かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

掃除は家風、あるいは習慣

2019-01-22 19:21:18 | ブログ記事
私の実家は、
父方も母方もお店をしていたから、人の出入りの多い忙しい家でした。

それで、父方のほうはともかく、母方のほうは、あまり掃除を熱心にする家ではなかったです。

祖母(母の母)や大叔母(祖母の妹)や私の母も、あまり掃除が得意でなかったです。

専業主婦だった母の妹の叔母も、どちらかといえば得意じゃなかったです。
お料理は、ものすごく上手でしたけど。

で、そういう家に育ったから、私も掃除が得意でないです。

が、夫の家は、姑がきれいにする人だったから、認知症になるまでは綺麗にしていました。

私の娘は、この姑と一緒に暮らしたから、きれいに掃除します。

二人の息子のお嫁さん達のご実家は、どちらも家中ホテルくらい綺麗にしています。

そこで立場の悪くなるのが、お掃除の得意でない私です。

夫がきれい好きだから、きれいにしないといけないとは思っていますが、
どうしていいかわからないところがあります。

私なりには、お掃除しているんですけどね。

だけど、一日中お掃除するほど熱心にはできません。

体力も続きませんし、ブログも書きたいですし・・・。

それで、今夜は大ゲンカになりました。

誰が見ても、私が悪いのでしょう。

子供たちも、そう思っているでしょう。

そうね、こんな何の役にも立たないブログなんか書いている暇があれば掃除すればと
誰でも思いますね。

でも、どうすればいいか。

本当に、ますます死にたくなります。

と、夫に言うと、夫は「死にたい」という人間は死なないと。

本当に死ぬ人は黙って死ぬものだとも。

って、言われたら、本当に死なないといけないのかしら?

*

関係ないけど、仲良しだった村形明子さんも、お掃除が得意じゃなかった。


義姉の実家は、ご両親が、義姉に言わせれば病的なほどに綺麗好きだったそうで、
義姉は、その反動か、あまりお掃除しないです。

宅配ボックスが届きました

2019-01-22 11:04:27 | ブログ記事

難聴のため、インターフォンの音を聞き逃して、
受け取れないことの多かった宅急便の受け取りのためのボックスが届きました。

今日は夫がいたから、夫に設置してもらいました。

とりあえず下に煉瓦を並べて、その上に置いてもらいました。

この宅配受け取りボックスは、読者のハイジさんにも教えていただいていましたが、
ブロ友の転象さんが具体的にお知らせくださり、

私もネットで調べて注文しました。

思っていたより安価だったので、
これくらいの値段だったら、もっと早く設置すればよかったです。

注文して、たった二日で届くのですから、便利な世の中になりましたね。


ネットで、こうして教えていただけることも便利な世の中になったと思います。

ハイジさん、転象さん、ありがとうございました。m(_)m

これで宅急便の配達の方にも、再配達の無駄足を踏ませることがなくなると思うと嬉しいです。

ドアを開くと、こんな感じです。

中に「印鑑入れ」もついています。

お値段は、11、107円でした。

あと玄関のインターフォンの横に貼る

「不在時は宅配ボックスをご利用ください」

と書かれたステッカーも頼んだから、それも今日届く予定です。

卒婚状態は幸せか否か

2019-01-22 07:20:11 | ブログ記事
私たち夫婦は現在、別居している。

が、必要なときは、夫は帰ってくる。

現在も帰ってきている。

一応名目は、夫が、大阪のマンションで仕事をするためということになっている。

が、自宅にいても、私は一階、夫は2階で、完全に別々に暮らせる間取りになっている。

昨年の春までは、そうしていた。

が、次男夫婦が、お嫁さんの産休を終えて仕事を始めるにあたって、
勤め先に近くて、実家にも近い場所に引っ越したから、
彼らが住んでいた大阪のマンションが空き家になったことからだった。

