今日の午後、BSプレミアムで映画『小さいおうち』を観た。
始まったばかりだったが、最初から観られなかったのは少し残念だった。
それほど期待しないで観たせいか、最近になく、感動した。
この映画は、中島京子による日本の小説を山田洋二監督が映画化したもののようだが、
わざわざ小説を読まなくても十分見ごたえがあると思ったが、読むとどうだろう?
物語の主人公タキの晩年の倍賞千恵子の老婆もよかったし、
若い女中さん時代の黒木華も可愛くてよかった。
もちろん奥様役の松たか子もよかったが、
ただ優しい奥様とタキが慕うには、少しキツイ感じは否めなかった。
というより、「松たか子」が抜け切れていないというか。
もう少し優しい雰囲気の女優さんが演じたほうが、もっと原作のよさが活かせたかもしれない。
松たか子は松たか子で素晴らしい女優さんだとは思うけれども、この映画に限っては。
映画を観ながら、
私も結婚前に行儀見習いという、女中の真似事のようなことをしたことを思い出した。
母が、昔は結婚前に、どこか大きな家でしつけをしてもらったものだと言い出して、
当時高知県で一番金持ちと言われていた一族の東京のお屋敷でたった一か月間だけ奉公した。
昨年亡くなった母は、思いついたら、何でも、すぐに実行する人だったので、
その行儀見習いも母の思い付きのせいだった。
奉公したのが、たった一か月間だけだったのは、私が逃げ出したからだった。(苦笑)
家で甘やかされていた私に厳しい女中など務まるはずもなく、たった一か月で音を上げて、
母に迎えに来てもらった。
しかし、たった一か月間でも、ずいぶん貴重な体験をさせてもらえたと思っている。
厳しかったとは言っても、
その家の若奥様は、中高校の先輩であったし、
その家の旦那様も奥様も坊ちゃんたちも、みな慶応卒か慶応幼稚舎に在学中であったから、
兄が慶応大学卒の私は、ほかのお手伝いさん達と比べたら、特別扱いであった。
若奥様は、私には、なんでも話してくれたし、
小学生だった坊ちゃんたちも私には一目おいてくれた。
なにしろ、今朝の記事にも書いたように、私の兄が慶応卒ということが大きかった。
また若奥様のお姉さんは、高知県で初めて東京大学に入学した女性だったらしかったが、
私の父の卒業大学が東京帝大だったこともあり、行儀見習いとはいっても、
ずいぶん大事にされたと思う。
学歴というものは生きていく上で特に必要なものではないが、
しかし、こういうときには力を発揮する?
それでも、早朝からの広いお屋敷の掃除は大変だったし、お風呂は家族皆が出たあとで、
その大きなお風呂(湯舟だけで畳三畳ほどもあった)の掃除もしないといけないのは辛いことだった。
大奥様が時々洋服地などをくださって、洋裁を教えてくださることもあったし、
刺繍などを教えてくださることもあった。
食事の支度のときも、洋風、和風の料理の手ほどきもしてくださったし、
野菜の切り方なども一から教えてくださった。
なにしろ私は、
銀行を退職して、そのまま行儀見習いに入ったから、何もできない女中であった。
思い出してみれば、ずいぶんよくしていただいたと思うが、
朝から晩までの重労働に耐えられなかったのと、
同僚の?女中さんとの付き合いも耐えられなかった。
今までの私の交友関係からは考えられないような人達であったから、
どう付き合えばいいか戸惑うところもあった。
が、過ぎてしまえば、よかったことだけが思い出として残っている。
*
★女中とふ行儀見習ひさせられてたつたひと月のみで逃げ出す
★女中部屋豆電球しか付かざれば夜の読書もできざりしかな
★寝起きするベッドは二段ベッドにて上に先輩女中はをりき
★やすみなく働かされてゐたりけり身体丈夫であらざるわれは
★休日は二週に一度だけなりき行先告げて行かねばならず
★東京に就職してゐし友の住む部屋に転がりこみしわたくし
★限界になりて迎へを頼みしは住み込みはじめてひと月ののち
*
昨日は、ひと月のみと書いたが、よく考えてみたら、三月くらいいたかもしれない。
ひと月だけにしては、たくさんのことがありすぎたから。
始まったばかりだったが、最初から観られなかったのは少し残念だった。
それほど期待しないで観たせいか、最近になく、感動した。
この映画は、中島京子による日本の小説を山田洋二監督が映画化したもののようだが、
わざわざ小説を読まなくても十分見ごたえがあると思ったが、読むとどうだろう?
