かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

昨年の今日執り行われた母の葬儀での私の挨拶を転記します

2019-01-15 10:08:00 | ブログ記事
本日は寒さの中、〇〇〇〇の葬儀に参集いただき、まことにありがとうございます。

〇〇〇〇は、1月11日午前8時頃、高知市内の△△ホテルに、私、長女bikoとともに宿泊中に急逝いたしました。

死因は昨年末より起こしていた慢性心不全急性憎悪というもので、簡単に言えば心不全でございます。

生け花教師であった故人は最期の最後まで生け花に執念を燃やし亡くなりました。

亡くなる十日ほど前の12月29日もT病院の救急治療室のベッドから無理やり退出して、お正月花のお稽古をするため帰宅したほどでございました。

また故人は、家族を思う気持ちも人一倍強い人でございましたので、亡くなる前日は北海道在住の孫一家と朝食を共にするためと、曾孫のピアノの演奏を聴くために、命の危険を冒して外泊許可を得ておりました。

もともと主治医の先生には今年4月までの命と宣告されておりましたが、それより多少早まったかもしれませんが、会いたかった孫一家と一緒に朝食を共にできたことと、北海道のピアノコンクールで準優勝した曾孫の演奏を聴けたことで思い残すことはなかったと思います。

主治医の先生には「大往生でございました」と言っていただきました。

大正14年6月22日生まれで、享年92歳でございました。

今頃は4年あまり前に亡くなりました私の兄である長男に再会していることでございましょう。

冥福を祈りたいと思います。

平成30年1月15日 biko

ーーーーーーーーーーー

(註)一昨年度、北海道のピアノコンクールで2位になった甥の子は、
その後、昨年度は1位の金賞をいただきました。

市原悦子さんも亡くなられたのですね・・・私も早く死にたい

2019-01-14 05:01:56 | ブログ記事
なんか昨年の1月に母を亡くしてから、
テレビを含めて親しく思わせていただいていた人がどんどん亡くなっていかれるような
気がしてします。

