(2022.04.20 Wed. by my jugemブログより転載。)
私の精神破壊も企む連中は糞つまらない。
詩の才能がある女が羨ましくてたまらない詩人希望者が、自分の書けない頭をどうにかしようとドラッグに頼るばかりでKUSO精神しか保てないのを正視しないとか。
しかも、書ける女:例えば私・嘉奈(半私小説では嘉布Kano)のふりするのも大好きらしい……。
現実や実力を正視できない麻薬中毒患者の糞つまらない連中は、詩作も思索も苦手だろう。
だからといって、詩作も思索もできる才能ある私・嘉奈Tの精神を羨むあまり破壊したくても、結局、連中は糞つまらないままなのだ。
まず、性別の差を神様から与えられたことを受け入れるべきで、私が女として生まれたのは幸運というより、運命でしかない。運命を受け入れることを、イチから出直して勉強するべきだろう。
イチから出直すことを拒み続けるから、いつまでも他人の才能を羨むしかできないのだ。
思索や詩作が不得意なら、他のコトに目を向けるべきだ。体を動かすコトや自分の精神が良くなる正常な行為を始める方がよっぽど人生の土台が固められる。
私が文人になっているのは偶然ではないのだから、今さらそれを否定したり破壊したりするのは意味がないし、無駄骨でしかない。
私が話しているコトを無視するだけなら、もはや思索の才能はほぼないと思った方が良い。