神田祭.ch公式ブログ

神田祭公式ブログです。当日の神田祭の実況や神田祭の裏側、インターネットchの「神田祭.ch」の模様をお伝えいたします。

神輿宮入中継終了

2009-05-10 20:14:06 | 平成21年 神田祭
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皆さま

長い時間お付き合いいただき誠にありがとうございました。
また、ブログのコメントやメールにてご意見、ご感想など多数いただき非常に感謝いたしております。
本当にありがとうございました。

神輿宮入は終了しましたが、今年の神田祭が終わったわけではありません。
5月14日には「献茶式」そして「明神能」が行われます。

そして、5月15日には一年を通じて最も重要な神事とされる「例大祭」が厳粛に執り行われます。

インターネットを利用した今年のライブ中継は本日にて終了いたしますが、
14日・15日の行事の模様はブログにてしっかりとお伝えいたします。

今後も「ライブログ 神田祭.ch」をお楽しみください。


天星睦

2009-05-10 19:42:23 | 平成21年 神田祭
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江戸の昔より明神甘酒として天下に知られているのが、神田明神鳥居前で160年の老舗、『天野屋』です。
天野屋は弘化3年の創業で、濁酒の製造を始めた初代が後に、糀、甘酒、納豆、味噌の製造も兼ねるようになりました。

米糀を作る地下の天然むろは創業当時のままとなっていて、米糀 にさらに手を加えて生成し熟成を待って作り上げられたものです。

隣接している喫茶室も趣いっぱいです。
是非、神田明神にご参拝にお越しの際には、本物の甘酒をご堪能下さい。

「明神甘酒」は“生きている自然の甘味”です。
甘酒の他にも、天野屋特製の、江戸味噌、久方味噌、芝崎納豆なども人気です。
是非、お試しください。


当店の神輿は平成6年に新調しました。
16代浅子周慶作です。
鳳凰は胸を張って飛び立ちそうな型が特徴です。
小型ですが、浅子周慶の自慢作です。
天野屋の美人神輿なる女神輿、ご堪能ください。



東日本橋二丁目町会

2009-05-10 19:23:37 | 平成21年 神田祭
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東日本橋二丁目町会はかつては両国と呼ばれていました。
両国と両国橋の西側の町に、明暦の大火後の万治2年(1659)に橋が架かり、交通上賑やかな地となりました。
火事の多い江戸に鑑みて二度と災害の悲劇を繰り返さぬ様にと各所に火除地を設けました。
両国にも中央区側に広小路が出来て、防火や避難に役立つ広場が設けられました。
いつの間にかこの空地を利用して軽業や見世物小屋が並び、水茶屋、喰べ物見世などで江戸で一番の賑やかで、華やかな場所になっていきました。
その賑やかさ・混雑ぶりは大変なもので、様々な本に出ているほどでした。

維新後は商店の並ぶ繁華な市街に変わって、面目一新した賑やかな商店街になっていきました。

また、米沢町は、多くは船宿の中心地であり、両国の川開きや花火と共に忘れることの出来ない町です。
 
米沢町から元柳町にかけては、船宿と共に有名な柳橋花街です。
これが両国の景況を明治になって支えていたといえます。

尚、平成15年には開府400年をお祝いして船渡御を挙行しました。

町会の該当区域は、東日本橋二丁目全域となっています。


当町会の神輿は、昭和35年、宮本重義により作られました。



東日本橋三丁目橘町会

2009-05-10 18:49:02 | 平成21年 神田祭
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東日本橋三丁目橘町会は古くは橘町と呼ばれた地域で、昭和46年の住居表示実施で現町名になりました。
江戸の初期には西本願寺の別院やその末寺がありました。
この西本願寺別院は元和7年(1621)3月准如上人が創建したもので、江戸海岸御坊、と呼ばれたと言います。
明暦の大火で、お堂の建物は延焼し跡形もなくなり、築地に移転復興しました。

その跡地は松平越前守の邸地となり、天和3年(1683)の邸地移転に伴って、町地になりました。
西本願寺のあった頃、門前に立花を売る店が多かったので、町の名を橘町と付けたと言われています。

当町会は繊維関係の問屋が多く、今でも着物が似合う粋な旦那衆が町会を支えています。

町会の該当区域は、東日本橋三丁目全域となっています。


当町会の神輿は、昭和42年に新たに町会有志にて寄贈されたものです。
紺に染め抜いた青伴天の青年部とグレーの伴天の一般担ぎ衆、総勢150名により宮入を行います。



江戸神社奉賛会(旧神田市場)

2009-05-10 18:25:14 | 平成21年 神田祭
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江戸神社 奉賛会は旧神田市場の関係者で構成されています。

江戸神社は、江戸最古の神社で永く神田多町に青果市場があった江戸時代から市場関係者の間で守られてきた神社です。市場が秋葉原から平成元年に大田に移転してからも今日に続いています。

現在、神田神社の摂社として境内のお社にお神輿が祀られています。


当神社の神輿は「青果市場の神輿」、「神田市場の千貫神輿」と呼ばれ、約200人で担がれる大神輿です。
戦後昭和33年、当時の技術を結集して浅草小鳥町 神輿師 鹿野喜平が製作しました。他に類を見ない金物関係は大阪造幣局にいた名錺師阿部 長次郎が新しい意匠に基づき作成しました。NHKのTV、本の「美の壺」にも紹介された神輿の《静》の美しさと特に、宮入の時の《動》の華やかな姿を是非ご覧ください。