夫は、前から目論んでいたようだった。

というのが、自宅にいると、いちいち出かけるときに私に言わないといけない。

が、一人暮らしだと、まったく自由である。

自宅にいても、自由に外出していたが、
食事の有無を私に言う必要があることに束縛を感じるようになったようである。

一昨年、昼食の支度をしたのに、急に出かけたり、
夕食の支度をして待っているのに、夜遅くまで帰宅しなかったことがあって、
私が怒ったからだ。

現代は、外食産業が発達しているし、出来合いのお惣菜も充実しているから、
夫は、別居しても、痛くもかゆくもなかろう。

だけでなく、急に誰かと食事をするということも自由にできるから、
むしろ好都合だろう。

家に帰って古女房と一緒に食事するより、
若いテニス仲間の女性たちと一緒に食事するほうが楽しいに決まっている。

私も、夫がいないと楽なことは確かだ。

とにかく24時間、自分の自由に使える。

が、私の場合の不都合は、
いつも書いている通り、
私に聴覚障害があって、自由に他の人と交われないことである。

また心臓に人工弁が入っていて、ふつうの人のようには活動できない。

いきおい、家に籠ることになる。

いえ、もともと私は家に籠るのが好きな人なのです。

じゃ、何の問題もないということになりますが、

しかし、

やはり四六時中、一人というのは、心もとないときもあります。

自由と孤独は表裏一体をなすものですから。

現在は、一人で暮らすだけの体力もありますが、
これからは、どうなるかわかりません。

まあ、その時はその時ですけど、
やはり結論は、できるだけ早く彼の世に逝くことのように思えてなりません。

祖父母も父も兄も母も待っていてくれていると思いますから、
いますぐにでも、そうしたい気持ちです。

体罰

2019-01-21 02:08:32 | ブログ記事
私は親からも学校の先生からも体罰を受けたことはない。

が、体罰は見てきた。

私は中高校は私立を卒業しているが、
父の仕事の関係で香川県高松市に住んでいた一時期、公立小中に通った。

小学校のときは体罰はなかったが、中学では先生が生徒を殴るのは日常茶飯事だった。

宿題を忘れただけで、黒板の前にその忘れた生徒を並べて往復ビンタする先生もいた。

私は、それを見るのが嫌で、登校拒否になりかけた。

が、その往復ビンタする先生も、比較的優等生だった私などには非常に優しくていい先生だった。

が、家でも、親にも殴られたことなど一切なかった私は、
殴られているのを見るだけで竦んでしまって学校に行きたくなくなったのだった。

その後、中学2年のときに編入学した中学校は私立の女子校だったせいもあって、
まったく体罰はなかった。

私は、その後は、安心して学校生活が送れた。

が、学校での体罰は、私の上の子供たちのころも横行していた。

上の2人の子の小学校時代、
娘は女の子なので叩かれることはなかったと思うが、長男は叩かれることがあった。

いま思えば、そんな叩くことではないのに叩く先生だったと思う。

が、それよりなにより、私が子供を叩く母親であった。

自分が親から叩かれたこともなかったのに、私は、自分の子供は叩いた。

あれはどうしてだったろう?

近所のママ友達たちも、よく叩いていた。

一種のムードだったのだろうか?

自分では愛の鞭と思って叩いていたが、果たして?

上の2人の子は年子であったので、子育てに馴れない私には毎日が悪戦苦闘だった。

実家は遠くて、助けてくれる人もいないから、疲労がたまっても休むことはできなかった。

その上、よく来てくれる義母が、来ると姑風を吹かすので、その鬱憤もたまった。

そんなこんなで、よく叩いたように思う。

一番叩かれたのは長女である。

一番最初の子だった長女には必要以上に厳しくしたかもしれない。

期待も大きかったのだ。

だから、長女は私のことが嫌いかもしれない。

体罰がよいか悪いかと聞かれたら、必ずしも悪いとは言えない。

子供には、たしかに叩いてでもわからせる必要があるときはあると思う。

が、いったん暴力を振るうとエスカレートするということはある。

私の場合はそうだった。

少し怒ればよいところを、
怒ることによって、それが口火になって怒りが炎上することがあった。

こどもは可愛くてたまらないのだが、
一人で子育てしていると、息抜きもできなくて、
夕方、体力が切れそうになったころに、私の気持ちも切れることが多かった。

周りを見ていると、近所のママ友達たちも、そういう傾向が見られた。

親が近くに暮らしていて、
ときどき息抜きができていた人は、そんなことはないように見えたから、

一人で頑張っていたお母さんたちは皆そうだったと思う。

言い訳にもならないが・・・。

私の短歌の先生だった河野裕子さんの歌にも、

  君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る

というのがあったから、あのころの子育てには、そういう傾向があった?

