映画「純黒~」の感想です。いつもどおりネタバレ全開ですので未見の方はご注意を。
雑感は一つ前の記事で書きましたので、今回はひたすら哀ちゃんに特化した感想となります。というか私の心の叫びです。
今回の映画、前情報や広報では「安室VS赤井」を猛烈に推していましたし、特に安室君に関してはまさに出ずっぱりの大活躍でした。しかし私はあえて言いたいと思います。今回は哀ちゃんとキュラソーの映画です!
映画の情報が解禁された当初「オッド・アイのゲストキャラ」でラムを連想させたものの「さすがに映画での対決は無い」し、中の人が天海祐希ということで「この人をレギュラーで引っ張るなんて無理だからどうせラムじゃない、単発ゲストだろ?」とか言っていたあの頃の私を全力で張り倒したいくらい、キュラソーは素晴らしい役でした。そして今回、哀ちゃんとキュラソーの二人関係はこれまでの20年間(正確には17年ですが)で灰原哀というキャラクターの成長の全てが描かれていたんじゃないかと思いました。
キュラソーと哀ちゃんについてはすでに辛抱たまらず書いた二本の小話(「彼女の変化」「あの人に」)で自分の中ではある程度消化した感はあるんですが、それでも映画を見て数日った今でもこの二人については色々と考えます。
もしかしたらキュラソーというキャラクターが「哀ちゃんのある種の投影」として設定されたんじゃないかと思うほどに、今回の二人の行動は様々なところでリンクしていきます。後ほど改めて言及しますが、キュラソーの最期の瞬間に視線を交わしたのは哀ちゃんです。コナンでもなく、安室でもなく、哀ちゃんだったということが、今回の映画の私にとっての全てだった気がします。
というわけで出来る限り順を追いながら具体的な感想を書いていきたいと思います。
哀ちゃんの登場はいつもの様に探偵団&博士と休日を楽しみに来たところから始まります。今の哀ちゃんにとって、こうやって彼らと出かけることが本当にさり気ない日常になっているんですね。それは組織から逃亡して「灰原哀」となってから哀ちゃんが自分自身で創り上げてきた居場所であるんだなあと、この日常が哀ちゃんにとってどれほど大事なのかと考えずにはいられません。
しかし一方で哀ちゃんの大事なこの日々は実は一つの石で簡単に崩壊してしまうほど危ういものなんですよ。そしてその石として突如哀ちゃんの目の前に現れたのがキュラソーでした。
コナンがさり気なく声をかけた記憶喪失の外国人女性、もはや当然のようにコナンや探偵団たちと彼女の記憶を戻す手伝いをする哀ちゃん。そしてその女性が探偵団の子供たちと接することでリラックスすることに当初は優しい笑顔を向けているんですよね。
ま、しかしそれはそれとしてこのあたりの安定の相棒ポジションかつ探偵団の保護者なコ哀は素晴らしいです。それからキュラソーを保護した時の診察する哀ちゃんも良いです。最近「医療担当」という立ち位置がすっかり明確になりましたね。とてもいいと思います!コナンに言われてキュラソーの匂いを嗅ぐ仕草とかもうね!あああ!可愛いいいい!!!とニヤケが止まりませんでしたよ。いつも本当にありがとうございます。ごちそう様です。
あと何人かの方が書いていらっしゃいますが、この時の哀ちゃんのお召し物、めちゃくちゃ可愛いですよね!!!もうコナンと一緒にこのままパーティーでも行っちゃえばいいのに!みたいな「対な雰囲気」は何なんでしょうね。
とりあえず私の中ではこの哀ちゃんとコナンの服は有希子ママから「たまには二人でデートしてきなさいな♪」というコンセプトで送られてきたということで脳内補完しておきたいと思います。
そして元太の元気が溢れすぎてキュラソーがスーパーアクションを披露したところで灰原センサー発動。事態を鑑みて哀ちゃんは早急にコナンにその事を告げます。哀ちゃんのこういう判断力は流石ですよね。灰原センサーに動揺しながらもやるべき行動をきちんと選択できる彼女はすごいです。
