花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

お釈迦さまは古神道の御方でした。2

2018年04月07日 06時35分00秒 | 祭祀と和の国

祈りの矢を飛んで行け!音霊乗せて飛んで行け!

鈴の音響かせ いま放たれよ!自ら手を挙げ名乗り出る真の勇気と素直さを。

歓びもちて結びとすれば 怒りの心も鎮められん。降ろせよ しかと みはしらに。

天の祈りと地の祈り。命を懸けて生きられよ。忘るるな 小さな胸に秘めたる大きな誇り。

こんにちは。

さっそく,昨日の記事の続きを書かせて頂きたいと思います。昨日は,お釈迦さまの悟りについての記述からキリスト教に話が逸れてしまいましたので,話をお釈迦さまに戻したいと思います。お釈迦さまの悟りとは,仏教の真骨頂でもある「慈悲」にあると云うことでした。それは,ただ自分の眼の前に存在するものへの慈悲心であって難しいことではありません。御経を何万遍と唱えても悟りに到達することはありませんし,現代に伝わるような厳しい修行でもありません。もしてや,霊能者云々が伝授するのは論外。

なぜならば,わたし達は,誰であっても根源神の分け御魂を心の中に宿し,霊魂を宿した同じ人間です。人間霊を宿した私たち人は人間としての行い即ち,修行をしなければなりません。山に篭り,滝に打たれている人が多く成れば,わたし達の暮らしや生活は破綻します。私たち人は,大自然と云う神さまと自然と云う精霊の中で活かされて生きているのであります。したがいまして,真の悟りと云うものは,日常生活の中にこそ見出すことができるのだと云うのが私の解釈です。自己の神聖さに気が付くと云う言葉でも良いかも知れません。伊勢神宮(本宗)を頂点とする現在の神社神道では,自己の神聖なる存在を心神(しんしん)と申します。

たとえば3年間,山に篭り,滝に打たれの修行を積んだ所謂,修行者と社会の末端でそれこそ上司に怒られ,お客さまに罵倒されたりと20年・30年と云う年月を働く一般の人とどちらが厳しい修行であったのでしょうか?したがって,私はそう云った後者のような人を観ると悟りの境地に到達した聖者に観えてしまうのです。より厳しい修行をされた人は,本当に輝きを放っています。そして性別を超越した優しさを兼ね備えているのも特徴的です。こう云った本当の聖者は,残念なことに人の上に身を置く集団にはあまり居りません。それよりも会社などの末端で働く人にとても多く居るのです。私のアルバイト先にも何人か聖者が居ります。

アルバイト先では,わたしはペイペイの一番下っ端ですから,何でもハイハイと素直に先輩たちの云うことを聞いています。年齢もバラバラで上は70代から下は私よりも年下の先輩もたくさん居ります。そんな多岐に渡る年代の人たちの中に居る熟練された聖者さんたちに共通したことがあるのです。それは,仕事にはもの凄く厳しいのですが,人としてとても優しいことであります。戦士みたいな魂を宿しているのです。厳しい労働環境で闘って来た先輩たちを観ると本当に凄いなと自分の非力さを痛感させられます。

皆さまがよく御存知の霊能者と言われる人や宗教家の相談にこれまで何度も乗って参りましたが,ちゃんとその裏にはカラクリがあるのであります。確かに,一般の人に見えない存在「霊」を見たり,一般の人たちには聴こえてこない「声」を聴いたりする人は存在します。これ自体に何ら不思議さを感じたりすることはありませんし,違和感を持つこともありません。たとえば,神社やお寺の建築をする集団である宮大工の業界では良くそう云った特異体質の方が多くいます。しかしながら,そう云ったことで資金を集めて政治に介入することに私は大きな疑問符が付きまといます。お釈迦さまの教えだと言いながら,たくさんの人々から多額の資金を集め,その資金で私腹を肥やしている宗教家こそお釈迦さまの説かれた心の燈火の意味を再度しっかりと学ぶべきであるのです。

お釈迦さまが説いた心の燈火と云うのは,自分の肉体を酷使させた修行も精神を追い詰めた修行も人が悟りを啓く為には無駄なものだとお釈迦さまは,自分の弟子たちに説きました。そして,固く偶像崇拝を禁止したのです。この偶像崇拝禁止も古神道の考え方にとてもよく似ています。そんな外よりも自分の内,心の中に存在する神聖なる燈火を拠りどころとして生きて行くことが大切だと説いたのであります。この心の燈火と云う言葉に,私はもの凄い音霊「波動」を感じ取ってしまうのです。まさに古神道の発想そのものです。つまり,お釈迦さまが自己の心の燈火こそが大切なんだと云う結論に至ったまでの道のりと申しますか過程にとても関心があるのです。わたしが思うに,お釈迦さまの修行の内,最大で最強の相手との真剣勝負にあったのではないかと想像しています。

お釈迦さまが挑んだ最大で且つ最強な相手とは?なんでしょうか?

また続きます。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