河野裕子さんも、
若いころは、経済的にも大変で、心身ともに限界に達することも多かったのだろう。

私も、大阪のマンションを買ったころは、夫も若くて、経済的にも苦しかった。

それも多少は関係したかもしれない。

まあ、そんなこともあったが、子供たちは、みな立派に育ってくれた。

*

★あのころはよく子供らを叩いたり叩くほどではなきことまでを

★子育てに必死でありしあのころのわたしの若さあるひは未熟

★愛の鞭だけならよいが叩かねばならぬことでもなきときもありて

★いま孫が子に叱られてゐるを見ることは辛くて見たくなきわれ

★暴力は連鎖をすると言はれをり子への暴力連鎖するかも


*

昨年のクリスマスに長男の家に行ったとき、長男が、
「鬱は爆発する」というようなことを言っていた。

鬱勝ちな私も、あのころは、一人で奮闘していた子育てに、
鬱が爆発していたのかもしれないとも思う。

この歳まで生きてきて一番楽しかった時期は

2019-01-20 07:31:17 | ブログ記事
まず感動したのは、
最初の子を産んだときですね。

難産だったから、余計に生まれてきてくれたときは感激が大きかったです。

それから、生まれてからも感動の連続でした。

もともと赤ちゃんは好きだったのですが、
自分の子供がこんなにかわいいとは思っていませんでした。

もう私の見る世界が、わが子のことで染まってしまいました。

親になるって、こんなに幸せなことだったんだと確認しました。

次に楽しかった時期は、
年子で生んだ子供たちが小学生になって、
障碍者枠で某一流企業に採用されて働いたころでしょうか。

結婚前、銀行に勤めたときは、
難聴であることを伏せての採用でしたから、
仕事する上で、非常な苦労がありました。

が、今度は、難聴であることを条件にしての採用でしたから、
聞こえないところは周囲の人たちが助けてくれましたし、

仕事内容も、配属された部署が教育部だったから、
銀行時代の、ある意味単調な仕事より、やりがいがありました。

にわか先生になって社員に教える場面もありました。

読み書きをしないといけない場面も多く、
読み書きの好きな私は、仕事しながら勉強させてもらっているような気分でした。

実際、仕事ながら何かを勉強して、それを発表するという機会などもありました。

ある発表会は、女性社員だけによるものでしたが、

そのとき、私は、既に34歳になっていましたが、
他の短大を出たばかりの若い人たちと比べると、
私の発表の仕方は、落ち着いていて断然よかったと
他の男性同僚社員たちに褒められまくりました。

そのせいでもないでしょうが、
同じ部の、他の課の男性からラブレターのようなものをもらったりもしました。

採用されたときに私を担当してくれた人事部の若い社員からも、
その後も、
特別に親切にしてもらいました。

また直属の課長は、真面目な人でしたから、そんなことはしませんでしたが、
隣の課の課長などは、懇親会の時などは、私に付きまといました。

ある意味では、ちょっと問題でしたけど?(笑)

でも、もちろん何もありませんでしたからね。ただモテただけです。(苦笑)

あの頃が私の人生一番のモテ期だったのかも。

私自身は、すでに二人の小学生の子持ちでしたから、
すっかりオバサン気分でしたが、
社会に出ると、まだこんなにモテるんだと、ちょっと感動でした。

この時期、どういうわけか、若い銀行員時代よりもっとモテたかもしれません。

銀行員時代は、ほとんど若い女性プラスお爺さん?の職場でしたし・・・。
若い男子行員は主に外回りするんですよ。(笑)

