こんにちは。上の画像は,おかげ横丁のお猫さまです。むかし,このようなオバちゃんと会った気がします(笑)。
最近,保守系のブロガーさんの記事を読んでいると天皇家や天皇陛下の話題を掲載されている記事が増えて来ているように思います。そう言った記事の中には大変勉強になる記事もあります。しかしながら,私がいつも疑問に感じるのが南北朝時代の話をされないことです。つまり,天皇家の歴史や天皇陛下と云う祭祀の中心を論じるのであれば絶対に避けて通れない事柄が南北朝時代にあるのです。なぜ書かれないのか?それがとても不思議でなりません。書くことによって何か弊害があるのか?不知か?なんでしょう。
天皇家には2つの系統があるのです。南朝家と北朝家です。これが歴史の事実です。
ただ(笑)これをあまり深く掘り下げてみても・・・。
だって,日本人であれば,ほとんどの人が天皇家の血が流れているのです。
陰謀論を除けば,現在の天皇家は北朝家です。
それはそれとして,今日の古神道入門 神ながらの伝統と云うタイトルは,私が考えてものではありません。
ある古神道家の御方が書かれた著書のタイトルで御座います。そのある御方とは,小林美元(こばやし びげん)さんと云う元神職さんであります。小林先生は,熱田神宮・熊野本宮大社・大神神社などの神社で約37年も奉仕された御方です。今日は,その小林先生が生前に書かれた著書「古神道 神ながらの伝統」から一部を抜粋引用し紹介させて頂きたいと思います。今の時代,古神道を伝えてくれる神社の宮司さんも神職さんもほとんどいません。よって,小林先生の書かれた著書は大変貴重な資料でもあるのです。
このブログでも日々,書かせて戴いて来た内容も小林先生が記されている内容も同じ古神道が根本原理にありますので,ご興味のある方は,ブログの過去記事と共に読んで下さればと思います。古神道を知れば宗教に対する考えも信仰に対する姿勢も違ってくると思いますし,何よりも自分自身がどういった存在で且つ,神さまと自分との距離感が一気に縮まってくるとも感じています。
以下,古神道入門 神ながらの伝統より。
第1章 宇宙生命の根源を尋ねるから一部抜粋。
神道は言挙げしない。
仏教はお釈迦さま,キリスト教はイエス・キリストとか,イスラム教ではモハメット,そういう創始者がおられます。宗教といわれているものには必ず初めにその教えを説いた人がいて,そのお弟子さんたちがその師の教えを1つの宗教として広めて行く。それが世界的な仏教とかキリスト教になってきているわけですが,人間が創始者ですからその人の言葉を受けた人たちが後の世に伝えていくために,経典やバイブル,コーランなどが編纂され,伝えられてきています。
ところが縄文古神道というのは,そういう教えがありません。教祖がいない,教義もない,経典もない。ほんとうに大自然が相手ですから,そういうものは一切ない。二宮尊徳翁のように,自然が教師であるというようなことを古神道は唱えていますが,他の創称宗教とはぜんぜん成り立ちが違います。自然を敬うこころから発した宗教,宗教というよりも古神道は生活の道,生活そのものが「神随ら」の道として伝えられてきています。
ですからこれを宗教の分野に入れるというのが,戦後の宗教法人法の間違いであります。
神道が仏教やキリスト教に比べて,教えが分かりにくいというのは,教えの説明がないということからきています。そのために,教えというものがなっていあいのではないかと批判もされます。とくに一神が万神を従えるというのは,多神教というようにとらえられて,外国の人たちに神道というのはまだまだシャーマニズムのレベルではないかと批判されています。
しかしそういう批判は当たりません。そうではなくて,ちょうど太陽系が銀河系に統一されているように,また地球が太陽の周りを周りながら太陽に従っているように,一神でありながら八百万の神さまを従えて統制がとられているわけです。一神教は絶対であるがゆえに排他的で,歴史のなかで繰り返し宗教戦争を起こしてきました。しかし古神道はそうした排他性のない神随らの道,大自然に融和した生活の道なのです。神道はよく「言挙げしない」といわれますが,それは他に対して包容力があるからです。だから他者を理屈でやりこめようとしたり,善悪で物事を判断しません。
こういう古神道の宇宙観,生命観というものを見ていけば,これから地球上にこの教えというよりも道をひろめていくということが,いっそう大事なことになると思います。たとえば,古神道では,天地と書いてアメツチといいますけれども,アというのは生命の発生の源で,これをアといいます。メは,目が開けたとか,木の芽がでてきたとが芽吹いたとか,生命の発生する様をメといいます。宇宙間から生命が芽生えてくる。そういうことを表現しているのです。ツは,円らな瞳のツで,丸いという意味。チというのは,モノを養育する力があるもの,たとえば体のなかを流れている血液,これは人間を養い育てていく力がある。それで血と名付けられていますが,大地の地もそうです。
