我不穿金,我就是金
私の東洋占い運命盤が羨ましいのか、私に金が入るのを極端に恐れる「占いを盲信する人々」。
嫉妬で身を滅ぼすなんて、つまらないじゃん。
それに、私だけにしかない運命星ではなく、他にも大勢、同じ運命星の人々がいるだろう、世界中に。
私一人が大金持ちになるはずもないし、世界中の王子を一人占めするはずもない。
それに、私は40代で既に普通の幸せな主婦生活を諦め、文人芸術画家詩人としての余生を歩いている。
つまり、本来の私の運命盤の位置で止まらず、幸せ賢徳「家庭主婦」生活を過ぎ、新たなステージで花開いたのだ。
それが金になるかどうかは、周囲が私の作品に理解が有るかどうかにかかるので、金持ちになるかは鑑賞者次第だ。我が家の資産が値上がるかどうかは関係がない。
私は、運命盤通りでいけば金を穿くらしいが、今のところ、親や祖父母から貰った純金ネックレスくらいしかないし、手元にあるかも定かでない。
中国の占いは、当たっているのか?
日本の納音占いでは「砂中金」で、私が金だと言っている。
それとも「夏甲午」の効力が羨ましいのか?
「逢凶化吉で天の祐けが有る」らしいが、その星が必要な人生だからだろう。それとも、私が先進国日本や金持ち台湾に生まれ育ちながら、無国籍で生きた方が、みんなハッピーなのか?
私の過酷な人生に幸せが訪れるのを、天の神様だけが喜ぶなら、この世界は神様が必要ない。
神様はいないのではなく、ここには必要ないのだろう。
信仰心の無い日本人は、神様が教える占いの運命盤は、当てはまらないだろうな。信じてないのに、神様がその運命を与えるはずもない。