こういうふうに、仕事以外でも、楽しいことがいっぱいの職場でしたが、
しかし、もともと身体の丈夫でない私は、
仕事と家事の両立が身体に堪えて、だんだん咳が出るようになりました。

今から考えると、心臓弁膜症の悪化だったのですね。

そこへ、折あしく妊娠までしてしまいました。

咳は日増しにひどくなり、
その上、どうしてもほったっらかしになる子に問題も出てきました。

夫は、もう一人子供がほしいと望みましたから、
後ろ髪をひかれる思いで退職して、第3子である次男を生んだのは35歳のときでした。

第2子の長男からは9年ぶりの出産でした。

それからは、ずっと専業主婦でしたが、
また機会があれば、外で働きたいと思っていました。

が、
3人も子がいると、パートの仕事くらいしかできません。

が、パートの仕事というのは、難聴だというと断られるんですね。

短時間の即戦力がほしくて雇う仕事に難聴者は困るのでしょう。

そんなわけで、以後は専業主婦に甘んじましたが、
私自身は、もう一度、外で働きたかったです。

インターフォンの音を聞き逃すので

2019-01-20 04:31:31 | ブログ記事
宅急便の再配達のお願いをすることが多い。

が、郵便局の「ゆうパック」だけは受け取りに行く。

なるべく再配達を避けたいから。

というのが、
再配達をしてもらって、また受け取り損ねたら、申し訳ないから。

昨日も行ってきた。

一昨日、不在票が入っていたから、
昨日行くつもりで、服も着替えていたが、
出る前にパソコンのメールチェックすると、
友人からメールが入っていて、
その返事を書いているうちに行きそびれて、行けなかった。

私にとって、メールは電話替わりだから、こういうこともある。

それで、今日行ってきたのだ。

寒いから、最近は買い物も控えているが、
宅急便は保管の期間を過ぎると送り主に返されてしまうから、焦る。

荷物は、先日の母の一周忌のときのお返しの品だった。

寒かったが、自転車で行ってきた。

郵便局の本局は遠いことと、
荷物が大きかったり重かったりしたときに、持ち帰るのが大変だから。

が、自転車に乗るのは、最近の私には危険が伴う。

以前から聞こえにくいことから危ないことはあったが、
最近は運動能力も落ちているから、危険度が増している。

自転車に乗れなくなったら、こうして受け取りにも行けなくなる。

ゆうパックはこうしているが、

クロネコヤマトとか佐川急便の荷物だったときは、

遠い営業所まで受け取りに行くこともできないから、

再配達のお願いの電話をしてから、

玄関の外に

「在宅していますから、窓を叩いてください」

と書いた白板をおいておく。

と同時に、

私のいる食堂はレースのカーテンも開けて、外から家の中が見えるようにしておく。

外から丸見えになるから荷物を受け取るまでの数時間は落ち着かないし用心も悪い。

トイレにも、おちおち行けない。

もうどうしてこんな苦労をしないといけないかと嘆かわしくなる。

*

★難聴の不便は数々ありぬれどインターフォンが聞こえぬことも

★自宅まで届けてもらふ宅急便受け取れざれば受け取りに行く

★他の人はこんな困難さうざうもせぬとふ困難ここに書きおく

★言はざれば人の苦労は目に見えぬゆゑにブログに書いて知らしむ


私は一日中、読んだり書いたりしていたい

2019-01-19 04:59:47 | ブログ記事
食べなくても生きていけるというのなら、
私は一日中、読んだり書いたりしていてもいい。

が、食べることは休憩になるから必要かもしれない?

また、食べ物、ないし食べることも書くことのモチーフになる?