樹木希林さんや市原悦子さんは私たちより少しお姉さまという年齢であられたから、
お亡くなりになられたことが、とても寂しく思われます。

市原さんは、晩年、自己免疫性脊髄炎という難病を患われたようで、
最後はお辛い闘病生活であられたことでしょう。

生、老、病、死と言われますが、最後は病気で亡くなられることが多く、
亡くなるまでは人間は苦労の連続ともいえると思います。

私は既に2度、あるいは3度死線をさまよってきていますから、
死ぬときは簡単に死なせていただきたく思います。

今となれば、一度目の心臓弁膜症で死ねていたら現在のような苦労はせずに済んだのにと
思わぬでもありません。

あの頃に死んでいれば、夫も子供たちも、まだ私のことを惜しんでくれたと思います。

その後の大腸癌のときも、現在よりは惜しんでくれたと思います。

精神薬でぼろぼろになっていた時も、まだ心配してくれました。

が、今は、私が亡くなっても、誰も悲しんでくれないかもしれません。

私が死ねば、

夫は、心置きなく他の女性とお付き合いなり再婚ができるでしょうし、
娘は、私などより現在の自分の家族が大切になっていますから悲しむこともないでしょう。

幸せな家庭を持った長男、次男も、私の死を、今はそれほど悲しむこともないでしょう。

長男は小さいころ、甘えん坊の母親っ子だったのですが、現在は我が家に来ることさえ
ほとんどありません。

次男も4歳まで母乳を飲むような子だったのですが、この子も、就職をしてからは、
ほとんど来なくなりました。結婚して子供ができてからは全くです。

子供たちが私を必要としなくなったことは、よいことだと思います。

それだけよい伴侶に恵まれているということですから。

そういう意味では、後の心配をする必要のない私は幸せです。

明日は、昨年、母のお葬式のあった日ですが、
私は、母に、「できるだけ早くお迎えに来て」と頼もうと思います。

私も、もう向こうに行ったほうが幸せかもしれません。

次に生まれ直してくるときは、正常な聴力を持って生まれ直してきたいです。

*

★親しみし人が次々亡くなれる日々に続きてわれも死にたし

★新しく知り合ひ作る気は失せて生きをり早く死にたくあれば

★難聴のすすみし今は難聴のことを新たに言ふさへ嫌で

★寝たきりの歌の友どち死にたしと言へばわれもと応ふるわれで

★歌友もわれもどんなに悪いことせしといふのか此の生き苦しさは

昨年の今日も「コメントありがとうございました」と書いている私

2019-01-13 21:03:50 | ブログ記事
昨年の今日は、
母が亡くなったときにいただいたお悔やみのコメントに対して、

コメントたくさんありがとうございました

と、記事にしています。

昨年の今頃も寒くて、亡くなられた人が多く、火葬場が混雑して
11日に亡くなった母のお通夜が今日13日で、
お葬式は亡くなって4日後の15日だったようです。


今年も、この時期、インフルエンザが流行っていることもあって、
亡くなられる方も多いかもしれませんね。


私も気を付けなければ!

皆様も気を付けてくださいね。


*

★昨年の今日がお通夜でありしこと知らせてくれるGooブログなり

★昨年の今日も寒くて亡くなりし人多かりきと昨年の記事

★昨年の今日は私も風邪を引きその後ひと月なほらざりけり

★亡くなりて後の三日を焼かれずに置かれてありし母の亡骸(なきがら)

★亡くなりし十一日ゆ十五日までの毎日ながかりしかな

突然ですが、東京オリンピックは開催されるのでしょうか?

2019-01-13 15:32:40 | ブログ記事
一昨日、
日本オリンピック委員会会長竹田恒和氏がオリンピック招致で不正を働いたという記事を
読んだところでしたが、

今また、「JOC竹田会長の捜査、長期化か フランス当局」という記事を見ました。

これは開催するのには致命的な出来事ではありませんか?

私は、個人的に最初からオリンピック開催に賛成できませんでした。

東北大震災から日が経っていなかったということが一番大きな理由でしたが、

開催される時期にも懸念しました。

日本の真夏がスポーツに不向きということは日本国民なら誰でも知っていることです。

日本の酷暑に開催されれば、下手をすると死者も出かねません。

外国から大切な選手を預かって死に至らしめたら、日本の信用までがた落ちです。

今からでは無理と言われるかもしれませんが、
私は、開催中止ができるのなら、今からでもするべきだと思います。

かてて加えて、最近は、地震も頻発しています。

オリンピック開催前、最悪の場合はオリンピック開催中に地震が起こることも十分予想できます。

こんな悪条件の中、なぜ開催するのでしょうか?

開催が決まってから、いいニュースは全く聞かれません。

まずオリンピックのエンブレムの不正があったことを発端にして、
利権がらみのよからぬニュースばかりが国民にもたらせられています。

だいたい、オリンピックを開催したくてたまらなかったのは、
この利権で儲けようと目論んで人たちですね。

一国民から言わせてもらえれば、この際、オリンピックは返上していただきたいです。

昨日はたくさんのコメントをいただきました

2019-01-13 08:53:28 | ブログ記事

ありがとうございました。

そのいただいたコメントの中の一つに対しての私のコメント返しに、
今朝、匿名希望の方からご質問をいただきました。


コメントの文中で、

私のブロ友さんのことに関して、こうかかれました。「どのような所が知りたくて、ずっと探していたのでブログで出会うのは凄いご縁ですね。」

これって短歌に関係ある事なんですか?

もし、関係のない質問になっていたら申し訳ありません。
ちょっと意味が分からないのでありました。



わざわざ記事にするほどのことではありませんが、お応えするのに他に方法がありませんから、
記事にします。

上の「 」部分は、最初にコメントをくださった方の書かれた部分です。

それに対して、私がコメント返しをさせていただいたのですが、
ご本人は匿名希望ではあられませんでしたが、
私の他のブロ友さんのお名前を出されていましたので、
その方のことを配慮して、いただいたコメント全文は出しませんでした。

ですから、まったく関係ない方には意味不明のコメント返しになっていると思います。

が、私としては、
このコメント返しは、コメントをくださった方にのみ通じればいいと思いますので、
改めて説明はさせていただかないつもりです。

が、それも不親切ですので、少しだけ。

短歌には全く関係ないお話です。

それから、匿名希望の方のコメントは一応、匿名にさせていただいていますが、
基本、匿名というのは、よほどのことがないと希望されないほうがマナーではないかと
私は思います。

少し前にも、私と同じ団塊世代に属しておられる方から匿名でお願いしますと
コメントいただいたのでしたが、
いただいたコメントの内容は、まったく匿名にする必要のないものでした。

こういう場合、なぜ匿名を希望されるのかな?と疑問に思えます。

こういうブログで使用するハンドルネームそのものが、既に匿名であるのに、
さらに匿名を希望するとは?

