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令和批判をしたくなる心理・皇族は無謬の存在ではない

2019年04月20日 | 令和
令和、が発表された時、「令和批判」をしたらアクセスが1日で2000PVを超えました。あの時の自分の心理をちょっと分析してみます。

1、まず安倍氏による政治のモラルの溶解が嫌だったのだと思います。溶けて崩れていく日本、西部邁さんがそんな文章を書いていましたが、まさに政治モラルが溶けて崩れています。指導者は一般人より「高いモラル」が求められる。少なくとも「建前であっても」、モラルハザードと言われないような政治姿勢が必要です。今回の問題でも「元号や天皇の政治利用」を明確に行っています。憲法違反です。私はそう思います。

2、令和になったから新時代って、何だそれ?という意識が強い。論理的におかしいからです。何ひとつ変わらないのに。天皇が変わるだけなのに。まあこれは「ひねくれ」ですね。

まあそんな心理だったのだと思います。

さらに言えば、現皇太子がかわいそうという意識もありました。やがて令和天皇となるのです。字にセンスが感じられない。60ぐらいになって「これから本当の出番」というのもかわいそう。

天皇の定年だって65か70でいいはずです。

そうでなくても彼(皇太子)は、ネットのコメント欄なんかではひどく批判されます。やたらと彼の発言とかを知っている人間がいて、クレーマーのように批判します。

まあ雅子さんは、あのまま外務省にいたら、適応障害にはならなかったでしょう。でももう言っても「せんなき」ことです。皇太子だって適応障害にしたくて求婚したわけでもありますまい。

どうも皇室に「無謬性」という幻想を付加したい人が多いようです。無謬性とは間違いがない、傷がないことです。次の皇后が精神面で問題を抱えていてはいけないとか思っているのでしょう。「適応障害」なんて普通の病気です。逃げられない環境でそれと戦っているの彼女にエールを送るべきでしょう。

この無謬性の幻想は、小室氏の問題でも猛威を振るっています。秋篠宮家はネットでは評判がよかったのですが、この問題以降急降下。キコさんなんか「女帝」とかひどい言われようです。マコさんなぞ結婚すれば皇族でなくなるのに。

カコさんが20歳の時に「会見」をしました。今は直りましたが、「舌足らずの現代風のしゃべり」でした。「かわいいし、ほほえましい」と思いました。

するとTVのコメンターが言います。「口調がはっきりして20歳とは思えない」。ずっこけそうになりました。あの頃は「舌足らず」だったのです。

中学の時、社会の先生が「もっとも正しい日本語を使うのは昭和天皇陛下だ」と言いました。でTVをみたら「あっそう」の連発です。終戦まで専制君主でしたから、専制君主の特徴といわれる「やや抑揚に欠けた言葉遣い」も彼の特徴でした。

「どこが日本一正しいだ、いい加減な先生だな」と思いました。

「皇室への無謬性の幻想」を抱くと、きっとあの口調すら「正しい」と思えたのでしょう。「皇室への無謬性の幻想」は皇族にとっても迷惑だと思います。間違いのない人間なんていないのです。


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