった」を認めて、徒歩だとすると、余計に前に進めなくなります。
銃弾というのは一発でも相当な心理的圧迫性があるのです。200発が間断なく発射されたら、もう乱射と同じです。竹の束で身を守って、おずおず進むのがやっとでしょう。
つまり「三段撃ちを否定したぐらい」で、学者さんに「ほら、信長は天才ではないでしょ」とか言われても、困るしかありません。
というわけで、学者さんたちの奇妙な説明は、「はいはい、分かりました」という感じです。「奇妙な困った人たちだ」という感じすらします。
信長が完全なる合理主義者じゃないとしても、「義昭追放」だけでも、「延暦寺焼き討ち」だけでも、「大量の鉄砲の実用利用」だけでも、「中世の破壊者」の名を与えられるのは当然だと思います。
批判される前に書いておくと「将軍追放」だけなら三好も松永もしましたし、彼らもまた中世の破壊者的側面を持っていますが、彼らこそまさに「畿内の争奪だけ」をしていた人間です。
一部学者さんは「どうしても信長を凡人に」したくてたまらないようです。それは「つまらない」し、なにより「間違い」です。そういう「つまらない、半ば私憤をこめた学説、珍説」に飛びついて、NHKに「大河新時代」などと誇られても、ただ苦笑あるのみです。ちなみに「財政面、経営面での才覚」ともありますが、そんなの「楽市楽座」でみんな知っています。「副将軍の要請を断って、商業の重要地の支配許可を義昭に申し出た」ことも「みんな知っているし、既に描かれてきた」ことです。「桶狭間の段階で神仏に祈った」(中世的行動をとった)と描いた作品もあります。大河ドラマ「信長」では「加納隋天」という「吉祥占い師」(平幹次郎)が登場し、いつも信長の傍で天運を占っています。26年前の大河「信長」の段階で既に「中世的側面を持った信長」は描かれているのです。
加納隋天は、本能寺で信長とともに死にますが、最期は信長の「盾」となって、何発鉄砲で撃たれても、数十の矢が体に突き刺さっても、信長切腹の時間稼ぎをするまでは「決して死なない」わけです。明智側も「この世のものではない」と考えてひるみます。「妖怪」ですね。まさに「中世的存在」として登場しているわけです。
ただし中世的側面を描いたことによって、緒方直人さん演じる信長は「多少つまらない男になった」、私はそう感じています。
最後に「人の威を借りる」と、日本史学者、本郷和人さん、NHKによく出てきますが、彼なども「信長を普通の武将にしたい学者の行動には問題がある。」と指摘しています。
大河新時代= 最新の研究と新解釈を反映した人物像。
「麒麟がくる」では最新の研究で新たなアプローチがなされ始めている英傑たちの姿を、従来のイメージを覆す新しいキャラクター像として、描いていきます。
私怨により本能寺で信長を討った謀反人のイメージを覆す、勇猛果敢かつ理知的な天才・明智光秀。史料がほとんど残っていない20代の青春時代から描写していきます。
また、革新的な魔王のイメージが強い光秀の主君・織田信長を、最近の研究で見直されている保守的かつ中世的な側面も強調、父・信秀から実直に受け継いだ財政面、経営面での才覚も描いていきます。
さらに親子二代で美濃をのっとったという説に基づく斎藤道三、反織田勢力を自由自在に操り、室町幕府の再興をなそうとする権謀術数にたけた第15代将軍・足利義昭、ほかにも若く野心にあふれる細川藤孝、松永久秀、今川義元など、一癖もふた癖もある群雄たちが、戦国時代を舞台に、縦横無尽に活躍します。
明智光秀とはいったい何者なのか?
