能登半島地震から早2カ月が過ぎた。
あっちこっちでひびわれができた。
古い写真を見ると、やはり道路面にひび割れが写っている。
能登半島地震で出来たもんだとは限らない。
古いものは間に泥が詰まっている。
新しいものはひび割れの底が見えない。
それで区別がつく。
ところが最近その新しいひび割れが広がってきているように見える。
底が見えるようになってきた。 所によっては段差ができている所もある。
その昔、伯父が言ってた。
「一升桝は叩くもんじゃないよ。叩くといくらでも米が入る。叩かずさっと手で均すだけでけでいいんだ」
おそらくお米をはかる時私は一升桝をポンポンと叩いていたのだろう。それを見た伯父が注意してくれたのだろう。
道路の中心ではもっと広がっている所もあるが、車通りが多いために撮影はできなかった。
震源地から100キロ以上あるというのに内灘町では家や電柱が傾いている所があるという。
砂丘は海側は砂がしまっていて堅いが河北潟側は海岸の砂が飛んできて降り積もった所で地盤や柔らかいのだそうだ。
それで一升桝のように地面が簡単に揺すられて被害が大きくなるのだとか。
あっちこっちで地面が波打っている所がある。
時間が立つととんどん広がってそのうち車が通れないところが出てきそう。
道路の下に空間ができていつ沈下するか分からない。
すでに沈下して補修している所もある。
奥能登ではあっちこっちで仮設住宅ができて金沢に避難してきた人たちがどんどん帰って行ってるそうだ。
四月には謡曲教室が開けるかもしれないと報告があったと先生から手紙が来た。