生きている間中、ほぼ迫害されて来た被害者の私は、今は実験台にされ、科学装置で殺害されている。私が嫌いなら、国籍を剥奪して国から追い出せば済む話だ。今更、人道的にどうかと偽善ぶらなくても良い。自衛隊警察が国を護る国策なら、私を追い出せばアジアは安全なはずだ。私が偽者の東郷嘉奈なら、さっさと誰なのか突き止めて世界中に報せたらどうだ?「誰か」判っているなら、なぜ私から身分証を取り上げないのだ?私はまだ東郷嘉奈の身分証を持っている。42歳の東郷嘉奈は、他にはいないはずだ。「誰か判っている」なら、その名前と身分証を私に還したらどうだ?その身分で芸術作品を生んでも大差はないからだ。
迫害を許す国民を許さない。
私の芸術作品を盗作するばかりで、敬おうともしないくせに私から盗み続ける。
同じ目に遭ってみたらどうだ?これはいじめいじめられの話ではなく、犯罪の話だ。
私は小学生でも中学生でもなく、芸術作品を売る資格がある自前創作者だ。
それを、売る資格がない賊らによって強奪され、少しだけ証拠を残さない工作を施して「転売」している連中は学生や弟子とも呼ばれない。ただの「賊」だ。
私のバラバラにされてあちこちで色んな賊名義で転売されている作品は、なぜ源泉だからと護らないのか?
本末転倒だ。
源泉が護られずに、毒入りの色水が転売されるのを阻止しないなら、いずれ渇れるだけだ。
まずい水もどきで、心を潤さないといけなくなる。
源泉になりたかったら、自分で泉を出せなくてはならない。
壮年の私の年代層が人生を盗まれ、下の若年層が壮年の人生哲学からコピーして語っても、いかにも似合わない言葉で、砂漠に落とされる1滴の水でしかない。
溢れる泉を持たなければ、すぐ乾上がる。
泉を持つ人間を、殺害したら泉が溢れ出すわけではなく、泉がその人間と共に消えるだけなのだ。
資産家殺しとは話が違う。
資産家は金や土地を残すかもしれないが、芸術家はその芸術作品の他に、繊細な神経細胞を生む泉しか持たない。
芸術家になりたければ、泉を自分で生むしかない。
それ以外はただの色水売りだ。
年齢とは関係なく芸術家は存在するのだから、歳をとってもめげる事はない。結局は修練の賜物であり、練習嫌いでは本当の芸術の泉は生まれない。
運動選手に訊けば良い。練習嫌いの運動選手が新しい技を編み出したり、結果を残したりするだろうか。
望玄Miharu=蘇東郷嘉奈ぴよかの明彌月彌冬月月衣久泉路世汰炬呂拿baobabbabyTogoKanaGOKA千波らんらん意流花語霜秦語夏DebbyTogo 筆。