と私などは疑問に思ってしまいます。

私は高知県という南国育ちのせいか、
何事もできるだけオープンにしたい質なので、
なんでもかんでも匿名にしてというのは、あまり好みではありません。

写真に関する考えも同様です。

プライバシーを重視しすぎて?、
必要以上にブログアップする写真に対して制限が多くなっているような気もしています。

私は、ブロ友さんであるアメリカ在住のイジーさんのブログの
ご自分、ご家族、すべての方をそのままアップされる態度に好感をもっていますし、

読者になって読ませてもらっている「国際結婚: *道産子みぃのイギリス日記*」の
アップされる写真にモザイクをかけない姿勢に好感を持っています。

話は変わりますが、
私はイギリスやアメリカには歴史的に興味がありますし、
そこに住んでいる人たちには、憧れのような気持ちがあります。

昨年イギリスに行ったのは、私の長年の希望を聞いてもらってでしたが、
夫は、それほどかの国に思い入れがないこともあって、
私ほどは感動もしなかったようです。

夫は、東南アジアに行くのが好きみたいですが、
私は、まず暑さが苦手なので、その段階で二の足を踏んでしまいます。

ひょっとすると、私は前世がイギリス人だったかもしれないし?(笑)、
夫は東南アジア人だったかもしれないと言いあうこともあります。


夫似の娘は、
「お父さんかお母さん、フィリッピン人じゃない?」と聞かれたことがあったようですし、

私の長男は、これはどちらにも似ていないのですが、
身長が185センチもありますし、鼻の孔が欧米人のように縦長です。

ちなみに私も夫も鼻の孔は丸いです。(笑)

コメント欄は非公開にしていますが

2019-01-12 12:21:31 | ブログ記事
それでよかったと思うコメントもありますが、

いっそコメント欄は閉じてしまおうかと思いたくなるような意地悪なコメントも入ります。


たぶん私にブログを書かせない意図でコメントしていると思われますが、

それに負けまいと思う気持ちもありながら、

もうブログなんてやめてしまおうかと思うこともあります。

難聴で、リアルな世界では人とつながりがたい私ですから、
せめてブログくらいは自由にさせてほしいと思うのですが・・・。

コメント欄は、私にとって社会の窓です。

コメント欄にいただく温かいコメントに励まされて書いているようなところもあります。

だから、コメント欄は、承認制にしても、おいておきたいのです。

独り暮らしをしている私が、現在、ブログまでやめなければならなくなることは、
死ねというに等しい。

どうして、こんなに私を嫌がらせるコメントを付けてくるのでしょうね。

公にして、他の皆さんにも読んでいただいてもいいのですが、
コメントしてきている人が、ある程度、推測されるので、しないだけです。

またブログを作り直してもいいのですが、
私も70歳を超えて、新しく事を始めるのがしんどくなっていますから、
どうぞ、私に悪意のコメントは寄こさないでください。

お願いします。


ーーーーーーーーーーーー


上の記事は、読まれた読者の方に、誤解を与えたかもしれません。

が、「あなたのコメントが原因ではありません」と
個人的にお返事できないのがもどかしいところです。

「一日一記事に」というアドバイスもいただきましたが、
このブログは、私の独り言のような役割もありますので、気が向いたら書いています。

ですから、一日に何度も書くこともありますし、書かないこともあるかもしれません。

お忙しい方は、どうぞ読み飛ばしてくださいませ。

また、いつもお読みくださる読者の皆様には、この機会にお礼申し上げます。

難聴の私が独り暮らしで困っていることいくつか

2019-01-12 10:03:10 | ブログ記事
まず難聴のため電話できないこと。

それとも関連しているが、
インターホンの音を聞き逃すことが多いから、宅急便が来ても受け取れないことが多い。

電話については、以前は耳に補聴器をつけてスピーカーフォンで話していたが、
新しく付け替えた現在の電話機は向こうの声はスピーカフォンで聞こえるのであるが、
こちらかはスピーカーフォンで話しても向こうに届かない仕組みになっているから、
結局スピーカーフォンはあって、なきがごとくである。