麒麟は一体、どの英雄の頭上に現れるのか…
物語は、本能寺へと向かいます…
以上引用終わり。
「織田信長を、最近の研究で見直されている保守的かつ中世的な側面も強調、父・信秀から実直に受け継いだ財政面、経営面での才覚も描いていきます。」
「保守的かつ中世的な側面」を「強調」とあるのが気がかりです。「なにも強調しなくてもいいのに」と思います。
織田信長を「どうしても凡人にしたい」「どうしても普通の武将にしたい」という「奇妙な情熱」を持つ人々がいます。学者さんに多いですね。
国民が「ドラマのイメージ」に引っぱられて、信長のカリスマ性に憧れることが「たまらなく嫌」なようで、「史実としては普通の武将だったんだ」ってことを強調します。
そういう学者が1万回ぐらい言うのが「天下とは近畿地方のことだ。天下布武とは近畿地方を掌握することだ」ってセリフです。
聞き飽きました。
「じゃあ、実際の行動として、日本全土を武力制圧しようとした武将がいますか」と聞いてみたいと思います。
答えは「ただ1人、信長だけ、あと本能寺後の秀吉」。よくよく考えてみてください。「本気で天下を狙っていた戦国武将」は他にいるでしょうか。「狙っていたことになっている武将」はいますが、具体的に行動をとった戦国武将は信長以外いません。
信玄の上洛なんてのも、それこそ「近畿の制圧目的」「信長の京からの駆逐目的」であって、日本全土制覇なんて壮大な構想は全然頭になかったでしょう。義昭に頼まれてやっと重い腰をあげた感じです。上杉謙信も最後の最後に少し動きますが、手取川で(たぶん)勝って、越後に引き上げています。いつもの「関東管領」としての謙信の行動パターンです。そもそも天下を狙っていたなら、動く年齢が高すぎます。当時としては老境である50前後で動いても、天下など取れるはずもありません。実際二人とも動くやいなや病死しています。
毛利は中国地方で拡大をやめます。謙信はあくまで関東管領としてふるまいます。信玄の上洛は義昭に強く請われての行動です。北条は「関東の覇者」であること以上の野望は持ちません。それぞれが地方の「管領的立場」以上の行動はとらないようにふるまったのです。
そして「事実として日本全土の武力制圧を考え実際に行動したのは信長しかいない」のです。
信玄も謙信も、浅井も、朝倉も、北条も、むろん毛利も、長曾我部も、そんな行動はとっていません。
「天下は近畿のこと」なんてのは「言葉遊び」で、信長の実際の行動を考えれば、彼のいう「天下」とは「日本全土」です。
こう言い換えてもいい。信長が「天下」という言葉を日本全土という意味にしたのだ、と。言葉の意味なんてあっという間に変わります。現代における「やばい」の用法のように。
さらに奇妙な情熱をもった学者は言います。
「3000丁の鉄砲の三段撃ちなんてなかった」
そりゃなかったでしょう。整然と1000丁ずつ撃つなんて無理です。だいたい3000丁も怪しく、1000丁ぐらいみたいです。
しかし1000丁ほどと考えても、その威力は強力です。
1000丁の火縄銃を各自が「勝手に撃った」とします。そうなると大体200丁分ぐらいの鉄砲玉が間断なく飛び交っていたでしょう。相手は進むことができません。
「武田騎馬軍団なんてなかった」を認めて、徒歩だとすると、余計に前に進めなくなります。
銃弾というのは一発でも相当な心理的圧迫性があるのです。200発が間断なく発射されたら、もう乱射と同じです。竹の束で身を守って、おずおず進むのがやっとでしょう。
つまり「三段撃ちを否定したぐらい」で、学者さんに「ほら、信長は天才ではないでしょ」とか言われても、困るしかありません。
というわけで、学者さんたちの奇妙な説明は、「はいはい、分かりました」という感じです。「奇妙な困った人たちだ」という感じすらします。
信長が完全なる合理主義者じゃないとしても、「義昭追放」だけでも、「延暦寺焼き討ち」だけでも、「大量の鉄砲の実用利用」だけでも、「中世の破壊者」の名を与えられるのは当然だと思います。
批判される前に書いておくと「将軍追放」だけなら三好も松永もしましたし、彼らもまた中世の破壊者的側面を持っていますが、彼らこそまさに「畿内の争奪だけ」をしていた人間です。
一部学者さんは「どうしても信長を凡人に」したくてたまらないようです。それは「つまらない」し、なにより「間違い」です。そういう「つまらない、半ば私憤をこめた学説、珍説」に飛びついて、NHKに「大河新時代」などと誇られても、ただ苦笑あるのみです。ちなみに「財政面、経営面での才覚」ともありますが、そんなの「楽市楽座」でみんな知っています。「副将軍の要請を断って、商業の重要地の支配許可を義昭に申し出た」ことも「みんな知っているし、既に描かれてきた」ことです。「桶狭間の段階で神仏に祈った」(中世的行動をとった)と描いた作品もあります。大河ドラマ「信長」では「加納隋天」という「吉祥占い師」(平幹次郎)が登場し、いつも信長の傍で天運を占っています。26年前の大河「信長」の段階で既に「中世的側面を持った信長」は描かれているのです。
加納隋天は、本能寺で信長とともに死にますが、最期は信長の「盾」となって、何発鉄砲で撃たれても、数十の矢が体に突き刺さっても、信長切腹の時間稼ぎをするまでは「決して死なない」わけです。明智側も「この世のものではない」と考えてひるみます。「妖怪」ですね。まさに「中世的存在」として登場しているわけです。
ただし中世的側面を描いたことによって、緒方直人さん演じる信長は「多少つまらない男になった」、私はそう感じています。
最後に「人の威を借りる」と、日本史学者、本郷和人さん、NHKによく出てきますが、彼なども「信長を普通の武将にしたい学者の行動には問題がある。」と指摘しています。
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