中学時代、沖縄で一人暮らし(間借り)だった。
台湾台北市龍門の菊屋の娘の国籍問題の解決の為、中1が終わりそうな三学期に生まれ故郷・日本の那覇市に船で渡った。基隆港からだったと思う。昭和から平成になってまだ2年目で、私もまだ13~4歳の中学生で、突然の転校と家族との別れに、とにかく環境の変化に慣れるのは大変だった。
周囲に、私・東郷嘉奈(当時の本名は蘇KANA)と同じ人生を歩む人はおらず、誰にも相談もできず、ただ学生の本分に勤しんだ。
那覇市では、親の知人のアパートで部屋を借り、半分間借りで中学生の間は食事の世話や時々テレビを一緒に観たり、日当たりの良いベランダで洗濯をさせてもらった。
親元を離れた中学生の寂しい心には、世話人との生活は有り難かった。
孤独感を、当時放送されていたアニメ・私のあしながおじさんを観て癒し、沖縄のゆったりした空気感にも癒やされた私は、仲良くしてくれる男子が懐かしく、那覇中でもできるかなぁと期待したが、那覇中では女子の方が優しかった気がする。彼氏はそこではできなかった…。
(by 東郷嘉奈元蘇嘉奈一生独身未出産の孤独な文人芸術家・望玄Miharu久泉月衣語霜日月緋baobabbabyてぃらかなさん千波らんらん雨のち苺本人‥ 筆☆)