そういう意味では、食べてもいいかなとも思う。

が、食べることに費やすエネルギー、時間はもったいない。

その時間は全部、読書なり、書くことに充てたい。

とにかく時間が足りない。

私は家事も最小限にしたい。

家事をする時間があれば、本を読んでいたい。

といっても、決して高尚な本ではない。

私の嗜好に合う高尚だったら、高尚な本もいいが、
面白いのは、俗っぽい本のほうだ。

俗っぽいのに、人生を考えさせてくれる本。

さらに贅沢をいえば、俗っぽいのに、不思議に高尚な本。

こんな本って、ありますよね。

いま例を上げよと言われても上げられませんが・・・。

それから、本を読むのと同じように、私は考えるのも好きなのです。

バスに乗って、景色を見ながら、なにかを考えるなんて言うのが最高です。

人は死んでも魂は残ると言われています。

魂だけになったら、何も食べなくても一日中考え事に没頭していられるかと思うと
わくわくします。

だから、私は死にたいのかもしれません。

*

★肉体を脱ぎて魂だけになりただ考へ事してゐたきかな

★此の世には雑事が多くありければ早く彼の世に逝きたしわれは

★神様になりて家族を見守らむ何も食べずに何も為さずに

★考へることが命であるならばなぜ働きて食べねばならぬ


真面目になると鬱になる私?

2019-01-18 20:26:33 | ブログ記事
また少し真面目に短歌をやろうとしていると、
どうも気分が滅入ってくる。

真面目になると、自分の才能のなさが自覚できるから。

というより認められないからと言ったほうが正確かな。

歌はいくらでもできるんですよ。

一晩で百首つくれと言われれば作ります。

だけどね。

私は、ブログアップのスピード見ていただいてもわかると思いますが、
文章も、いくらでも書けます。

これも駄文ですけどね。

まあ要するに才能がないということなのでしょう。

それで苦しむんです。

だから、短歌そのものを止めてしまえばいいのですが、これがやめられない。

好きかって聞かれたら、やっぱり好きなのかもしれない。

でも、上手くなれない。

それでも20年以上やってきたから、人の歌の良し悪しは、ある程度わかる。

と思っている。

のに、自分では、思うような歌が作れない。

他の人のように細やかに詠えない。

また詠いたくない。

私はおおざっぱな人間だから、細やかに詠えないだけでなく、詠いたくもない。

私のような詠い方でもなんとかならないかと思っているけれど、
どうも無理のようだ。

それで鬱になってしまうのだ。

まあ、言い方を変えれば、欲が深いから鬱になるとも言えるかもしれない。

負けたくないのだ。

何に?

