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音楽家社長 鴻池薫の音楽活動&レッスン記、思う事等 徒然日記
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1/14 孤独のモーニング ドトールコーヒー北千住

2023-01-14 13:25:06 | 鴻池 薫の孤独のグルメ
1月14日(土)8:45
孤独のモーニング
ドトールコーヒー北千住

今日はそのうち雨になるという。


先日のジェフ・ベックの訃報には本当に衝撃を受けた。


高校時代に、兄が持っていたヤードバーズのLP で
ジェフズブギーを聴いてそのテクニックに魅力され、つたないコピーをして、文化祭で下手なりに弾いた。


当時のリアルタイムは、第二期ジェフ・ベックグループで、あと付けで第一期のアルバムを買った。

1973年5月14日、
BBAで初来日して、武道館に見にいき、口に何やらチューブを加え不思議な音でスーパーシティションがオープニングで始まるコンサートにド肝を抜かれた。
後でそれはトーキングモジュレーターだと知った。


高校3年にジャズに興味がわき、
ロック熱はちょっと収まったが、ジェフ・ベックがクロスオーバーし、ブロウ・バイ・ブロウをリリースした時、待ってました!と喜んだ。
渋谷ロフトにあったレコード店で運良く買えたが、その後しばらく品切れになっていた。


1975年8月7日、

後楽園球場で開催されたワールドロックフェスティバルにジェフ・ベックがモータウン系のウィルバーバスコム、バーナードパーディ、そして旧友マックス・ミドルトンを帯同してまたやって来た。
何故かかなり早い時間に演奏が始まり、曲目はブロウ・バイ・ブロウの曲中心だった。
全てインストルメンタルだったが、観客は手拍子で熱狂した。


後で体調最悪だったと知った。
四人囃子も出ていて、後日キーボードの坂下秀実さんは、
あれは本当に凄かった と言っていた。


高校時代、私にとって男のアイドルは、アントニオ猪木とジェフ・ベックだった。


あの鋭い目つきに共通性を感じ、それが好きだった。
兄に、何か似ていないか?と問いかけたら、全く同じじゃねーか! と言っていた。


アントニオ猪木は1976 年モハメド・アリと真剣勝負をし、プロレスを超えた闘いに挑み、総合格闘技のアイコンになった。


ジェフ・ベックはロックを超えギター音楽の新しい世界を確立した。
フュージョンが流行したのは、ラリー・カールトンやリーリトナー、アル・ディ・メオラがいたからではない。
ジェフ・ベックがクロスオーバーに参戦したからに尽きる。

ジェフ・ベックは、全てのエレクトリックギターのアイコンであり、感性だけでなく質も兼ね揃えた全ての音楽のアイコンでもある。


もう、二人なき今、
どちらもそのようなタイプのヒーローは現れないのではないだろうか。


合掌。

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