かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

夫婦は他人だったという思いを噛み締めています

2018-06-11 19:55:02 | ブログ記事
昨日、今日と夫は帰宅していましたが、夕方、また大阪に帰って行きました。

夫は、独り暮らしが楽しいそうです。

私は、楽しいとまではいかないですが、これから楽しまなくてはね。

が、私は、夫のように五体満足ではないから、気軽に出かけて人と会うとかいう楽しみはもてません。

今まで通り、本を読んだり、ブログを書いたりが楽しみの主流だと思います。

昨日も書きましたが、

独りで暮らしていると、

亡くなった人たちが、とても身近に感じられます。

ことに、母は今年亡くしたばかりですので、切実に。

独りになってみると、

母に守られ、夫に守られして、生きてきた私と思います。

年取れば誰でもそうなりますが、

私を守ってくれていた人々が年々いなくなっていきます。

母方の祖父母、叔父、叔母、父方の祖父、伯父二人、

さらに同胞(はらから)の兄。

たった一人の兄弟であった兄を早く亡くしたことは大きな誤算でした。

結婚当初は決してやさしいばかりではなかった義母も今頃になると懐かしく思い出されます。

夫の伯母さん達にも、ずいぶんよくしていただきました。

もうみ~んな此の世からいなくなってしまいました。

私が守らないといけない子供、孫はできましたけれども、もう誰も守ってくれません。

最後の砦だった夫にも出て行かれて、夫は他人だったんだという思いを噛み締めています。

いかん、いかん。

雨の日は、つい感傷的になってしまいますね。

強気の裏には弱気が潜んでいる

2018-06-11 04:58:20 | ブログ記事
それは私のことである。

気の弱い?私は、いつも自分を奮い立たせながら生きている。

だから強気にも見られるかもしれない。

が、この強気もどきは弱気の裏返しである。

一昨日の記事も強気と見られる書き方をしたと思っている。

が、強気は書いているときだけで、昨日は一日弱気というか、鬱気味であった。

夕方、夫が帰宅するというメールが入ったが、私は寝ていた。

夫とは別居してからメールで連絡をとりあっている。

が、メールだから、しばしば行き違いが起こる。

お互いにこの程度に書けば通じるだろうとはしょって書くが、それが誤解の元になったりする。

メールでも夫は怒ってくる。

「なぜちゃんと連絡してこないか」とか。

こちらは連絡しているのに、夫がきちんと読んでいないことが原因であることが多いのだが、
それがわかっても、夫は謝らない。

私に連絡漏れなどの手落ちがあったときには激しく怒るのに?

別々に暮らしているから怒鳴られることからは逃れられているけれども。

それにしても、なぜ夫は他所の女性達にするように私に優しくできないのだろう。

昔は私にだけ特に優しい人であったのに?(苦笑)

それは下心があったから?(笑)

夫も年取ってきたから、難聴の私と話すのは疲れるのだろう。

それで余計おこりやすくなっているかもしれないと思ったりするときもある。

難聴という障害は、本当にやっかいな障害である。

自分自身も不自由であるが、周囲の人たちにも不自由を強いてしまう。

その意味では、夫と別居していることは正解なのかもしれない。

夫と別居して一人でいると、いつのまにか、あの世に行った人達を親しく思い出している。

それで、

苦しまず行けるのなら、今すぐにでもあちらに行きたいと思ってしまう。