結局、「自分自身に」なのだろう。


*

★また鬱になるわたくしか鬱になる心は負けたくなき心なり

★だれかれに負けたくないと思ひつつ最後の敵は己と思ふ

★人の歌みえても見えぬ自らの作りし歌と認めるわれは

★白秋の韻律よき歌よみにつつ黄泉に逝きたる母おもひだす

★亡くなりてのちに完成する母の面影こんやもここにゐるなり

★亡くなりし母がわたしの詠む歌の一番よく読む読者なりしか

★もう少しましな歌人としてわれは見せたかりしよ見栄はりてでも

★安曇野のお菓子をあなたに供へたりあなたの孫のお土産なれば

★生け花を生き甲斐にして最期まで教えることに執念もやし

★亡くなりしあなたに負けぬやうわれは迷はず邁進するよ短歌に

Amazonを騙る怪しいメールが

2019-01-18 05:57:59 | ブログ記事
入りました。

Amazonの使用期限が切れそうになっているという、いかにもの文面でしたが、
友人が最近、
詐欺メールにひっかかりそうになったと言っていましたから、

アマゾンに問い合わせしようとコピーしてみると、
後半が中国語になったから、詐欺メールと確信しました。

最近の詐欺メールは巧妙になってきていますから、
もっと年取ったら、パソコンを使うのも危ないかもしれません。

と思っても、聴覚障害のある私には、パソコンには命綱のような働きがあるから、
やめることは難しいです。

便利だけど、怖い世の中になったものです。

*

★パソコンに依存し命ながらへてゐるわれなれば詐欺は恐ろし

★核家族ふえて老いには恐ろしき詐欺メールなりAmazon騙る

★メール見て盗人(ぬすつと)などと思ひたくなけれど思はなくば騙さる

★守れるは己の頭脳のみなれば認知症にはなりたくあらず

★身体や頭脳が衰へ果つるまへ亡くなりたしと切に思へり

★安楽死法制化してほしいなり認知機能の衰ふるまへ

阪神大震災から24年

2019-01-17 13:08:15 | ブログ記事
もう今日は既に二つも記事を書いてアップしたから、やめておこうと思ったが、

やはり書くことが記録になるから書く。

あの大震災のあったとき、私たちは大阪市内のマンションの最上階に暮らしていた。

地震の直後は、大阪は震度4と出て、家族で、それは違うと言いあった。

なにしろ、住んでいたマンションが倒れるかと思うほどの揺れだったし、
実際、リビングの食器棚は倒れて、大半の食器は割れてしまった。

娘の部屋では本棚が倒れて、娘が大量の本の下敷きになっていた。

とにかく起き上がることもできないほどの揺れであった。

地震のあと、しばらくは、少し揺れても、ものすごく怖かった。

現在住んでいる川西市内の家は、阪神大震災後に建て替えたものである。

地震で半壊になったので、もうひと揺れしたら義母が危ないと建て替えた。

私たち家族も、軽微と言えるかもしれないが、被災したし、義母も被災したと言えるだろう。

が、私の次男の奥さんの実家は、
神戸市の震災の被害の大きかった地域からも近い距離にあるが、
被害はなかったようである。

このことからして、地震というのは、近くであっても、被害は大きく違ってくるということだ。

川西市も被害はあったが、

しかし、

川西市の隣市である宝塚市の被害は、神戸市からは遠いにも関わらず甚大なものであったし、

同じく川西市の隣市である伊丹市の被害も大きかった。

伊丹市では阪急伊丹駅が崩壊したニュースを覚えている人も多いと思う。

宝塚市は、
阪急宝塚線の山本駅あたりとか
阪急今津線沿線の住宅が軒並み倒れていたことが記憶に残っている。

山が崩れて大勢亡くなったのは今津線沿線の仁川駅の近くだったかな?(←もう忘れかけている)

私の夫は、地震の直後にバイクで神戸市入りをして、
甚大な被害を目の当たりにしたようだが、
私は、気の毒すぎて、見に行くことはできなかった。

が、震災から24年経った現在、ほぼ跡形もなく片付いていることは驚異だ。

私は、後世の人たちのために、少しは被害の痕を残しておくべきだと思う。

しかし、そうこう言っているうちに、東海地震、南海地震は明日にでも起こるかもしれない。

*

★ふたむかし以上の地震でありければ痕跡さがすも困難となり

★忘れてはならぬ地震の記憶なり揺られた恐怖いまも身にあり

★語り継ぐことが困難なればなほ被災のあとは少し残さむ

昨日はお昼にお弁当を二つ買って

2019-01-17 08:35:09 | ブログ記事
お昼ごはんも晩御飯もお弁当にしました。

ものすごく楽でした。

だけじゃなく楽しかったです。^^

男の人って、いつもこんなに楽しいんですね。

で、きのう私は何をしていたかというと、

趣味の短歌づくりに没頭しました。

本も読めました。

ブログは、いつも通り。

とにかく自由が謳歌できました。

食事作りって、主婦にとって見えない鎖のようなものですよね。

朝は簡単にパンにするにしても、

お昼も晩も作るって、ものすごく気持ちの上で負担が大きいです。

単に作るっていっても、材料から揃えないといけませんし、
作ったあとの片付け、食べたあとの片付け。
休みなしです。

たまに作るのは楽しいですけどね。

作らなかったら台所も汚れませんから、夫に汚れていると責められることもありません。

もうこれからは毎日お弁当にしようかな?

だけど、冷蔵庫というか、冷凍庫には食材がいっぱいです。

夫がいつ帰ってきても、すぐに食事が出せるようにしてあるのです。

ほんと、急に帰ってきますから。

それを言うと、すぐに、「じゃ、ご飯はいらない」というのですが、
それはできないでしょう。

いや、できないことはないけれど、そうすると、もうまったく夫婦でなくなるような?

