神田祭.ch公式ブログ

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岩本町二丁目大和町会

2005-05-15 11:05:00 | 神輿(岩本町・東神田地区連合)

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 岩本町二丁目大和町会が宮入りしてまいりました。

 この界隈が「大和町(やまとちょう)」と呼ばれるようになったのは、享保(きょうほう)年間(1716~1736)の頃です。もともと竜閑橋(りゅうかんばし)の北側にあった大和町に住む人々が、ここに代地(だいち)を与えられ移転してきたため、大和町代地となりました。

 幕末のころには、この町から隣の東竜閑町(ひがしりゅうかんちょう)にかけて、駄菓子問屋(だがしどんや)が数百軒ほど軒(のき)をつらね、ずいぶん賑わっていた、といわれています。またここには、蝋燭(ろうそく)やべっこう細工、箪笥(たんす)などをつくる職人も多く住んでいました。

 明治2年(1869年)、大和町代地は、神田元柳原六丁目(かんだもとやなぎはらろくちょうめ)、神田久右衛門町二丁目(かんだきゅうえもんちょうにちょうめ)代地、神田佐久間町四丁目(かんださくまちょうよんちょうめ)代地、横山町三丁目(よこやまちょうさんちょうめ)代地と合併して、神田大和町(かんだやまとちょう)となりました。

 明治44年(1911年)に町名は大和町と変わりますが、昭和22年(1947年)、神田区と麹町(こうじまち)区が合併し千代田区になると、ふたたび神田大和町に戻ります。そして昭和40年(1965年)、住居表示の実施により周辺の町の一部と合併して岩本町二丁目(いわもとちょうにちょうめ)になりました。

 町会の該当区域は、岩本町二丁目13~17番地、19番地となっています。


岩本町三丁目町会

2005-05-15 10:50:00 | 神輿(岩本町・東神田地区連合)

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 続きまして、岩本町・東神田地区連合の宮入りとなります。最初の町会は岩本町三丁目町会です。

 「岩本町」は「旧岩本町と東龍閑町」が合併して、昭和初期に設立しました。
 
 江戸時代の初めは、この界隈は沼地で、雁渊とか、笹原と呼ばれていました。

 この地域に最初に住んだのは、大名や旗本(はたもと)などの武士たちでした。江戸時代の後半になると、商人や職人で町も栄えはじめます。さらに土手の周辺では、古着を扱う露店が集まるようになりました。

 その伝統は、明治維新後も引き継がれました。明治14年(1881年)、現在の岩本町三丁目の一部から神田岩本町の一部にまたがる大市場が開設されます。「岩本町古着市場」と呼ばれたこの市場には、多いときには四百軒もの古着屋が軒(のき)を連ねていた、といわれています。

 現在、数こそ少なくなってきましたが、岩本町三丁目を支え、町の礎を築いてきたのは繊維業者であり、日本の繊維業者とともに発展してきた町です。 

 町会の該当区域は、岩本町三丁目及び神田岩本町全域となっています。