文人芸術家の私になりすましたいアジア民族……。
文&絵&写真&哲学の才能開花で、文人芸術家に成った私は、普通の女としての幸せは得ていない。
中流階級の我が家で、目指した職業は服飾デザイナーや語学力を活用できる翻訳家で、別に小説家を目指したことはないが、自分の能力がそこまで到達できたことにより、文人芸術家に成れただけだ。
小説家や学者等の子息なら、周囲や環境の影響で、自分も小説家に為りたい!とか幼い頃から思っていたかもしれない。
我が家の両親は勉強好きではなかったので個人商店店主として自立し、長女の私も、会社員よりも、個人の能力を活かせる職業を目指しただけだ。
会社員なら、個人の能力より、集団の能力が必要になるので、少し、異なる環境だろう。
必要な能力も自ずと異なる。
アジア民族が結束することに関しては異議はないが、何を目指すかが問題である。
個人の能力開花が要の、文人芸術家という職業は、車の大量生産とは違うのだ。
個人の個性と能力が、肝心の職業で、車の大量生産同様に、誰でも乗れる(描ける)絵を大量生産する意味はない。
『王家の紋章』が、ずっと支持される理由を考えてみよう。
同じ絵で、似たりよったりのストーリーで大量生産されても、誰も見たくはないだろう。
車なら、安価でテキトーなデザインでも売れるが、芸術分野は、違うのだ。
私は、車のデザイナーではない。誰かの「デザインをなぞるなんちゃって〜✗▼」でもない。
軽い気持ちでノーパンダンスを踊りたいなら、アジア民族の顔を捨てたらどうだ?恥ずかしいからなぁ?