そのため、私は誰とも電話で話すことができない。

インターフォンも、以前、私は玄関の外に人が来ると、
家の中で光って音楽を奏でる機器を家の中の何か所かつけていたが、
自宅裏のワンルームマンションの住民の方からうるさいと苦情が出て、
夫が外してしまっただけでなく、そのいくつかあった機器を全部捨ててしまったから
お手上げなのである。

また買えばいいかもしれないが、また苦情が入ると困るし・・・。

それ以外は、一人暮らしでも困ることはあまりない。

自分の時間が自由に使えることは、むしろ有難い?

この機会に歌もいっぱい作ろうと思う。たくさんの駄作、万歳?(笑)


*

★難聴の独り暮らしで困るのは人が来たとき気づけぬことなり

★玄関の人の気配を察しして楽を奏でる機器を付けしが

★音楽がやかましいとぞ苦情きてすべて捨てたりお助け機器を

★難聴でなければ一人がむしろよしされど聞こえぬことは危険も

★これからはいかに生きるか考へる施設に入ることも含めて

★結局は独りで生まれ独り死ぬ夫がゐても子供がゐても

昨日の関ヶ原の”ダイニング天満”の記事

2019-01-11 08:50:50 | ブログ記事
お客さんの顔が写っているというコメントが入ったので、
いったん表から消して下書きに保存しました。

もちろん、私も、わざわざ知らない人のお顔を写したりはしませんが、
しかし、被写体に写りこんでしまうことはあります。

この場合、遠景で、誰かが特定できないほどの小ささなら問題ないでしょうが、
たまたま知った人が見たら特定されるかもしれないという程度のサイズのもあります。

そういうケースを、

他の方のブログを拝見していると、
そのままにしていられる方もいらっしゃいますが、
顔の部分に何かを張り付けていらっしゃる方もいらっしゃいます。

私は、個人的な好みで、こういう顔に何を張り付けた写真が嫌いです。

自分の顔にもしてほしくないです。

そんなことをされるよりは記事に顔を出した写真を載せられたほうがましです。

もちろん大写しは嫌ですけどね。(大写しを出すことは通常考えられませんが)

プライバシーは、もちろん大切ですが、
あまりにもやかましく言うと返ってぎくしゃくするような気がするのですが、
私の考えは時代遅れでしょうか?

テレビのニュースなどに写りこんでしまった人たちはテレビ局に文句を言いに行くでしょうか?

「鶴瓶の家族に乾杯」などで偶然撮影されてしまった人はNHKに文句を言うでしょうか?

私は、ブログでも、顔を隠さないで出しているブログに好感を抱きます。


さらに持論を展開すれば、人の写りこんでいない写真は、基本つまらない。

短歌も、基本、そうです。

景色を詠っていても、そこに人の気配があるから秀作になるのです。

感受性は人それぞれでしょうが・・・。


こういうコメントがあると、うっかり景色も写せなくなる?

