(2021.10.17 Sunday by my jugemブログより転載。)
泥棒らの言い分とは…?
小説家になりたい泥棒らは、何人もいるだろう。
なので、今までそんな小説家を目指したことはない私は、辛い人生の清算のつもりで、サスペンス風に犯罪者らに狙われたT家(我が家)という主軸で、小説を書き始めたのは中野区で空き巣被害に遭う中で、だった。
環境はひどいもので、科学機器による攻撃も激化するだけで収まることはなく、テレビで恋愛ドラマを見ると、涙が止まらなかった。
明らかに鬱だけど、診断を下そうとしない病院は、私に病名を与えず、ただ、薬だけを処方され、病名も分からない薬を、私は毛嫌いした。
小説とは、鬱でも書けるもので、脳が負傷しても、意識がある内は、腕一本で書けた。
私の小説をなぞった何かの文章で小説家気取りの泥棒らは、脳が負傷しても、鬱でも、手足に力が入らなくても、「小説を書く」だろうか?
多分、才能とは、そういうモノなのだ。
才能云々で、泥棒やモノマネを正当化したり擁護する人々は、何か大変なことをやり遂げるという経験を全くしていないだろう。
ぬるま湯のアジア血筋らを、完全被害者の私は許せない。てめえらが被害者だというなら、私にその証拠を見せろ。私本人に、見せろ。買収相手に見せても、意味はない。
脳言語盗聴で、書いたつもりや思考したふりで、被害者の私に共感する相手を釣り上げても、てめえらの尻軽に、驚くだけだろう。