角灯と砂時計 

その手に持つのは、角灯(ランタン)か、砂時計か。
第9番アルカナ「隠者」の、その俗世を生きる知恵を、私にも。

#010 もう? まだ? 三年一昔

2014-12-30 07:41:41 | 三年一昔
年の瀬です。
この一年を振り返る特別番組や特集記事はお約束ですが・・・

十年一昔とよく言います。
けれど、昨今、
三年でも十分に「昔」だなあと思います。

平成23年、2011年というと、
北朝鮮の金正日、アルカーイダのウサマ・ビン・ラーディンが死にました。

円相場は、1ドル75円32銭の戦後最高値。
今となっては、信じられません。
いずれも、滅茶苦茶昔の話のような気がします。

けれど、三年が過ぎたと気付き、もうそんなに?
ということも、やっぱり有るんですよね。

東日本大震災。

ちょっと言いにくいことなんですが・・・
震災「と」原発事故、という言い方は、ホントはどうなんでしょう。

実のところ、
福島第一原子力発電所といえども、津波に襲われた被災者のはずですよ。

その災いを、自らの内で引き受けることが出来ず拡散させ、
福島県、東北地方のその後に、大きな影響を与えてしまったのは、
如何ともし難い事実ですけれども。

東京でモメテただけのエライ人たちはともかく、
事故現場に在った、そこで暮らしていた人々は、
文字通り、必死で事故を押さえ込もうとしたわけで。

今、福島の人々が、
本当のところ、どう思っているのか、どうしたいのか、
私に「解るよ」とは言えません。
個人で発信している人の言葉を知ることは出来ても、
「福島県民」という名前の人がそこに居るわけではないし。
編集を経た後のニュース等で、福島県民を分かった気になるのも違う気がする。

ただ私たちは、
時の菅直人首相が植えつけた「(全ての)原発は危ない」という思い違いを、
枝野幸男官房長官が撒き散らした「(どんなに少量であっても)放射線は怖い」という思い込みを、
三年を経た今「それでいいの?」と問わなきゃいけないと思う。

「事故の被害者」を思えば、
原発推進はもちろん、原発やむなしでも言いにくい。

けれど、理性とか科学とか、
そういったものを抜きに、いつまでも同じところに留まっているとしたなら、
それは、自分のみならず福島や東北の人々に対しても誠実でない、
のではないだろうか。

「反」や「脱」の人々は、一括りに「原発」というけれど、
立地、型式、経年。どれをとっても同じというものではない。
それぞれに、其々の危険性があり、安全対策がある。

「安全が確認されたものから順次再稼働」というのが、
現政府の方針で、私は基本賛成の立場です。

ただ、本当は、
何をもって「安全」というのか、
どれほど「危険」ならダメなのか、
そこのところを、もう少し説明して欲しいなと思う。

アレアレ、三年一昔、を言いたかったのに、
めっきり現在の話になってしまいました。

けれどまあ、
もともと現在につながらない過去はなく、過去と切り離された現在もない、
ということで、
悪しからずお許しを。


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