もしかしたら「ラム」かもしれないという可能性をふくめ、コナンと対応を協議する哀ちゃんですが、対組織において基本的に押せ押せのコナンに対して、安全第一主義な哀ちゃんの意見は真っ二つ。しかし今回はいつもにまして「探偵団の安全」ということを主張します。
以前のようにただ組織に怯えて逃げる事ばかりを考えるんじゃくて、「大事なものを守るためにどうするのか」を考えるようになったんだなあ、と思いました。
で、激論している両親コ哀の目を盗んで悪ガキどもはキュラソーと観覧車へ。元太を助けたこともあってさらに仲良くなってる探偵団とキュラソー。子ども達に「笑った方がいい」とか「スタイルが良い」とか褒められて戸惑いつつも嬉しそうです。考えてみればその特殊能力ゆえに組織で殺されかけ、そして生かされていた彼女にとって能力以外で褒められることなんてなかったのでしょう。この辺りは本当にシェリーと被ります。
しかしまあ君たち、電話をかけてきたコナンたちに「出たらどうせ怒られるぜ」ってそれは後でさらに怒られるスパイラルだからやめとこうね。
観覧車の途中で記憶を取り戻しかけて苦しむキュラソーが病院に搬送されて、今日の所はいったん解散となるわけですが、哀ちゃんはいつになく子どもたちに冷たい態度でキュラソーと引き離そうとしますが、コナンがキュラソーに近づくことは止めません。まあ止めても無駄だと思っているのかもしれませんが、子どもたちは彼女と接触しているところを組織にみられると危険だからですが、子ども達に危険が及ばないためにもコナンには彼女について一定の情報を取ってもらわないといけないからでもあります。これまではとにかく組織から距離を置こうとしていた哀ちゃんが冷静に状況を分析できるようになっているんですよね。これはコナンへの信頼もあるでしょうし、コナンが事件に突っ込むならば子供たちは自分が守るという役割分担、つまり自分の居場所を哀ちゃんがきちんとつくってきた、ということだと思います。
水族館からの強制帰還させられて不満げな子供たちは博士とポアロへお茶をしに、そして哀ちゃんは「疲れたから」と自宅に帰ります。今度は自分が探偵団との接触をさけるということもあるんでしょうが、やっぱりショックだったんでしょう。きっと一人になってグルグルといろんなことを考えたんでしょうね。
記憶を失って組織から来たキュラソーが探偵団と出会って少しづつ変わっていったことを哀ちゃんはどう考えたんだろうか、と思うとすごく切なくなります。能力ゆえに利用され、能力ゆえに疎まれてきたキュラソー、組織から抜けることで初めて能力以外の評価をうけて、組織では価値がないとされた「優しさ」に触れたキュラソー。同じように組織をぬけて探偵団に出会って変わってきた自分のことを考えたことでしょう。今回、哀ちゃんは探偵団やコナンを守るために一生懸命ですが、キュラソーに対しては大きなアクションは起こしません。哀ちゃんにとって恐怖であり憎しみそのものである組織の一員であるにもかかわらず、ほぼ流れに任せる放置の姿勢を取っているのは、キュラソーのことを哀ちゃん自身もどうしていいかわからないからなのかな、と思いました。
一方キュラソーは探偵団の子供達からイルカのストラップをもらいます。いや~ここで来るのがイルカというのは本当に意味深ですよね。かつて子供達と触れ合い始めた哀ちゃんは自分のことを「サメ」と評していました。そして人気者の「イルカ」を日に当たる存在である蘭に喩えていたんですが、でもこれは蘭だけじゃなくて探偵団の子供達や博士達もそうなんですよね。組織の中で息を潜めていたサメだったシェリーが焦がれたイルカを、キュラソーが持つ。この演出はちょっと鳥肌でしたよ。
そしてウソ予告の哀ちゃんがコナンを引き留めるシーン。良いシーンでしたね!円盤が出たら擦り切れるほど再生する自分の姿が見えました!
