平成初期(1989〜)は女装して学校に通えない時代でセーラー服女装はしないれっきとした女。
私(東郷嘉奈/元・蘇嘉奈)は、男女共学の学校しか通わなかったので、私の成績も男女共学の中での優秀さで、女の中で突出していたわけではなく、「男女の中で」突出していたのだ。
そこで、私の優秀な成績を妬む人は、男女にかかわらず、存在していたのだろう。
特に、実技に関しては、いくら書物を覚えて成績を出しても、「走れない跳べない泳げない描けない書けない歌えない演奏できない縫えない編めない野菜や肉を切れない…」の壁を乗り越えなくてはいけないのだ。
「頭でっかち」の意味は、学校の成績段階で、理解できるようになっている。
その為か、犯罪者らは、まだ未熟な学生たちから手をつけようとするらしい。成績の優秀さは未来を映し出すので、早めに優秀な芽を詰もうとするのだ。
柔らかいカラフルな新芽を、優秀なふりをする害虫(犯罪者)に食べさせ、輝かない普通の新芽どもを守ろうとしても、結局、未来は輝かない普通のモノしか育たない。「例の歌がそれを暗示」している。
女の私に敵わないからといって、私を男だとか元男だとか元女だとかレズビアンだとかバイとかホモ?!だとか大嘘吐いては、私になりたがる男どもに辟易だ。