秋葉原東部地区連合最後の町会です。神田和泉町町会が宮入りしてまいりました。
江戸時代、この界隈(かいわい)には、伊勢国(いせのくに)津藩(つはん)(現在の三重県津市)藤堂家(とうどうけ)の上屋敷(かみやしき)、出羽国(でわのくに)鶴岡藩(つるおかはん)(現在の山形県鶴岡市)酒井家の中屋敷(なかやしき)などがありました。町名の「和泉町」とは藤堂家が代々、和泉守(いずみのかみ)を名乗ったことに因んでいる、といわれています。
大正12年(1923年)の関東大震災で町は、町民の防火活動によって火災をまぬがれました。このことは、世の奇跡として市民の賞賛を受けました。そのためこの神田和泉町を含む一帯は、昭和14年1月に、東京府より「関東大震災協力防火の地」として顕彰され記念碑が建てられました。
町会の該当区域は、和泉町全域となっています。