昨年の今日、1月11日に母が亡くなりました

2019-01-11 06:17:48 | ブログ記事
便宜上、1月6日(日)に一周忌を済ませましたが、
本当の命日は今日、1月11日でした。

昨年の記事→「母が亡くなりました」です。

1月11日の夜明け前に亡くなっていました。

「昨年の昨日の夜、1月10日」(←昨年の記事)には、一緒にホテルの夕食をとったのに、
朝には動かない人になってしまっていました。

昨日のツアーでは、母のことを思い出しながらバスに揺られていました。

もともと昨日のツアーに申し込んだのも母の命日に一人で家にいたくなかったからでした。

独りでバスに揺れれているほうが、母のことを思い出すことに集中できます。

昨年の昨日の夜は、母はホテルの夕食を「おいしい、おいしい」と言って食べました。

なら、私も今年の昨日は「おいしい、おいしい」と、ご馳走を食べようと思いました。

ハンバーグでしたから、それほどご馳走でもなかったかもしれませんが、
その後、豪華なイルミネーションを観たことは母への供養になったと思います。

私がおいしものを食べ、きれいなものを見ていれば、母が喜ぶと思うから、それが供養です。

旅行することが何より好きな母でしたから、私も、せいぜい旅行しようと思います。

と言っても、できる範囲でですが・・・。

*

★亡くなりし母を喜ばせるために旅して食べるわれならなくに

★昨年のきのふ郷里で夕食をともにせし母死にしは今日で

★午前四時すでに呼吸を止めてゐたかもしれなくて母は死にたり

★引き取るの言葉のままに引き取りし母は息吐くことができずに

★大往生せしと主治医は言ひしかどわれには今も惜しき命で

★耳悪しきわれの発見おそすぎて母は助からざりしでなきか

★いまわれがわが母になり旅をして食べて楽しむ供養のために


*

昨年の今日の記事にコメントくださった皆様、ありがとうございました。

改めて読ませていただきまして、感謝の気持ちでいっぱいです。

三重県長島町の”なばなの里”のイルミネーション

2019-01-10 23:34:24 | ブログ記事


いっぱい写してしまったから、適当に流して観てください。


到着したのは、まだ明るさの残る午後4時半ころでした。

最初に観たのは「ベゴニアガーデンです。


中は温室になっています。

垂れ下がって咲いている球根ベゴニアが圧巻でした。


こちらはフクシアという花だそうです。


いい匂いがすると思ったら百合の花がいっぱいでした。



こちらは普通のベゴニアの花ですね。


温室だから、南国風ですね。


名前は確かめませんでしたが、また違う花がハンギングされていました。


池水がゆっくり回っているから、水に浮かべられた花がゆっくり回ります。

憎い演出ですね。

ベゴニアガーデンの温室を出て、

光のトンネルに来ました。


光のトンネルを出たところです。


富士山のイルミネーションです。


次々演出が変わって、富士山の景色が変わります。これはお祭りですね。


また違う富士山です。

ここで富士山のイルミネーションを離れます。

池水に映ったイルミネーションも綺麗でした。


午後6時半ごろまで観て、またバスに乗って川西に戻ってきたのですが、
早寝早起きの私は、遅い帰着のバスの中で、眠ってしまっていました。

川西に着いてから添乗員さんに起こしてもらうまで前後不覚になって寝込んでいました。

起こしてもらわなかったら、西宮まで連れていかれるところでした。

が、バスツアーは、こうして起こしてもらえるから安心ですね。(笑)

昼食は関ヶ原”鉄板ダイニング天満”でした

2019-01-10 22:58:27 | ブログ記事

今日のツアーは三重県桑名市の長島リゾートの「なばなの里」のイルミネーションを見るのが目的だったので、
集合時間が川西駅前バスターミナルに10時20分という遅めだったこともあり、
昼食は午後2時半という遅い時間でした。

多賀大社から昼食会場のある関ヶ原に行く途中に見えた伊吹山を車中から撮影してみましたが、
走行中のバスの中からの撮影は失敗だったかな。

伊吹山は雪を被って真っ白だったから空の色に溶け込んでしまったようです。

写っている黒っぽい山の後ろ側でしたが・・・。

雪を被った富士山のように神々しく見えましたが、観ていただけなくて残念。

そうこうしているうちに、昼食会場の岐阜県不破郡関ケ原町の”鉄板ダイニング天満”に到着。
この写真のこちら向いている人はお店の人だから、この写真はこのままにしますね。

お昼は疾うに過ぎて、午後2時半になっていたから、おなかはペコペコです。


焼いてくれるのは若い女性です。やはりコックさんというのかしら。

私は赤ワインを注文しました。

焼いてくれているのはハンバーグです。

私は近江牛のステーキが食べられると思って申し込んだけれど、ハンバーグステーキ?


焼きあがりました。

おいしかったけれど、

これだけ?

と思っていたら、今度は薄切り肉を焼いてくれています。

紙の上で焼いてから、お鍋に移すのですね。

焼いた牛肉を、すき焼き風に、たれに浸して焼いて(煮て?)います。


焼けたお肉をお皿に入れてくれてから、牛肉を煮た汁で炊いたようなご飯も出ました。

卵が添えられているは、やはりすき焼き風に食べるためですね。

最後は関ヶ原名産の麩を使ったデザートです。

出来上がりました。

紅茶と一緒にいただきました。

その後、店内に置かれてあった鎧を撮影。

さすが東西分け目の戦のあった関ヶ原の近くのお店だけあります。

ついでに外の景色も写しましたが、外の池は、もともとあった池でしょうか?それとも?