「危険だ」と止める哀ちゃんに「前にオメーに言ったようにオレも運命から逃げたくねーんだ」というコナン。ここでこのセリフを持ってきますか!!かつてバスジャックの時に哀ちゃんに言った名台詞ですよ。そしてフーリガンやお尻のマークの時と哀ちゃんが岐路に来るたびに、彼女に力を与えてきたフレーズです。これはもうちょっとね、とても珍しいことを言わせてもらいます。コナン君よく言った!カッコ良い!!いや~ここのコナン君はとても素晴らしかったです。
この言葉に逡巡しながらもコナンの手を離す哀ちゃん。でもきっとそれは自分だけじゃなくてキュラソーも助けてほしかったんじゃないでしょうか。コナンがかつて自分に手を差し伸べてくれたように彼女も救ってほしかったからこそ、手を離したんだと思いました。
で、ここまで見た時に「あ、これで今回の哀ちゃんの出番は終わりかな」と思ったこと、私は灰原ファンとして哀ちゃんを見損なっていたことを心よりお詫び申し上げます。ごめん、哀ちゃん!!
東都水族館にとまる一台のタクシー。その中からは犯人追跡眼鏡のスペアを使う哀ちゃんが登場した時、比喩ではなく体が乗り出しましたよ。
だってまさかの哀ちゃん、登場!!
ああ、彼女はここまで強くなったのか!と思いました。
そして何よりも自分から逃げない道を選んだ彼女が愛おしいと思いました。
コナンを送り出してから哀ちゃんは何を考えたかは描かれてません。でも私はきっとキュラソーに会いに来たんだと思います。自分の中にキュラソーを見て、きっと哀ちゃんはもっとキュラソーを理解したいと思ったんじゃないでしょうか。
とはいえ途中で子供達がゴンドラの中に閉じ込められているのを見てそちらの救出に向かう哀ちゃん。そして組織から今度は自分の意思で逃亡をはかったキュラソーと鉢合わせます。一緒ににげようというキュラソーにまだ子供達がゴンドラにいることを告げますが、声には「一緒に助けて」という懇願の響きがあるように聞こえました。そしてこの時哀ちゃんにはきっとキュラソーが子供達を優先してくれることがわかっていたのでしょう。哀ちゃんにとって子供達が宝物であるようにキュラソーに取ってもそうだと。
二人で子供達のところに行こうとするも思うに任せない中、キュラソーが囮をかって出ます。それを見送って彼女の行動を無駄にせずすぐに子供達のところに向かいます。この時哀ちゃんにはもう彼女と二度と会うことがないことはわかっていたでしょう。もしも逃げ延びたとしてもキュラソーに待っているこれからの辛い日々も。でも探偵団の子供達を守るために前を向く哀ちゃんはとても凛々しかったです。
子供達のゴンドラに辿り着く哀ちゃん。おおおおお!なんというヒーローポジション!観覧車が可哀想なことになってる間も、ずっと歩美ちゃんを抱きしめてあげる哀ちゃん。私が歩美ちゃんでも恋に落ちるわ!!!
そ いよいよ絶対絶命のピンチになった時に観覧車に飛び込んでくる一台のクレーン車。運転しているのはキュラソー、そして彼女の最期に一瞬二人の視線が交差します。きっと二人にはお互いの思うことが全て分かったんだと思います。だからこそ切ない。哀ちゃんの声のない慟哭が痛かったです。これまで哀ちゃんを見てきてここまで彼女が辛いシーンは無かったように思います。明美さんとは別ベクトルで哀ちゃんには消えない傷になるんでしょうね。
でもら今回の映画を見てるときっと哀ちゃんはこの事もより超えて、もっと成長していってくれると信じる事もできます。
ラスト、燃え焦げたイルカを見て絶句する哀ちゃんの横で「燃えたのは記憶媒体じゃなくて思い出だよ」というコナン。ここもよかっです。この一言でキュラソーの事をわかってくれる人が自分以外にいた事が哀ちゃんが知った事は彼女にとって大きな救いになると思います。よく言った!!
