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神田中央連合  神田猿楽町町会

2015-05-10 12:45:39 | 宮入順

【町会の特徴】

猿楽町は古来、芸術文化に関係の深い町です。

 

今でいう「能楽」は、江戸時代には「猿楽」として、武士達に親しまれていました。

「猿楽」は芸術性を高め、江戸幕府の儀式の際に用いる音楽・舞踊に指定されました。

猿楽師の一人で、徳川家康と縁が深かった観世座家元、観世太夫や、一座の人々の屋敷が現在の神田神保町一二丁目から西神田一二丁目のあたりにあったことからこの一帯に「猿楽町」という町名が生まれたと言われています。

 

他にも、文学では、夏目漱石が青春時代にこの地の近くに住み、町内の錦華小学校(現お茶の水小学校)に在籍していました。また、明治18年頃には、町内に下宿し、一橋にあった東京大学予備門予科に通学したということです。芥川龍之介も恩師の下宿がこの町内にあったため、たびたび訪れていたといわれています。音楽においては、現在の東京音楽大学のもとである、東洋音楽学校が明治40年、猿楽町に設立され、日本の音楽文化近代化に多大な影響をもたらしました。また、猿楽町は、文芸評論家・小林秀雄氏、作家・永井龍男、脚本家・大石静さんが生まれ育った町でもあります。

 

 錦華通りに接する町内中程の角地には、元交番(町会詰所)の古い小さな建物(千代田区景観まつづくり物件)があり、映画やテレビドラマなどの「交番」として活用されています。

猿楽町と駿河台の間に、男坂・女坂と呼ばれる2つの階段があります。いずれも大正13年(1924)につくられた坂で、男坂は七十三段、女坂は八十二段を数えます。どちらの坂も一気に上ると息が切れるほどの急傾斜ですが、女坂の途中には踊り場があり中休みできるのに対して、男坂のほうは踊り場がなく、より厳しい上りになっています。そのため、七十三段の坂は「男」、少しゆるやかで長い坂は「女」と呼ばれるようになったとのことです。

 

町会の該当区域は、猿楽町一・二丁目で、平成30年1月1日から町名に神田が付き、神田猿楽町になります。

 

 

【神輿の特徴】

町会創立60年、神田神社(神田明神)御遷座400年を機に全額寄付により御神輿を新調しました。

 屋根唐破風神社型で台輪寸法2尺3寸。堂羽目彫刻には、町会の象徴として神田猿楽町の名前の由来にもなる猿楽「翁」が彫刻されています。正月や祝賀等に舞われる縁起物です。松竹梅に囲まれた中央にシテが舞う様子が表現されています。その足下には神田川も流れます。

 もう片方には、「天の岩戸」。岩中に閉じこもった天照大御神を八百万の神々が宴を催し、覗き込んだ天照を外に出そうとしている様子を彫刻。上長押には十二支。子午線で午が南向きとされ正面となります。狛犬は阿吽獅子で、獅子が持つ鞠の中には動く玉を残しながらの彫刻です。

 平成27年5月3日、町会に引き渡され、神社で清めのお祓いを受けました。宮本卯之助商店製作。

 

 


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