地にダイコンやナス,キュウリを植えるとそこに芽が出て大きく実を結ぶ。生命を養い育てる地球の「地」を重ね合わせるとチチとなります。赤ちゃんを育てる一番大事な母親のお乳。また,父親のことをチチといいますが,家族を養い育てる力がある人という意味でチチと称するわけです。そうするとツチというのは,丸い地球ということになります。地球という言葉は昔からありませんでしたが,日本ではツチということで地球が丸いということがわかっていました。
その地球自体は神さまのお宮で,そこに柱が立っている。カイラスだとか,富士山,筑波山,三輪山だとか,各地の国に屹立している山,これは天と地を結ぶ柱,地球の神殿だという信仰が芽生えます。そうしたお山に対する畏敬の念から,古代の人々は天上の神々が地上に降りてこられる柱としてとらえています。この地上には,一番はじめに動植物が生まれ,一番最後に人間が生まれるわけですが,バイブルによると人間は神の写しとして創造されている。神によって造られたものなのです。ところが日本の古神道では,神が産みたもうたと。神が産んだ子供たちであるから,人間も神の子である。
しかも御魂を一人ひとりが受け継いできていますから,人間は御神体そのものを表現した姿である。神さまにはちゃんと手足も全部ととのっていらっしゃるお姿が仰がれる。地球は神のお宮であり,神の子である人間はその御神体であるということになるわけです。ですから,人間が心から罪とか汚れを祓いさって,本来もって生まれた本性,本質的なものに立ち還れば神になる。もともと神の性をそなえている人間が毎日,神に複帰する。
昔の年寄りはお日(ヒィ)さま,お天道さまともいって拝みましたが,神に回帰するために毎朝,太陽を拝むわけです。これを大和言葉で「カムカエル」,つまり「カム」に「カエル」わけです。太陽というのはこの地球では時間的なずれがあり,いま日本が昼であればアメリカは夜になりますし,地球上では昼と夜が半分半分の巡り合わせになっている。
一方が寝ているときは,一方が太陽のエネルギーをいただき,起きている。すべての宇宙生命に対するに畏敬の念をもって働く。こうして順ぐりに地球全体に神聖な意識波動が満ち満ちていけば,世の平安はもっと大きく前進していくのではないだろうかと思うわけです。神の性を自覚した人間が増えるのですから当然のことです。
神道ではパーティや宴会などで乾杯するとき,「弥栄」と発声します。すべてに栄えあれという意味ですが,それは太陽のようにすべての生命を平等に慈しむ心を現わしています。すなわち神の性を自覚した人間の言葉です。「清く明らか」というのが古神道の道ですが,イヤサカという明るい言葉の波動にもそれが反映されているわけです。
以上。
いかがでしょうか?これまでもブログで書かせて戴いて来た内容も多く含まれています。私たち人間は,神さまの子孫であり,それゆえに人は誰でもその胸に神さまの分魂を宿していると云うことも書かれております。又,古神道と云うのは宗教ではなく,自然を崇拝する念から発生した自然と共に共生すること,そして古神道とは日常生活の中にこそ道を求めて行くことも書かれております。
これこそが真の日本人の姿だと考えます。
今日は,古神道の祝杯で〆させて戴きます。
日本弥栄!
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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。
私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。
又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。
それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。
菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。
わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。
観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