以前某メイトさんで「名探偵コナンは灰原哀の成長物語だ」というキャンペーンがありましたが、本当にその通りだなと思う映画でした。
哀ちゃんについて長々と書いてきましたが、私にとっては間違いなく哀ちゃんが主役の映画でした。私が大好きな哀ちゃんをこれからもずっと応援しようと改めて胸に誓いましたよ。灰原万歳!!!
雑感は一つ前の記事で書きましたので、今回はひたすら哀ちゃんに特化した感想となります。というか私の心の叫びです。
今回の映画、前情報や広報では「安室VS赤井」を猛烈に推していましたし、特に安室君に関してはまさに出ずっぱりの大活躍でした。しかし私はあえて言いたいと思います。今回は哀ちゃんとキュラソーの映画です!
映画の情報が解禁された当初「オッド・アイのゲストキャラ」でラムを連想させたものの「さすがに映画での対決は無い」し、中の人が天海祐希ということで「この人をレギュラーで引っ張るなんて無理だからどうせラムじゃない、単発ゲストだろ?」とか言っていたあの頃の私を全力で張り倒したいくらい、キュラソーは素晴らしい役でした。そして今回、哀ちゃんとキュラソーの二人関係はこれまでの20年間(正確には17年ですが)で灰原哀というキャラクターの成長の全てが描かれていたんじゃないかと思いました。
キュラソーと哀ちゃんについてはすでに辛抱たまらず書いた二本の小話(「彼女の変化」「あの人に」)で自分の中ではある程度消化した感はあるんですが、それでも映画を見て数日った今でもこの二人については色々と考えます。
もしかしたらキュラソーというキャラクターが「哀ちゃんのある種の投影」として設定されたんじゃないかと思うほどに、今回の二人の行動は様々なところでリンクしていきます。後ほど改めて言及しますが、キュラソーの最期の瞬間に視線を交わしたのは哀ちゃんです。コナンでもなく、安室でもなく、哀ちゃんだったということが、今回の映画の私にとっての全てだった気がします。
というわけで出来る限り順を追いながら具体的な感想を書いていきたいと思います。
哀ちゃんの登場はいつもの様に探偵団&博士と休日を楽しみに来たところから始まります。今の哀ちゃんにとって、こうやって彼らと出かけることが本当にさり気ない日常になっているんですね。それは組織から逃亡して「灰原哀」となってから哀ちゃんが自分自身で創り上げてきた居場所であるんだなあと、この日常が哀ちゃんにとってどれほど大事なのかと考えずにはいられません。
しかし一方で哀ちゃんの大事なこの日々は実は一つの石で簡単に崩壊してしまうほど危ういものなんですよ。そしてその石として突如哀ちゃんの目の前に現れたのがキュラソーでした。
コナンがさり気なく声をかけた記憶喪失の外国人女性、もはや当然のようにコナンや探偵団たちと彼女の記憶を戻す手伝いをする哀ちゃん。そしてその女性が探偵団の子供たちと接することでリラックスすることに当初は優しい笑顔を向けているんですよね。
ま、しかしそれはそれとしてこのあたりの安定の相棒ポジションかつ探偵団の保護者なコ哀は素晴らしいです。それからキュラソーを保護した時の診察する哀ちゃんも良いです。最近「医療担当」という立ち位置がすっかり明確になりましたね。とてもいいと思います!コナンに言われてキュラソーの匂いを嗅ぐ仕草とかもうね!あああ!可愛いいいい!!!とニヤケが止まりませんでしたよ。いつも本当にありがとうございます。ごちそう様です。
あと何人かの方が書いていらっしゃいますが、この時の哀ちゃんのお召し物、めちゃくちゃ可愛いですよね!!!もうコナンと一緒にこのままパーティーでも行っちゃえばいいのに!みたいな「対な雰囲気」は何なんでしょうね。
とりあえず私の中ではこの哀ちゃんとコナンの服は有希子ママから「たまには二人でデートしてきなさいな♪」というコンセプトで送られてきたということで脳内補完しておきたいと思います。
