そんなわけで準備万端(本当は違ったけどその時は知る由もなく…)!仕事も収めた!ってことで、3月17日ロンドンに到着。久しぶりのイギリスは入国審査が自動化されていてあまりにもスムーズに入れてびっくり。
会場、ホテルのあるハマ―スミスに行くと私の大好きなロンドンの街中のふつ~の忙しい夕方って感じで…こんな普通の光景にじーんときました。
ベルギーのMisaさんより、会場まわりに「軒」があるか確認するようにとのことだったので(雨対策)、偵察に行くと、2日前なのでさすがにまだ人は並んでおらずw
でも気を抜かないMisaさんは、
「18日は空港から直行して17時くらいには、キュー(入場待ちの列のこと)ができていないか確認する」
と言っているので、「え??前日の17時??開場26時間前??いくらなんでも早すぎない??」とその時は半信半疑でした。
17日夜は、在英フォトグラファー・元Gun ClubのRomi Moriさんにベトナム料理に連れて行ってもらったり18日朝~昼は在英翻訳家のMichiyoさんや友だちのNickと会って、しばし「野宿前の平穏」を楽しく過ごしていました。Nickと午後4時半に別れてSOHOから地下鉄に乗ると、4時55分、Misaさんからまさかのメッセージが!!
ちょー!!キューが始まってました!!私は今着いて18番でした!!ハマ―スミスのアポロの向かい側の橋の下でキューしています!!ぎゃあああ
Misaさんの断末魔の叫びが聞こえてくるような!!
これをピカデリーラインで読んだ私は真っ青に。トイレに行きたかったけど、急いで駅を出てアポロに行ってみると、Misaさんは本当に空港からトランク持って駆けつけていました。私は何とか23番!!(その後22番に昇格)。今回、ハマ―スミス在住のローカルのファンが、午前10時(開場33時間前)に並び始めたため、このような信じられない早い時間からキューが始まるという異例の事態発生だとか…レギュラーの皆さんもびっくりしていました。
キューリストは、とりあえず30番に締め切りだとか。その後、午後6時には締め切られたそう。ってことは、ギリギリセーフじゃん!!このキューリストに入って、番号を手の甲に書かれなきゃ、ここまで(あの大荷物で)来た苦労が水の泡かよ・・・!という事実に気づきぞーーーーーっとして、立ち尽くしていました。
しばらくしてトイレに行きたかったことを思い出して、そこから徒歩5分のホテルに戻り、あの野宿セットを持って戻ると、高架下の、表から見えない柱の裏側というベストポジションをMisaさんがとっていてくれたのでそこを陣取りました。
フラフラしていないで、早くからそこを占拠できたことが、あとあと考えてみても、ほんとうによかったです。Misaさんの追っかけライフ5年間の叡智のおかげで、快適な野宿になりました。ふたりで2つ寝袋を並べて、修学旅行みたいだね、とか言いながら寝ました。Misaさんはいつも、たったひとりでこの一連の緊張と興奮を繰り返しているのかと思うと、毎秒毎秒リスペクトの念が襲ってきました。まさにThere is a light の歌詞“but then a strange fear gripped me and I just couldn’t ask”…と思ったけど、私はaskしまくり。Misaさんという人間が気になり過ぎて、職業病もあって取材(笑)しながら過ごしていました。
考えてみれば、私はMisaさんという先達がいなければ今回の野宿最前列挑戦をしようと思わなかった。Misaさんは真夜中、寝袋の中で
「どうしてもかいなってぃーに最前から、今のモリッシーを見てもらうのが夢だった」
と言っていました。ありがたすぎて涙がにじみました。
野宿する前にわからなかったのは、何が大変って、外で寝ることや寒さなんかじゃないってことです。「苦労してここまで来て、最前列じゃなかったらどうしよう!!」っていう恐怖。それがとてつもないです。
真夜中、寝袋から宙を見上げて「ここで何してるんだろう」って思う。最前列じゃなくてもモリッシー観れるんだし、それでもいいじゃん、と思った。でも!でも!ここまで来たんだから、前にしか道はない、やれるとこまでやらなきゃだめだよ!!とも思う。その繰り返し。極限状況での自分との戦いになる。少しでも迷いがあると負けると思いました。負けてもいいけど、負けたくないな、どうせなら、どうせなら、、なんてったって、モリッシーだよ、おっかさん…と思いながら、起きているんだか寝ているんだかわからない長い時間を過ごしました。
まあ、文句を言えばキリはなくて、高架下はしみついた、何とも言えない、どぶのようなにおいがしました。そこで思い出したのはモリッシーも好きで引用していた、オスカー・ワイルドのこの言葉。
“We are all in the gutter, but some of us are looking at the stars.”
