亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

浦島太郎

2013-04-10 | 学問

金沢能楽美術館藤島秀隆館長は今年3月で退館されました。最後の講義は「御伽草子の世界」。

御伽草子とは、南北朝時代から江戸時代初期にかけて作られた。多くの散文体の読み物。今回はその中で子供向きのお話。

その中で一寸法師、浦島太郎の話を取り上げて話された。

一寸法師の話は知っている通りだったが、浦島太郎はちょっと違っていた。

昔丹後の国に浦島という者がいた。その浦島太郎は年の頃24,5歳の青年漁夫であり、毎日海に出て魚を取って父母を養っていた。ある日釣りに出た太郎は、ゑしまが磯という所で、一匹の亀を釣り上げた。太郎は亀に向かい「鶴は千年、亀は万年といって寿命の長ものだ。今すぐ、ここで殺してしまうのはかわいそうなので助けてやる。いつもこの恩を忘れるな」といって、この亀をもとの海へ返した。
 翌日、浦の方へ出かけて釣をしようと思い、ふと海上を見ると沖の方に小舟が一艘浮かんでいた。怪しいと思って立ち止まったまま見ていると、美しい女が一人で小舟に乗って海岸に漂着した。太郎が事情を聞くと、女は暴雨のため難船したことを語り、さめざめと泣きながら「私を本国へ送ってほしい」と頼んだ。情け深い太郎は承諾してその小舟に乗り、この女の教えに従ってはるか10日余りの船旅を続け女の故郷へたどり着いた。そこは白銀の築地を築いて、金の屋根瓦を並べ、門を建てた豪華な宮殿であった。太郎は女のポロポーズに同意して夫婦の契りを結び明け暮れ過ごした。女はここが龍宮城であることを語り、四方に四季の景観を現わした宮殿内を案内した。
 太郎は栄華な生活に満足しているうちに3年間が経過した。ある時、太郎は故郷に残した父母のことが気になり、30日の暇を願い出た。女は太郎との別れを嘆きながら来生の再会を約束し、「私は竜宮城の亀ですが、以前ゑしまが磯で命を助けられた恩返しのために美女と化して、あなた様と夫婦になったのだ」と打ち明け、左の脇から美しい形見の箱を取り出し「決して開けてはならない」といって渡した。二人は会者定離と知りながら別れた。
 太郎が帰郷して見ると、人の往来した跡はすっかり絶えて、虎がすむような荒れはてた原野と変わっていた。近くに粗末な小屋があったので訪れ、80歳くらいの翁に浦島一家の行方を訪ねると、すでに700年も前のことだといわれ、太郎はたいそう驚いた。自分の墓石まで立てられるのを見て、太郎は涙を流した。そこで絶望した太郎は、一本の松の木陰に立寄り、思わず玉手箱を開けると中から紫の雲が三すじ立ち上がって、たちまち若さを失い老人となってしまった。
 その後、浦島は鶴の姿になって大空へ飛び上がっていった。浦島の年齢は亀の計らいで、箱の中にたたみこめられていたので、年齢をとらなかったから700年の寿命を保つことができたのであった。鶴になった浦島は蓬莱の山で亀と再会した。めでたいたとえにも「鶴亀」といわれているのだ。人には情があり、情のある者は必ず将来にめでたいことがあるものだ。さて、後に浦島太郎は、丹後の国に浦島の明神としてあらわれ、人びとを救った。また、亀も同じ場所に神としてあらわれ、夫婦の明神として崇められた。(渋川版による)

これは、先生が数ある浦島伝説を短くまとめた解説文です。

亀は海岸で子供たちにいじめられていたのではないんですね。乙姫様とは亀の化身だった。竜宮城とは海の底とはどこにも書いてない。

下の文は館長さんの講義資料の一部を拝借したもの読めますか?

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これを江戸時代の子供たちがごく普通に読んでいたと言う。現代の大人でも読むのは大変です。
内容は以下の通りだ。

むかしたんごの国に、うらしまというもの侍りしに、その子にうらしま太郎と申して、としのよはひ二十四五のおのこ有けり。あけくれうみのうろくづをとりて、ちちははをやしないけるが、ある日のつれづれに、つりをせんとて出でにけり。うらうらしまじま、入江入江、いたらぬ所もなく、つりをし、かいをひろひ、みるめをかりなどしける所に、ゑしまがいそという所にて、かめをひとつつり上げける。うらしま太郎此のかめにいうやう、「なんぢしゃう有るものの中につるは千年、かめは万年とて、いのちひさしきものなり。たちまちここにていのちをたたん事、いたわしければ、たすくるなり。つねには此おんを思ひいだすべし」とて、此かめをもとのうみへかへしける。

館長さん、いろいろためになるお話有難うございました。

今後もますますのご健勝であられることを心よりお祈りします。

コメント
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