(続く)

今日はバスツアーで滋賀県から岐阜県、三重県まで行きました

2019-01-10 22:05:38 | ブログ記事
川西能勢口駅前バスターミナルの近くの道路で乗車。

座席は一番前のドライバーの後ろの席であったから眺めがいいです。

向こうは猪名川に架かる呉服(くれは)橋です。

が、呉服橋は渡らないで、手前の阪神高速の小花インターに入った模様。

スマホの操作をしていた私が気づいたときは既に高速道路を走っていました。

一番最初に行ったのは滋賀県犬上郡豊郷町にある金亀酒造さん。





酒蔵カフェで苺スイーツをいただいてから、


昔からの製法で作っているというお酒造りの説明を聞きました。
(私はよく聞き取れませんでしたが・・・)

彦根藩主、井伊家の命で作り始めたそう。

空きっ腹にお酒の試飲は効きました。(笑)

次は読者のハイジさんのご近所の多賀大社へ。


あいにく、どんより曇っていました。

鳥居の横に多賀大社のご祭神が書かれてあったから撮影。


広い立派な境内です。


私は、今年は近所の氏神様にも初詣しそこねていたから、ここで遅い初詣をさせていただきました。

毎年、初詣のあとは、御神籤を引くことにしているから、

今年はこの多賀大社を参拝してから、おみくじを引きました。

残念ながら、末吉でした。


おみくじには、

★風さはぐ 秋の夕べは 行く船も いりえしづかに宿を定めよ

とありました。

「熟慮してなお心定まらず心中不安なり。自らの心を知り後他人の心を思いやれ。もし急いで私利私欲に走れば産は傾き人望地に落ちる。人とともに力を合わせてすることは宜しく運ぶ。その時は船頭多くして船山に登らぬよう確かな人を取り立てその言葉に従えばさわりなし。」


〇病気 治療怠れば長引く
〇縁談 多くを望めばなりがたし
〇金言 捨てる神あれば拾う神あり

だそう。

要するに身を慎めということなのでしょうね。


(続く)

歌を詠むことしか生きる術のなきわれの詠草没にせし人

2019-01-09 15:51:23 | ブログ記事
歌会に行くと出詠してあった私の歌を詠草集に入れてくれていなかった
①歌を詠むことしか生きる術のなきわれの詠草没にせし人

