かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

つくづく歳を感じる

2018-06-29 17:28:07 | ブログ記事
3日前イギリスから帰国した翌日の、一昨日の夜、

夜行バスで郷里の高知に帰省した。

それもただの帰省ではなく、

大阪梅田のバスターミナルから高知県安芸市まで行き、

そこから土佐くろしお鉄道で南国市の後免駅まで戻り、

後免駅から歩いて南国市役所で戸籍謄本をもらって、

今度は路面電車で高知市の実家まで行った。

今年一月に母が亡くなってから、その相続の手続きが完了していないから
わざわざ帰省したのに、
実印も必要という連絡がなかったから、持参しなかったため、
また次回に持ち越しになった。

兄嫁が今週中に戸籍謄本が必要というから帰国早々に帰省したのに、
肩透かしだった。

が、文句を言っても始まらない。

それにしても、私も疲れやすくなった。

昨日は安芸駅で土佐くろしお鉄道に乗り換えて、ブログを書いていると
いつのにやら眠り込んでしまっていて、
通学途中の高校生に後免駅で肩を叩いて起こしてもらって慌てて降りた。

今日も、大雨の中、高知駅前で、朝8時過ぎの高速バスに乗ったのだが、
乗り込むやいなや、すぐに眠ってしまった。

こんなにすぐに眠りに落ちる私は、
海外への一人旅など物騒で、できそうもない。

やっぱり歳かなあ。

そうそう今日の高速バスは珍しく満席であったが、
若い乗客が大半であった。

その中で、老人の仲間入りをした私の、
バスへの乗り降りのどんくさいこと。

若い人たちのように、さっと立ち上がれないし、
立ち上がっても、さっさと降りることができない。

バスの手すりをもって慎重に降りないといけない。

今年亡くなった母のしぐさが私にオーバーラップする。

母が生きていれば、超高齢の母との比較で、
自分を若干わかく感じていたが、
超高齢の人間が消えてしまえば、

なんのことはない。

私も老人だったという厳然たる事実を突きつけられるのみだ。

*

(追伸)昨日は蒸し暑かったせいで、余計疲れたようでした。

6月22日湖水地方・・・ウィンダミア湖クルーズ

2018-06-29 05:38:55 | ブログ記事
西北さんに、イギリスは寒い?暑い?と質問いただいていましたが、それが今回の旅行の支度の悩みどころでもありました。

悩んだ結果、春服も夏服も入れたため、結構な嵩の荷物になりました。

が、向こうではお天気に恵まれたこともあり、寒い思いは一度もしませんでした。

強いていえば、いちばん寒く感じたのが、イングランド最南端のセブンシスターズ観光のとき、曇っていたことと風の強さから肌寒さを覚えたというくらいでした

心配した湖水地方は、晴天で風もなかったので、心地よさのみが記憶に刻まれました。

ということで、今日は湖水地方のご報告です。

バーミンガムのホテルを8時に出発した私達は湖水地方に行く途中でアフタヌーンティーを。



よくイギリスのドラマで見る光景が目の前に現れてドラマの出演者になったような気分でした。



その後、湖水地方一の街、ボウネス散策。



有名なビアトリクスポターの店もあり、この店でしか買えないものもあるということで、夫は、孫にピーターラビットなどの人形を買いました。



本好きの私は孫の英語の勉強にと英文の絵本を。



このあとウィンダミア湖クルーズまで私達はウィンダミア湖や行楽に訪れているイギリスの人々の様子を見て楽しみました。

異国に旅をして楽しいのは、もちろん、その景色の魅力もありますが、異国の人々の様子を眺めることにもあります。

その後、お約束どおり、クルーズを楽しみました。



暑くも寒くもない季節の湖上を渡る風は、その素晴らしい景色と相まって極楽でした。



レイクサイドで船から降りた私達は、迎えにきたバスに乗り込む前にレイクサイドまで走っている蒸気機関車の駅と機関車を見に行きました。


この建物は何かと眺めていると、駅のトイレでした。

もうトイレまで素敵な湖水地方!

このあとランコーンのホテルに向かいました。

続く

シェークスピアのストラットフォード・アポン・エイボン

2018-06-29 03:04:33 | ブログ記事
続けて書こうと思っていたけれど、イギリス旅行に続けての帰省のため、疲れによる睡魔に襲われ寝込んでしまっていました。

コッツウォルズ地方の次はシェークスピアの生家の残るストラットフォード・アポン・エイボン。

まず、シェークスピアの生家を外から見て、


シェークスピアの子供の頃の部屋はこの写真の三階のように見える屋根裏部屋だったようです。

その後、シェークスピア一家の眠る墓地へ、かなり歩きました。



このあと他の人たちは墓地のある教会に入ったのですが、私達は皆から離れて街の横を流れる川沿いを歩きました。



これが大正解でした。

白鳥が固まって休んでいる場所も見られたし、


地元の人たちの憩う姿も見られました。

ロイヤル・シェークスピア劇場も


ここまではよかったのでしたが、この日は朝から歩く観光が続いたため、このあとシェークスピアの生家に戻って家の中も見学する予定だったのに、私が歩けなくなってしまったのです。

公園の階段に座り込んだ私を見て夫は「ここで動かずにおれ。僕は一人で観光を続けるから」と言うのです。

「え、こんなところに一人でほっとかれるのはいやよ。少し休めばまた歩けると思うから、一緒に休んでくれない?」と頼む私に夫は「時間がもったいない」と言います。

が、結局、少し待ってもらってから一緒に集合場所の近くまで移動した後、夫は一人でシェークスピアの街の観光を続けました。

私も、もちろんシェークスピアの生家の中も見たかったけれども、この日はもう歩くのは無理でした。

このことが発端になり、夕食後、大喧嘩になり、夫は私を殴りました。

たぶん私が夫が私に合わせてくれないことをなじったのだと思います。

それに怒った夫が私をなぐったという図式だったと思いますが、細かいことはもう忘れてしまいました。

連日の強行軍のせいで、お互い気が立っていたのでしょう。

次の日からは、仲直りとまではいかなかったけれども、また普通に旅を続けました。

夫の目一杯たのしみたい気持ちは理解するものの、連れ合いの妻を思いやらない態度には我慢がならなかったのです。それでつい昔はこうではなかったのにと夫に文句を言ってしまったのでしょう。