(俺たちはみんなドブの中にいる、でもそこから星を見上げてるヤツだっているんだ)
つーか、星、曇ってるしそもそも鉄道高架下だし、見えんけど!!
夜中に、アポロのサインがいつの間にかMORRISSEYに変わっていました。真っ暗な中で浮かび上がっていて、本当に美しかった。やっと、やっとここまで来たんだと思ってしばし見惚れてしまった。これこそが俺たちが見上げる星なんだって思いました。
Misaさんといろんな話もして、まずは10時ごろ2時間弱、そして2時くらいから2、3時間寝ました。朝の6時頃、高架の上を走る始発の鉄道の音で目が覚めました。「やった!」と思いました。まだまだ待たなきゃだけど、夜さえ明ければ峠は越えたと思ったんです。日本の技術、ワークマンと桐灰マグマでまるで寒くなかった。鉄道の音を聞いても
And when a train goes by it's such a sad sound. It's such a sad thing…
でもない感じの目覚めでした。臭い道路で寝たけどまったく悲しくなかった。すがすがしかった。
そこから運良ければリストバンドをもらえて、一度解散して夕方に再集合となる会場が多いけど、会場による、とMisaさんは言っていました。結論から言うと、運の良いパターンじゃなくて、そこから開場待ちで並ぶ16時までずーーーーーーーーっと高架下です。16時に開場待ち列に行ってもそこから3時間立って待つわけで、もう26時間とにかく待つのですが、朝になってしまえば何の(精神的な)苦労はなかったです。人間には、光が必要なんだと思いました。光こそ希望。
待っている間も、終わってからも、世界中から来たいろいろな人と話しましたが、ほぼ誰もがMisaさんを知っていて、誰もが私に「彼女はスマホをなくした」と伝えてくる。リスペクトと愛と、、そしてみんなMisaさんのことを話す時ちょっとウケてるんです。笑いながら楽しそうに、「彼女はいつもにこやかで楽しそう!」「大好き!」と言ってくる。5年間で、たったひとりで、このポジションを築いた「世界のMisaさん」をまのあたりにし、私は本当に驚きました。そりゃ、今までもMisaさんのことを凄い凄いとは思っていたけど、「凄い」という言葉に押し込めていて、本当に何が凄いかわかっていなかったとわかった。
ひとつひとつの凄さを裏付けているのはすべて、「モリッシーが大好き。だからすべてをかなぐり捨ててやるしかない」というガッツであり、私だったらくじけたり「もういいや」と思ってしまうものもある。Misaさんにはなかなか「もういいや」がない。私は「もういいや」で救われることもあるのでその感覚も大事にしてきたけど、Misaさんはそこでやめたらつかめないその先の光を求めているし、知っている。それで自分もまさに発光しているんだと思った。「私はただ、モリッシーが喜んでるのが好き」と言ってたけど、ミサさんこそ、モリッシーをかなり喜ばせてると思う。誰もが慄くしかない愛。
そんなMisaさんは開場寸前、まさに26時間並んだ後の19時ちょっと前、いつものマドンナ様顔ではなく鬼コーチ、または戦場のオスカルみたいな精悍な顔になって「かいなってぃー!先に入った私は気にしないで。自分が行けるとこを目指して行って!!」と言って、先に飛び込んでいった。
私はうなずくしかなかった。Misaさんの5番後、スマホを検査機に通さないから怒られたり、走り込んで怒られたり、とにかくセキュリティーに怒られて会場に入った。記憶は飛び散り、気づいたら最前列右側にいた。信じられない。隣にいたJohnに「ここ、いい場所?」と聞いたら「いいよ!そりゃいい!!」と太鼓判を押してくれた。
来た。本当に来たんだ。その時の、呆然自撮り↓
少し後ろにいた、モリッシー本作者のDickie Feltonが撮った写真に私がいたw↓
©Dickie Felton
柵から身を乗り出すと、反対側でミサさんが手を振っていた。
来れた。Misaさん、ありがとう。
Misaさんは笑顔で、やっぱり発光していた。