先日、ある施設でお坊さんのお話を聞く機会が有った。
最初に正信偈があがった。お年寄りのための施設なので皆さんご存じだ。合唱が始まった。お坊さんの話だから当然なのだが。
こりゃ真面目な話だぞと思った。ところが、坊さんの挨拶が始まってしばらく、懐からスマホが顔を出した。普通なら講義中だから保留にするか場所を移動してそっと用事を聞くところだが。
堂々とその場で受話器を耳に当て、手帳まで持ち出してメモを取る。何て行儀の悪い講師なのだ!どうやら、お葬式の依頼が舞い込んだようだ。
そして今日の話はその葬式の話・・・。
「皆さん、お葬式には祭壇を飾りますね。そして真ん中に遺影を飾ります。最近はその遺影に、経歴が流れるようになっていることがあります」そうなのです。写真ではなくモニターなのです。
随分進化しました。
「祭壇の真ん中に写真を飾ると言うのは良くないんですよ。何故かと言うと、その後ろにご本尊様がいらっしゃいます。肝心のご本尊様が見えなくなります。皆さん。どうです。ご本尊様に向かって手を合わせますか。そうではないですね。皆さん写真を見ていらっしゃいますね。ご本尊様じゃなしに。これっておかしいんじゃない?私は家族に言ってあります。自分が死んだら写真は祭壇の隅っこに飾ってくださいと。」言われてみればそうかもしれない。
そしてその後は・・・。自分の身内の話?
「姉がガンの告知を受けました。今は家族ではなく本人に言うらしいですね。告知された本人より旦那様がショックを受けて、ガタガタとなってしまい大変でした。人は字のごとしお互いに支え合って生きています。そしてその片方がいなくなると途端に生きていけなくなってしまいます」男は奥さんが亡くなると相当ショックを受けます。が、女性は、亡くなった当初はショックを受けて泣き崩れますが。しばらくすると元気が出て「いなくなってせいせいした。誰に気兼ねもせず好きなことができるわ」と返って元気が出る。と家内が言っていた。
「手術の方法は、1、何々。2、何々。3、何ない。と、家族ではなく本人に選ばせます。かりに間違いがあっても、『私は知りません。本人が希望したのだから。』と逃げます。医者は責任逃れをします。これって、どう思います・・・」。
私も前立腺がんの手術を受ける時に念書を取られた。「病院側は安全のために最善を尽くしますけど、1万人に2人位亡くなることがあります。そうなった場合は病院側では責任を取りかねます。そのことを理解してください。」といったようなことを書いてある。一瞬不安になる。さて、署名していいものやら。その1万人に2人のうちに入ったらどうしよう。何て言ってたら手術をしてもらえない。
「ほっといたらあと半年の命ですよ」と言われたらそれは恐いですよね。「死んでもいいから手術してください」とお願いすることになります。
仏さまの話でなく、そんな話だった。