②歌会(かかい)には出ても聞こえぬわたくしは歌誌校正をさせていただく

③校正に行けば私にことさらに菓子を配らぬ歌人がゐたり

④意地悪が度重なれば校正に行くが辛くて行けずなりたり

⑤わたくしの詠草没にせし人が私に菓子を配らぬ人で

⑥意地悪をされてゐるとは思ひたくなけれど何度もあれば思ふも

⑦歌を詠む人は優しき人ばかりなどと思ひしわれの浅はか

難聴の私の参加できる歌会はインターネット歌会だけ
⑧難聴のわれの参加の可能なる歌会(かかい)でわれに発言するなと

⑨批評とは褒めるだけではあらざるを褒めざるわれの批評を非難

⑩月詠を出してゐぬ者ひとの歌批評するなどもつてのほかと

いま現在、北方領土返還より沖縄を奪われないようにすることのほうが大事

2019-01-09 10:28:07 | ブログ記事
朝ネットのニュースを見ていると、

北方領土返還に対してロシアが突きつけてくる条件は「在日米軍の撤退」とあった。

私は、これは絶対飲めない条件だと思う。

ただでさえ中国に狙われている尖閣列島を含む沖縄を、
もし在日米軍が撤退したら、どんなあくどい手で奪いにくるか。

現にフィリッピンの島などは奪われてしまったのではなかったか。

私は日本も軍隊を持つ必要があると思うが、
戦後の悪しき教育のせいで、憲法第九条を御旗のことく信奉している人たちがいる限り、
持つことができない。

軍隊を持たない国が、どれだけ脆弱かは論を待たないと思うのだが、
そう思わない国民が大勢いることは困ったことだと思う。

という私も、最近までそう思って(思わされて)いたから、そんな人たちを責めることもできないが、

近辺に我が国の領土を虎視眈々と狙っている国がいることを思えば、
我が国の国土を守るため、もっといえば、戦争を回避するために絶対軍隊は必要だ。

必要ないという人は戦後教育に洗脳されたままであると断定できる。

それでも軍隊を持つことは一朝一夕にできることでないから、
現在はアメリカ軍に守ってもらうしかないのである。

そのアメリカ軍を撤退させたらどういうことになるか。

ロシアは、それがわかっていて、北方領土返還に「アメリカ軍撤退」を条件にしたのだ。

本来、日本の領土であったものを、
戦後のどさくさに乗じて奪ったロシアの卑怯は許されるものではないが、

しかし、今、このロシアの口車に乗って、アメリカ軍を沖縄から撤退させたら、
今度は、沖縄が中国に奪われる事態になることは日の目を見るより明らかなことだ。

われわれ日本人は、北方領土も決してあきらめてはいないが、
しかし、
現在、日本の領土である沖縄が奪われることは、
北方領土を返還してもらうことと引き換えにはできないことである。

ロシアは、
そこのところを計算に入れて、北方領土返還を「馬に人参」さながらに、
日本に持ちかけてくるのだから、本当にずるい。

いや、ずるいというより、アメリカのトランプ大統領と同様に自国ファーストなのである。

対する日本は決して負けてはいけない。

北方領土のみならず、沖縄まで奪われてしまったら、われわれは、われわれの子孫に
どう申し開きができるというのだ。

政治家はもちろん、われわれ一般国民も、
現在、しっかりこれら近隣外国に立ち向かう気概を持っていなければならないと思う。

*

★戦争はしてはならぬが戦争を抑止するため軍隊は要る

★軍隊を持たず国土が守れると思ふ大人は大人にあらず

★この国の領土うばひに来る国があること気づかぬ人に呆れる

バスの運転をする人は基本それほど愛想よくしなくてもいいと思う

2019-01-08 16:21:12 | ブログ記事
最近よくバスツアーに参加させてもらって思うのだが、
近頃のバス運転手さん達は昔と比べると非常に愛想がいい。

これはたぶんツアーの最後に参加者がアンケートを提出することに関係していると思う。

不愛想にして評価が低くなると、小さなバス会社では死活問題になるかもしれないから?

が、お客の立場から言わせていただけば、そんなに愛想よくしていただく必要はない。

そんな余計なところに気を使わないで、安全運転に神経を集中してくれたほうがいい。

添乗員の方も同様だが、こちらは、まだ愛想よくする必要性はある。

あまり不愛想にされると、客として頼みたいことも頼みにくくなるから。

が、バスの運転手さんにせよ、添乗員の方にせよ、
一番大事なことは乗客の安全を守ることである。

これがおろそかになるほどは愛想よくしていただく必要はない。

台湾にツアーで行ったとき、現地のガイド氏はニコリともしない不愛想な若い男性であった。

が、旅行中の一日、私がひどい歯痛になり昼食が食べられなかったとき、
昼食後、そのときに残ったチャーハンを入れたポリ容器を、そっと私に手渡してくれた。

たぶんお店んの人に頼んで手配してくれたのだろう。

その直後は「まあ気の付くガイドさんだこと」くらいにしか思わなかったが、
歯痛が消えてから急に空腹を覚えて、このチャーハンが有難かった。

不愛想なガイド氏だったのに、いや、それまでが不愛想だったからこそ、
そのガイド氏が急に素敵に見えた。

単なる義務でしてくれたことだったかもしれなかったが、個人的にときめいた。(笑)

よく「食べ物の恨みは恐ろしい」というが、逆も真なりである。

現在、日本の添乗員さん達は、こんな心憎い気配りはできるであろうか?

この台湾のツアーでは、
ガイドたるもの、ただ優しいだけでなく、本当の意味での思いやりを持つことが必要だと
感じた。

最初の話に戻るが、バスドライバーの方も、添乗員をなさる方も、
ただこびへつらうサービスよりも、どんなときも適切な対応のできるプライドを持って
仕事にあたっていただきたいと思う。