それにしても、このごろは便利な世の中になりましね。

主婦がいなくても全然困らないくらい出来合いの料理が充実していますから。

独り暮らしだったら、一人分作るより買ったほうが経済的かもしれません。

と言いながら、今日は巻き寿司を作ろうと、すでに干しシイタケを水に戻しています。

団塊世代 「シニア日記ブログ」カテゴリは新ブログ村へ生まれ変わりました

2019-01-17 08:18:54 | ブログ記事
ということらしいのですが、

私は前のほうが、馴染んでいたこともあったかもしれませんが、よかったです。

新しくなって、ランキングをわざわざ再クリックしないといけなくなったし、
注目記事も新着記事もそうです。

いや見られることは見られるんですが、5件のみですから、少なすぎます。

前は一度にもっと見られて、ブログ村全体が俯瞰できていたのに・・・。

それと、注目記事の更新が遅いというか、昨日のと変わらないというのはなぜでしょうか?

全部の記事を読ませていただくことはなくても、
タイトルだけで、同世代の方々が何に関心を持たれているかがわかり、
毎朝チェックさせていただくことが楽しみでした。

と、私には今のところ、不便なことしか思いつかないのですが、
なにかメリットはあるのでしょうか?

どなたか教えてください。


苺と言えば、やはり苺ミルク

2019-01-16 22:24:22 | ブログ記事
苺と乳製品は相性がいいと思う。

私はショートケーキを選ぶときは、たいがい生クリームの苺ショートケーキだ。

苺がたくさん出回ってくると、苺ミルクにする。

私の父はお酒好きだったが、甘いものも結構好きで、
苺の季節になると、苺にコンデンスミルクをかけて苺ミルクにして食べていた。

母は乳製品がそれほど好きでなかったので、苺ミルクにはしなかったと記憶している。

結婚してからは、義母がコンデンスミルクで食べる苺ミルクを好まなかったので、
牛乳の苺ミルクになった。

嫁いできてからの苺ミルクで思い出すのは、
義母が義父に苺ミルクを出すときは、義父の目の前で、
ガラスの器に入れた苺にブラニュー等をかけてつぶしてあげて、
ミルクをかけてあげて、すぐに口に入れられる状態にして出していたことだ。

まるで赤ちゃんに離乳食を食べさせるかのように?

私の実家では、
母が仕事を持っていたこともあって、そんな丁寧なことはしなかったので、
驚いた。

実家以外の親戚でも、商売をしている家が多かったので、
そんな丁寧なことをする者はいなかった。

母に義母のやり方を言うと、
義母の卒業した高知県立第一高女の卒業生は、そういうことをする傾向があると言った。

そういえば、義母は、私に、「文旦とか八朔のような晩かん類の果物は、
家族に出すときは、剥いてお皿に載せて出しなさい」と言っていた。

第一高女は、だいたいがお金持ちの勉強のよくできるお嬢さんの行く女学校だったので、
卒業後は、よいところにお嫁に行く人が多く、
女学校の教育方針も良妻賢母を育てることだったらしい。

