マキという親友はいたことがない。
私は友人作りが得意ではなく、仲良くなる相手は限られ、昔の親友となると、数える程度だ。それは私の元カレも同じで、数える程度しかいない。
しかも高校になるまで、私は無国籍児で著しく日本や台湾で社会的立場が低く、周囲に同じ無国籍児はいなかったので、同じ無国籍児と共に「国籍持ちの友人をいじめる」ことはできず、「いじめられないように優等生の位置を保持」するだけで精一杯だった。
無国籍児の研究なら、私の場合は特殊事例だろうから、あまり参考にはならない。
私が頭の悪い無国籍児なら、もちろん、違う人生だっただろう。学校に通うのも、嫌がった可能性が高いけど、小学校ではほとんど皆勤賞だ。
学校生活が基本的に好きだった私は、勉強も運動も写生大会も全て好きで、苦手なのもクリアを目指し、その内クリアして来た。
学校生活で分かったことは、周囲と仲良くする方が楽しいということだ。なので、誰かをいじめるということはできるだけ避け、「辛い思いを他人にもさせない」ことを目指した。
なので、日本国内で義務教育を受け始めた頃に流行した「いじめられっこやいじめっこの区分け」に戸惑い、とても気持ち悪く感じたものだ。
by 東郷嘉奈語霜月衣久泉虹月路世柁千波らんらんMiharubaobabbaby華僑♀日中台トリリンガル(若干) 筆。