そして元太の元気が溢れすぎてキュラソーがスーパーアクションを披露したところで灰原センサー発動。事態を鑑みて哀ちゃんは早急にコナンにその事を告げます。哀ちゃんのこういう判断力は流石ですよね。灰原センサーに動揺しながらもやるべき行動をきちんと選択できる彼女はすごいです。
もしかしたら「ラム」かもしれないという可能性をふくめ、コナンと対応を協議する哀ちゃんですが、対組織において基本的に押せ押せのコナンに対して、安全第一主義な哀ちゃんの意見は真っ二つ。しかし今回はいつもにまして「探偵団の安全」ということを主張します。
以前のようにただ組織に怯えて逃げる事ばかりを考えるんじゃくて、「大事なものを守るためにどうするのか」を考えるようになったんだなあ、と思いました。
で、激論している
しかしまあ君たち、電話をかけてきたコナンたちに「出たらどうせ怒られるぜ」ってそれは後でさらに怒られるスパイラルだからやめとこうね。
観覧車の途中で記憶を取り戻しかけて苦しむキュラソーが病院に搬送されて、今日の所はいったん解散となるわけですが、哀ちゃんはいつになく子どもたちに冷たい態度でキュラソーと引き離そうとしますが、コナンがキュラソーに近づくことは止めません。まあ止めても無駄だと思っているのかもしれませんが、子どもたちは彼女と接触しているところを組織にみられると危険だからですが、子ども達に危険が及ばないためにもコナンには彼女について一定の情報を取ってもらわないといけないからでもあります。これまではとにかく組織から距離を置こうとしていた哀ちゃんが冷静に状況を分析できるようになっているんですよね。これはコナンへの信頼もあるでしょうし、コナンが事件に突っ込むならば子供たちは自分が守るという役割分担、つまり自分の居場所を哀ちゃんがきちんとつくってきた、ということだと思います。
水族館からの強制帰還させられて不満げな子供たちは博士とポアロへお茶をしに、そして哀ちゃんは「疲れたから」と自宅に帰ります。今度は自分が探偵団との接触をさけるということもあるんでしょうが、やっぱりショックだったんでしょう。きっと一人になってグルグルといろんなことを考えたんでしょうね。
記憶を失って組織から来たキュラソーが探偵団と出会って少しづつ変わっていったことを哀ちゃんはどう考えたんだろうか、と思うとすごく切なくなります。能力ゆえに利用され、能力ゆえに疎まれてきたキュラソー、組織から抜けることで初めて能力以外の評価をうけて、組織では価値がないとされた「優しさ」に触れたキュラソー。同じように組織をぬけて探偵団に出会って変わってきた自分のことを考えたことでしょう。今回、哀ちゃんは探偵団やコナンを守るために一生懸命ですが、キュラソーに対しては大きなアクションは起こしません。哀ちゃんにとって恐怖であり憎しみそのものである組織の一員であるにもかかわらず、ほぼ流れに任せる放置の姿勢を取っているのは、キュラソーのことを哀ちゃん自身もどうしていいかわからないからなのかな、と思いました。
一方キュラソーは探偵団の子供達からイルカのストラップをもらいます。いや~ここで来るのがイルカというのは本当に意味深ですよね。かつて子供達と触れ合い始めた哀ちゃんは自分のことを「サメ」と評していました。そして人気者の「イルカ」を日に当たる存在である蘭に喩えていたんですが、でもこれは蘭だけじゃなくて探偵団の子供達や博士達もそうなんですよね。組織の中で息を潜めていたサメだったシェリーが焦がれたイルカを、キュラソーが持つ。この演出はちょっと鳥肌でしたよ。
そしてウソ予告の哀ちゃんがコナンを引き留めるシーン。良いシーンでしたね!円盤が出たら擦り切れるほど再生する自分の姿が見えました!
