ショーケンこと萩原健一氏が亡くなられたそうですね。
ショーケンとかのグループサウンドを聞きに行ったことは一回だけあります。
当時、一緒に下宿していた三人娘のうち二人が音楽好きだったので、
誘われて京都の労音に入ったからでした。
音楽好きと言っても、
香川県から来た一人はピアノを本格的に習っていたような人で、クラシックファンでした。
もう一人の静岡から来た子が、こういう軽音楽が好きで、
彼女自身、当時はやっていたフォークソングのPPM(ピーター・ポール&マリー)よろしく
ボーカルで歌っていました。顔は美人には程遠い人でしたが、すばらしい美声でした。
で、こういう人たちと同じ下宿にいた関係上、誘われて、私も聞きに行ったことがあったのです。
記憶に残っているのは、
堺正章や井上順のいたザ・スパイダースとかジュリーのいたザ・タイガースですね。
ショーケンのザ・テンプターズも見たかもしれませんが、あまり印象には残っていません。
ショーケンに関心を持ったのは、その後の彼の出演したドラマなどでした。
私は、母が過干渉な人だったから、テレビでも恋愛ものは見せてもらえませんでしたし、
音楽も、クラシック以外、流行歌などは聞かせてもらえませんでした。
そんな環境に育った私にグループサウンドの演奏は刺激的過ぎました。
卒業した中高も女子ばかりだったから、若い男性の演奏して歌うパワーに圧倒されたのです。
私には珍しく、その日は夜遅く帰ってきました。
すると、ふだんはそんなことは全くないのに、その日に限って、
兄の高校時代の友人二人が私を訪ねてきてくれていたことは、
あとで下宿の小母さんから聞きました。
一人は兄の学年でも秀才で有名だった東大生で、兄の親友でもありました。
その東大生が春休みに同級生の同志社大学生の下宿に尋ねてきて、
その同志社大学の同級生が同じ関西にいる私に会いに行こうと言い出したらしいのです。
それで、その日は夜まで私を待ってくれたらしかったのですが、
私も珍しく京都に遠征していたから、会えずじまいでした。
この二人は、
兄が帰省しなかった夏休みも、受験中の私の応援と言って来てくれたことがありました。
このときは、この二人だけではなく、ほかにも数名。
が、皆さんが応援してくれたにも関わらず、私は受験に失敗したのでした。
と、話が逸れてしまいましたが、
この私が一日中いなかったことが、私の母の耳に入って、あとでずいぶん叱られました。
でも、グループサウンドのサウンドは、田舎者の私を圧倒したことは確かでした。
堺正章も井上順もかっこよかった!
静岡から来た歌姫の友人はザ・タイガースのジュリーにぞっこんで、
当時テレビは下宿に一台しかありませんでしたが、
ジュリーの出る番組は、かじりつきで見ていました。
おかげで、私までジュリーの歌う歌を覚えてしまうほどでした。
「モナリザの微笑」とかは、今でも歌えますよ。(笑)
ご参考→
モナリザの微笑
雨がしとしと日曜日 ぼくはひとりで♬
という歌詞を見ると、あのころを思い出します。
それらには後日談もあって、
その歌姫は、ジュリーにそっくりな他大学の学生に片恋したのでしたが、
その人は、
その歌姫ではない、別の私達の同級生と付き合い始めたのは彼女には残酷なことでした。
その人が付き合い始めたのは、広島出身の顔の可愛い、性格も可愛い子でした。
歌姫は、あんなに歌がうまかったのに、やはり見た目のほうが大事だったのでしょうか?
ショーケンからいろいろ思い出してしまいましたが、みな、今頃どうしているかなあ。
香川県から来た友人だけは、現在も年賀状のやり取りをしていますし、
東京に行ったときにはお宅に伺ったこともあります。
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★労音にグループサウンド聞きに行き会へざりしかな兄の友らに
★春昼を待ちくれ会へず帰りしは兄の友人ふたりなりけり