「私が生まれる40年以上も前に起こったことにどう対処すべきなのか。私がすべきことは歴史をさかのぼって謝罪できることを探すのではなく、起きたことについて敬意と理解を示すことだ」
(キャメロン英首相)
「われわれは植民地主義という残虐で不公正な制度の下で暴力、不当行為、虐殺、拷問などの忌まわしい事件を引き起こし、多くの苦痛をもたらした記憶を尊重する義務がある」
(オランド仏大統領)
3年前の記事です。
(産経新聞2013-3/17大阪6版)
(産経ニュース:【緯度経度】千年経てば… 韓国、執拗な要求は未完の対日独立戦争の代わり
→http://www.sankei.com/world/news/130316/wor1303160021-n1.html)
引用文一つ目は、イギリスのキャメロン首相、
2つ目は、フランスのオランド大統領です。
どちらも歴史に関する談話、演説ですが、
決して謝罪はしてませんね。
実は、過去と真摯に向きあえばこそ、
自分自身が(!)したわけでもないことに対して、
安易に謝れないはずなんです。
でも、日本国の政府首脳は謝っちゃうんですねえ。
しかも、それで先方が赦してくれるかというと、
「加害者と被害者という歴史的立場は千年の歴史が流れても変わることはできない」
んだそうで、笑うしかありません。
穏やかな人間関係を維持するため、
まず自分が謝っておくという日本人の美徳それ自体は、
私は嫌いではないし、大切にしたいし、
可能ならば、世界に伝われ、とさえ思います。
実際、日本に住んで、
日本語を話していると(これが重要)、
つい謝ってしまうようになる、
という外国人は多いんだそうです。
現状この、
簡単に謝るものじゃない、
という人付き合いの作法は世界標準です。
その世界標準の土俵で戦うには、
日本語を通訳・翻訳して、というのでは追っつきません。
日本語で考えてる限り、
まず折り合いをつけよう、
という日本基準が抜けません。
始めから英語で、
とにかく、相手をやっつけるんだ、
という発想で出発しないとダメなんです。
ダメなんですが、
でも、
実は私、近頃思うんです。
世界標準に合わせて戦うのって、
ホントに正しいの?
むしろ、
日本基準の方へ相手を引き入れるようにしたらどうなの?
例えば、
何を言っても変わらない相手なら、
もう放っておいて(穏やかに微笑んでおいて)、
比較的話の分かる相手にキチンと説明していくんです。
未だ「慰安婦像」をアチコチに建てるぞと息巻いてる人々や、
その仲間たち(困ったことに、国連にもその手合がいっぱい居る)は、
この際、もう、しょうがないですよ。
彼らに対してああじゃこうじゃ言うよりも、
20万人強制連行? 性奴隷?
貴方、まだそんな話信じてるの?
ってな感じで、
慰安婦像なるもの、
実は歴史捏造のモニュメントなんですよ、
と、彼ら以外の人々に知らしめて行くほうが、
よほど健康的でしょ。
彼らの言うことすることに、
一々腹を立てるから向こうもいい気になるんです。
「ああ、またやってるね」
くらいに、冷ややかに反応するか、
あるいは無視するか、
そうして、
第三者に向けて、
「オカシナ人達ですね」
と、そんなんでどうでしょうか。
いつ何があるかわからない将来に備えようというのが歴史の教訓だろう。相手に要求してもはじまらない
(キャメロン英首相)
「われわれは植民地主義という残虐で不公正な制度の下で暴力、不当行為、虐殺、拷問などの忌まわしい事件を引き起こし、多くの苦痛をもたらした記憶を尊重する義務がある」
(オランド仏大統領)
3年前の記事です。
(産経新聞2013-3/17大阪6版)
(産経ニュース:【緯度経度】千年経てば… 韓国、執拗な要求は未完の対日独立戦争の代わり
→http://www.sankei.com/world/news/130316/wor1303160021-n1.html)
引用文一つ目は、イギリスのキャメロン首相、
2つ目は、フランスのオランド大統領です。
どちらも歴史に関する談話、演説ですが、
決して謝罪はしてませんね。
実は、過去と真摯に向きあえばこそ、
自分自身が(!)したわけでもないことに対して、
安易に謝れないはずなんです。
でも、日本国の政府首脳は謝っちゃうんですねえ。
しかも、それで先方が赦してくれるかというと、
「加害者と被害者という歴史的立場は千年の歴史が流れても変わることはできない」
んだそうで、笑うしかありません。
穏やかな人間関係を維持するため、
まず自分が謝っておくという日本人の美徳それ自体は、
私は嫌いではないし、大切にしたいし、
可能ならば、世界に伝われ、とさえ思います。
実際、日本に住んで、
日本語を話していると(これが重要)、
つい謝ってしまうようになる、
という外国人は多いんだそうです。
現状この、
簡単に謝るものじゃない、
という人付き合いの作法は世界標準です。
その世界標準の土俵で戦うには、
日本語を通訳・翻訳して、というのでは追っつきません。
日本語で考えてる限り、
まず折り合いをつけよう、
という日本基準が抜けません。
始めから英語で、
とにかく、相手をやっつけるんだ、
という発想で出発しないとダメなんです。
ダメなんですが、
でも、
実は私、近頃思うんです。
世界標準に合わせて戦うのって、
ホントに正しいの?
むしろ、
日本基準の方へ相手を引き入れるようにしたらどうなの?
例えば、
何を言っても変わらない相手なら、
もう放っておいて(穏やかに微笑んでおいて)、
比較的話の分かる相手にキチンと説明していくんです。
未だ「慰安婦像」をアチコチに建てるぞと息巻いてる人々や、
その仲間たち(困ったことに、国連にもその手合がいっぱい居る)は、
この際、もう、しょうがないですよ。
彼らに対してああじゃこうじゃ言うよりも、
20万人強制連行? 性奴隷?
貴方、まだそんな話信じてるの?
ってな感じで、
慰安婦像なるもの、
実は歴史捏造のモニュメントなんですよ、
と、彼ら以外の人々に知らしめて行くほうが、
よほど健康的でしょ。
彼らの言うことすることに、
一々腹を立てるから向こうもいい気になるんです。
「ああ、またやってるね」
くらいに、冷ややかに反応するか、
あるいは無視するか、
そうして、
第三者に向けて、
「オカシナ人達ですね」
と、そんなんでどうでしょうか。
いつ何があるかわからない将来に備えようというのが歴史の教訓だろう。相手に要求してもはじまらない
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