こんにちは。
今日は,神社側(宮司や神職)が護持を司る主体となってはいけない理由を少し書かせて戴きます。祭祀の祭と祀を意識して読んで頂ければと思います。祭祀とは極端な言い方をすれば,この世とあの世と云う大きな意味でも捉えることが出来ます。目に見えるもの(対象)と目には見えないもの(対象)で祭祀であります。神社の護持は祭祀の「祭」の方に属します。つまり,氏子さんや全国の崇敬者さんは祭を司る側にいる事になるのです。したがいまして,昨日も少し書かせて戴いたとおり神社側は祭祀の「祀」の側ですからそもそも役割が違うのであります。ただ,祭祀ともにその中心に居られる御方が居られます。それが天皇陛下であります。
祭祀の頂点ではなく,祭祀の中心です。ピラミッド型は西洋。日本は円。つまり,和型です。
日本の国を表現するのに和の国と云う言い方をしたり,日本製の物を和物と呼ぶのは,ここれから来ています。
昨日の「その6」では,人の護持について考えて見ました。神社と云うのは,不特定多数の人々が集う場所でもあります。その人と人との繋がりを大事にする場でもあります。そこに集う人々が互いに助け合って,支え合って行く姿を神さまに奉納することも大切なことであります。たくさんの金員や豪華な物品を奉納するだけが奉納ではありません。天河神社も同じですが,神社にはさまざまな人々が訪れます。純粋に感謝だけを神さまへ奉げる人もいれば,金員と引き換えに自分や家族の健康を願いに来る人。自分だけの願いを叶えて貰おうと祈願をしに来る人。本当にさまざまな不特定の人々が参拝に来られます。中には流行りのスピや霊能云々の御一行で来ることもあります。その中でも,自分の死に場所を求めてさまよいながら来る人もいるのです。神社の宮司さんや神職さんは,こう云った人にこそ神さまの祈りを伝える役目を本来,担っています。これも大切な祭祀の1つであると私は考えます。
祭祀と云うのは,見えない対象に祈りを奉げることだけではありません。目に見える対象にも祈る(奉仕や慈悲)ことが出来てはじめて祭・祀になるのであります。祭と祀で祭祀ですから,目に見えるものと目には見えない両方を祈りの対象とするのが本来のわたし達が暮らす日本の本当の神道であります。つまり,陰と陽の両方を知ることが大切なのです。そんな訳で,昨日の記事は「目に見える対象」でもある人の護持について書かせて戴きました。※人の護持とは「ボランティア」ではありません。奉仕と慈悲です。
これをゴッチャにして混同してしまうとあとで趣旨と違うと云うことになってしまいます。つまりどう云ったことかと申しますと単なるお金儲けになってしまうのです。収益勘定・損得感情で行動するようになり神社運営の趣旨が根本から変わってしまいます。たとえば,お守りなどの授与品を安く仕入れて高く売ることに主眼を置くような行為は商行為であります。神社で商行為がいけないのか?と言われてしまうと思いますが,そうではなくて,商行為は「祀」の役割ではなく,護持「祭」の役割に相当するのです。
祭祀の「祀」に相当する神社側は「決裁」することだけで良いのであります。神社運営と神道に照らし趣旨に反しなければ「可」趣旨に反するようであれば「否」とすれば良い訳です。つまり,神社に求められるものは権力ではなく「権威」です。そして,神さまへご報告申し上げる。これが出来るのは,神さまに最も近くで仕える祭(氏子崇敬者)と祀(神職や巫女)の中心でもある宮司さんだけです。神社側が「権力」を手にするとどうなるのか?先般の東京深川で起きた悲惨な事件を想い出せば明らかであります。
単なる姉と弟の喧嘩ではありません。分を弁えず,役割を忘れ,神職が神社を私物化した末路です。
それと,天河神社では具体的に神社で執り行う祭祀に追加するべき行事があります。それは祖霊祭祀です。現在の天河神社でも旧暦の7月7日に七夕神事と云う祭祀の中で先祖の御霊を供養するものがありますが,解かり易く云うと,お寺で現在している先祖供養や追善供養を天河大弁財天社でも執り行えるようにするのです。本来,祖霊祭祀は仏教の役割ではありませんでした。神道の大切な祭祀であったのです。その証拠に,縄文時代の遺跡からも祖霊祭祀の遺跡が発掘されております。追善供養も既に確立されてもいました。つまり,神道の祖霊祭祀の復活です。一般の参拝者であってもいつでも祖霊祭祀が神社で供養を出来るようにするのです。
私の知る限り,祖霊祭祀を神社で積極的に取り入れている神社は同じ奈良県の春日大社くらいであります。天河神社のような神社は特に祖霊祭祀が大切です。なぜならば,何万年も前から先人「祖霊」たちが祈りを奉げ,数千年も前から神社を支えて来て下さったのですからその御霊に感謝申し上げる祀事はなくてはならないと考えるからです。これも先日の総代会の組織改革同様に神社の運営趣旨に反するものでもありません。天河神社でやれることはまだまだあります。天河神社の中に和の仕組みをつくり上げて行くのです。現代のピラミッド化した宗教団体は,日本の本来の信仰ではありません。私たちはそのことに気が付かなくてはなりません。
今日は,祭と祀の役割と神社で祖霊祭祀が出来る環境をつくることを書かせて戴きました。
明日で,天川村と天河神社の記事は終わりにしたいと思います。拝
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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。
私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。
又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。
それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。
菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。
わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。
観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