「危険だ」と止める哀ちゃんに「前にオメーに言ったようにオレも運命から逃げたくねーんだ」というコナン。ここでこのセリフを持ってきますか!!かつてバスジャックの時に哀ちゃんに言った名台詞ですよ。そしてフーリガンやお尻のマークの時と哀ちゃんが岐路に来るたびに、彼女に力を与えてきたフレーズです。これはもうちょっとね、とても珍しいことを言わせてもらいます。コナン君よく言った!カッコ良い!!いや~ここのコナン君はとても素晴らしかったです。
この言葉に逡巡しながらもコナンの手を離す哀ちゃん。でもきっとそれは自分だけじゃなくてキュラソーも助けてほしかったんじゃないでしょうか。コナンがかつて自分に手を差し伸べてくれたように彼女も救ってほしかったからこそ、手を離したんだと思いました。
で、ここまで見た時に「あ、これで今回の哀ちゃんの出番は終わりかな」と思ったこと、私は灰原ファンとして哀ちゃんを見損なっていたことを心よりお詫び申し上げます。ごめん、哀ちゃん!!
東都水族館にとまる一台のタクシー。その中からは犯人追跡眼鏡のスペアを使う哀ちゃんが登場した時、比喩ではなく体が乗り出しましたよ。
だってまさかの哀ちゃん、登場!!
ああ、彼女はここまで強くなったのか!と思いました。
そして何よりも自分から逃げない道を選んだ彼女が愛おしいと思いました。
コナンを送り出してから哀ちゃんは何を考えたかは描かれてません。でも私はきっとキュラソーに会いに来たんだと思います。自分の中にキュラソーを見て、きっと哀ちゃんはもっとキュラソーを理解したいと思ったんじゃないでしょうか。
とはいえ途中で子供達がゴンドラの中に閉じ込められているのを見てそちらの救出に向かう哀ちゃん。そして組織から今度は自分の意思で逃亡をはかったキュラソーと鉢合わせます。一緒ににげようというキュラソーにまだ子供達がゴンドラにいることを告げますが、声には「一緒に助けて」という懇願の響きがあるように聞こえました。そしてこの時哀ちゃんにはきっとキュラソーが子供達を優先してくれることがわかっていたのでしょう。哀ちゃんにとって子供達が宝物であるようにキュラソーに取ってもそうだと。
二人で子供達のところに行こうとするも思うに任せない中、キュラソーが囮をかって出ます。それを見送って彼女の行動を無駄にせずすぐに子供達のところに向かいます。この時哀ちゃんにはもう彼女と二度と会うことがないことはわかっていたでしょう。もしも逃げ延びたとしてもキュラソーに待っているこれからの辛い日々も。でも探偵団の子供達を守るために前を向く哀ちゃんはとても凛々しかったです。
子供達のゴンドラに辿り着く哀ちゃん。おおおおお!なんというヒーローポジション!観覧車が可哀想なことになってる間も、ずっと歩美ちゃんを抱きしめてあげる哀ちゃん。私が歩美ちゃんでも恋に落ちるわ!!!
そ いよいよ絶対絶命のピンチになった時に観覧車に飛び込んでくる一台のクレーン車。運転しているのはキュラソー、そして彼女の最期に一瞬二人の視線が交差します。きっと二人にはお互いの思うことが全て分かったんだと思います。だからこそ切ない。哀ちゃんの声のない慟哭が痛かったです。これまで哀ちゃんを見てきてここまで彼女が辛いシーンは無かったように思います。明美さんとは別ベクトルで哀ちゃんには消えない傷になるんでしょうね。
でもら今回の映画を見てるときっと哀ちゃんはこの事もより超えて、もっと成長していってくれると信じる事もできます。
ラスト、燃え焦げたイルカを見て絶句する哀ちゃんの横で「燃えたのは記憶媒体じゃなくて思い出だよ」というコナン。ここもよかっです。この一言でキュラソーの事をわかってくれる人が自分以外にいた事が哀ちゃんが知った事は彼女にとって大きな救いになると思います。よく言った!!
以前某メイトさんで「名探偵コナンは灰原哀の成長物語だ」というキャンペーンがありましたが、本当にその通りだなと思う映画でした。
哀ちゃんについて長々と書いてきましたが、私にとっては間違いなく哀ちゃんが主役の映画でした。私が大好きな哀ちゃんをこれからもずっと応援しようと改めて胸に誓いましたよ。灰原万歳!!!
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