亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

死ぬことよりも

2014-05-15 | 読書

 

法話会に行ったら、一冊の小冊子をくれました。「終の住家での看取り」という見出しでした。

昨年6月に金沢東別院で東京大学名誉教授が講演された物を纏めたもののようです。

それを読んで思ったことを少し書いてみたいと思います。

死に対する恐怖心は年を重ねるごとに薄らいでくるようです。自分のことより子供たちが上手くやっていけるだろうかということがやたらと気になります。その子供はというと、少しも関心がないようだ。相続のことを話しても全く聞く耳を持たない。「お父さんが死んだらここに法名をしまってあるからね」と言っても鼻で笑っていて中身を確かめもしない。財産のことを話しても「ああそうなの」といった具合でそれ以上聞いてこない。

 

苦労知らずの息子たちは親が死んだらどうするつもりなのだろう。死ななくてもアルツファイマーになったら面倒見てあたるのだろうか。なったらなったで施設へ放り込めばよい。なんて考えていてもこの頃どこの施設も満員の状態だそうだ。仮に入れたとして、それには多額のお金が必要。妻は私に、死んだら自分で分かるわけでもなし心配するなというけど……やっぱり気になる。

 アルツファイマーになったら親のありがたさが初めてわかるだろう。そうなってからでは遅いのだが。

病院で死ぬ、自宅で死ぬ、よりも先に解決しなければならないことがあるようだ。



 

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「うつぎの花が咲いたらタケノコは盛りだよ」

と母がいつも言っていた。

タケノコももうそろそろ終りのようです。

家内は里の母に「ダンバナ」教えられ、それがこの花の名前だと長い間信じていたようです。

「ダンバナ」とは段々に咲くからという。

「ほら段々に咲いているでしょう」

本当かなあ。

 

コメント (2)
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