今日の法話は一休さんの話だった。
一休和尚が野良仕事をしているとき、村人が呼びに来ました。
一休和尚は野良着のまま出かけました。
「和尚さん。いくら何でも野良着ってことないでしょう。ちゃんとお坊さんのかっこうをしてきてもらわないと」。
一休和尚は「そうか」。と言ってお寺に帰り、今度はキンピカの豪華な衣装で現れました。
お勤めが終わると、和尚さんは、やんわりとその衣装を脱ぎ、丁寧に畳んでそこに置きました。として言いました。
「皆さんが呼んだのは私ではなくこの衣裳のようですね」。
一休和尚は、ふんどし一貫で帰ったのでしょうか。
耳が悪いので正確には分かりませんが、大体このようなお話だったと記憶しています。
その後、副住職さんが後ろからお話しされました。
「キリスト教では、神様が人間に食べ物を与えました。牛や羊でした。牛や羊は神様がくださった食べ物だから殺して食べてもいいそうです。でも、鯨やイルカは神様がくださったモノではないので殺してはいけないそうです。
キリスト教徒でない人は人間ではないので殺してもいいのだそうです。」
それで、分かりました。クジラやイルカを獲ってはいけないと騒いでいるわけが。
クジラやイルカは大量の魚を食べます。そのため、人間の食べる魚がどんどん減っていきます。とんでもない悪者です。それが何で捕っていけないのでしょうか。
イギリスやフランスが世界中の国を攻め滅ぼしてきたのも合点がいきました。
キリスト教徒こそ攻め滅ぼすべきじゃないのか。
今日は講師の話より副住職の話の方が勉強になりました。
副住職が前へ出てこなかったのは、誰かが何かを質問したのでしょう。
耳の悪い私はそのいきさつがよくわかりません。