しかし、私は、「いくら良妻賢母でも、
大の大人に出すのに、そこまでしないといけないだろうか?」と疑問に思った。

それはともかくとして、
私たちの子供の頃に苺を苺ミルクにして食べるのは、割合ハイカラな家庭であったようだ。

そういえば、
私の父も、義母も、どちらも洋画の好きなハイカラな人であった。

ということで、
「苺」というお題で、苺ミルクを思い出し、父と義母を思い出してしまった。

父と義母は学年も同じで、父は土佐中学、義母は上記した県立第一高女であったが、
同じころ、同じ高知市内で、それぞれ別の学校に通っていたことになる。

が、二人とも外国に憧れを持つ洋画好きの同級生同士だったのだ。

考えてみれば、なんだかおもしろい。

*

★姑も父も苺にミルクかけ食べるを好む大正生まれ

★外国の映画が好きで新しい映画かかれば駆け付けしかな

★姑も父も洋画で英米語おぼえたらしく英語が得意

★珍しいものを好みて食べてゐた父と姑よく似てゐたり

★贅沢が好きも二人の共通の特徴なりき父と義母とは


旅は生活のメリハリ

2019-01-16 10:29:24 | ブログ記事
最近、私はよくツアーに参加する。

昨年から一人暮らしをしているせいだ。

独りで暮らしていると、生活のメリハリがなくなる。

それを打破するためにツアーに申し込んでいる。

最近のツアーは、私のような障碍者(難聴者)にも配慮してくれて、

事前に届けておけば、要所要所は添乗員さんが個人的に教えてくれるし、
バスの集合時間などは口頭だけでなく、提示してくれる。

それで安心して参加できる。

ツアーに参加するメリットは無数にあるが、
まず私の場合は運動不足が解消される。

それから、話はしなくても、大勢の人と一緒に行動するから、孤独が癒される。

それから、これが一番大きいメリットだが、
私は景色を見るのが好きだから、バスの車窓から景色を眺めているだけで幸せになれる。

さらに興味のあることが学べる。

学生時代は、難聴であることもあって、歴史とか地理が苦手であったが、
実は、私は、これらの科目が好きだったのだと、ツアーに参加すると認識させられる。

中高校時代に、こんなツアーに参加していたら、
私も、歴史、地理が好きな科目になっていただろう。

が、学ぶのは何歳になってもできる。

いま遅ればせながら、勉強させてもらっていると思えばいいのだ。

あ、そうそう忘れていた。

ツアー参加の最大の楽しみは食であった。

食も文化であるのだから、その地方、地方のおいしいものを食べることは
これも立派な学習である。

私は、おいしいものを美味しく味わえるのも、一種の教養だと思っている。

だから、できるだけおいしいものを食べさせてくれるツアーに参加したい。

*

★晩学の助けとなれるバス旅を楽しみてをり運ばれながら

★座したまま景色つぎつぎパノラマで見せてくれるがバスの旅なり

★運転のできぬ私を安全に遊ばせくるる運転手氏は

★目の保養、口の保養をさせてくれさらに笑顔のサービスもつく

★バス内も一期一会のご縁にて午後は馴染みて仲良くなれる

★歌詠みの端くれわれは景色みて湧き来る歌を湧き来るままに

此の世が苦しいほど死が福音になる

2019-01-16 06:51:25 | ブログ記事
私は鬱体質であることもあって、
非常に生きづらい。

そのせいか、大病もたくさんしてきた。

その中でも一番つらいのは難聴である。

十分聞こえないことが、どれだけ惨めなことかは、
年取って老人性難聴になった人には理解してもらえるだろう。

が、これが、まだこれからという年代であれば、
その悲しみは無限大になる。

未来が閉ざされたような気持ちになる。

職業は限られるし、結婚も制約される。

そんな中で、私は親の期待を受けて、人並みの進学をし、人並みの就職をしたため、
筆舌に尽くしがたい苦労をした。

さらに結婚まで、親の期待に合わせて、身分不相応な選択をしたため、
嫁ぎ先での苦労は、今でも思い出して涙するほどである。

こんな無理をしなければ、こんな苦労もなかったかもしれないが、
実家の母の期待が大きかったから、そうならざるを得なかった。

しかし、そのおかげで、身分不相応な人と結婚できたのだし、
子供も、私にはもったいないような子供たちが得られた。

それを思えば、幸せなのかもしれない。

が、もともと鬱に傾きやすい性質を持って生まれているため、
何においても、苦しみが先立つのである。

だから、今も、簡単に死ねる方法があれば、死にたいと思ってしまう。

罰当たりな考えかもしれないが、そのくらい自分の境遇をリセットしたく思う。

このブログは、
こういう私の苦しい境遇を縷々吐き出すためにあるのかもしれないと思っている。


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★此の世には明るき人の書き綴る明るき数多のブログがありて

★明るさを引き立たせるは陰なれば暗きブログの存在もよし

★われよりも暗きブログを読むときに少し明るくなれる我かも

★日の出前もつとも暗くなる時刻ありて暗さは希望なりけり

★幸せの対極にある不幸せこの不幸せこそ此の世の光