多町一丁目【たちょう1ちょうめ】は江戸時代は、神田堅大工町【かんだたてだいくちょう】とよばれ、大工職・左官職・屋根屋等の職人が多く住む町であった、といわれています。また江戸名物と言われた「纏屋治郎右衛門【まといやじろうえもん】 」の店があり、江戸でただ一軒の纏屋【まといや】でもありました。町火消【まちびけし】しの旗印たる「纏【まとい】」はいずれもこの店で造ったものであり、「いろは四十七組【よんじゅうななくみ】」はもとより、他の地方の分までも一手に手掛け、その名は広く知れ渡っていたといわれています。
町会の道路下には、東京都指定史跡【しせき】である「神田下水【かんだげすい】」が埋設されています。この下水は明治17年に、一般市民の衛生や都市環境を改善する目的で、近代工学に基づいて建設された我が国初の近代下水道といわれています。その構造は現在の下水道管とは異なり、レンガで積まれ強固に築かれています。
町会の該当区域は内神田三丁目7・12~14・17・18・22・23番地となっています。
当町会の神輿は昭和25年、宮本重義【みやもと しげよし】の作品です。大きさは2尺あり、白木【しらき】づくりとなっています。明神下から大鳥居までの女性だけの巡行は必見です。熱気と興奮の宮入は当連合の十二番をつとめます。