物語の主人公タキの晩年の倍賞千恵子の老婆もよかったし、
若い女中さん時代の黒木華も可愛くてよかった。
もちろん奥様役の松たか子もよかったが、
ただ優しい奥様とタキが慕うには、少しキツイ感じは否めなかった。
というより、「松たか子」が抜け切れていないというか。
もう少し優しい雰囲気の女優さんが演じたほうが、もっと原作のよさが活かせたかもしれない。
松たか子は松たか子で素晴らしい女優さんだとは思うけれども、この映画に限っては。
映画を観ながら、
私も結婚前に行儀見習いという、女中の真似事のようなことをしたことを思い出した。
母が、昔は結婚前に、どこか大きな家でしつけをしてもらったものだと言い出して、
当時高知県で一番金持ちと言われていた一族の東京のお屋敷でたった一か月間だけ奉公した。
昨年亡くなった母は、思いついたら、何でも、すぐに実行する人だったので、
その行儀見習いも母の思い付きのせいだった。
奉公したのが、たった一か月間だけだったのは、私が逃げ出したからだった。(苦笑)
家で甘やかされていた私に厳しい女中など務まるはずもなく、たった一か月で音を上げて、
母に迎えに来てもらった。
しかし、たった一か月間でも、ずいぶん貴重な体験をさせてもらえたと思っている。
厳しかったとは言っても、
その家の若奥様は、中高校の先輩であったし、
その家の旦那様も奥様も坊ちゃんたちも、みな慶応卒か慶応幼稚舎に在学中であったから、
兄が慶応大学卒の私は、ほかのお手伝いさん達と比べたら、特別扱いであった。
若奥様は、私には、なんでも話してくれたし、
小学生だった坊ちゃんたちも私には一目おいてくれた。
なにしろ、今朝の記事にも書いたように、私の兄が慶応卒ということが大きかった。
また若奥様のお姉さんは、高知県で初めて東京大学に入学した女性だったらしかったが、
私の父の卒業大学が東京帝大だったこともあり、行儀見習いとはいっても、
ずいぶん大事にされたと思う。
学歴というものは生きていく上で特に必要なものではないが、
しかし、こういうときには力を発揮する?
それでも、早朝からの広いお屋敷の掃除は大変だったし、お風呂は家族皆が出たあとで、
その大きなお風呂(湯舟だけで畳三畳ほどもあった)の掃除もしないといけないのは辛いことだった。
大奥様が時々洋服地などをくださって、洋裁を教えてくださることもあったし、
刺繍などを教えてくださることもあった。
食事の支度のときも、洋風、和風の料理の手ほどきもしてくださったし、
野菜の切り方なども一から教えてくださった。
なにしろ私は、
銀行を退職して、そのまま行儀見習いに入ったから、何もできない女中であった。
思い出してみれば、ずいぶんよくしていただいたと思うが、
朝から晩までの重労働に耐えられなかったのと、
同僚の?女中さんとの付き合いも耐えられなかった。
今までの私の交友関係からは考えられないような人達であったから、
どう付き合えばいいか戸惑うところもあった。
が、過ぎてしまえば、よかったことだけが思い出として残っている。
*
★女中とふ行儀見習ひさせられてたつたひと月のみで逃げ出す
★女中部屋豆電球しか付かざれば夜の読書もできざりしかな
★寝起きするベッドは二段ベッドにて上に先輩女中はをりき
★やすみなく働かされてゐたりけり身体丈夫であらざるわれは
★休日は二週に一度だけなりき行先告げて行かねばならず
★東京に就職してゐし友の住む部屋に転がりこみしわたくし
★限界になりて迎へを頼みしは住み込みはじめてひと月ののち
*
昨日は、ひと月のみと書いたが、よく考えてみたら、三月くらいいたかもしれない。
ひと月だけにしては、たくさんのことがありすぎたから。