丸岡城天守閣
現在残っている天守閣の中で最も古く、昭和9年1月30日、国宝に指定されたが、昭和23年6月28日、福井大震災で倒壊、昭和25年8月29日、国の重要文化財に指定され、昭和26年12月復元に着手、用材は80%近く古材を使用し、昭和30年3月30日修復復元された。
階段は急で、ロープに摑まって上る。
3階からの展望
鯱
昭和23年の福井大震災で棟より落下、現在のような形で残っている。
現在の鯱は木製。
丸岡城の瓦は6000枚の石瓦で葺かれており、重量は120トン。
丸岡城八幡神社
天守閣の上り口にある。
人柱お静の 墓
丸岡城の築城の際、石垣が何度も崩れるので、人柱を入れたらどうかとの意見が出た。丁度その時、二人の子供をかかえて苦しい生活を送っていた、片方の目が見えないお静という女が選ばれた。
お静は我が子が成人したときに侍に取り立ててもらうことを約束して、人柱になることを決意し、天守閣の下に埋められた。
しかし、その約束は果たされることはなかった。
お静の霊は、これを恨んで、毎年、年に一度の藻刈りをやる卯月のころになると春雨で堀の水があふれ、人々は“お静の涙雨”と呼び小さな墓を立て霊をなぐさめた
牛ヶ島の石棺
当地方は第26代継体天皇(即位前の御名を男大迹王という)の御母振媛の出身地といわれ、立派な棺である事から、振媛縁の豪族のものではないかと考えられる。
何も知らない村人は幟竿の控石として使っていた。