『救出 日本・トルコ 友情のドラマ』アリス館(2003)
〈明治23年、紀伊半島沖でトルコの船が難破。人々の懸命の努力で69人が救出された。95年後、今度はトルコ人による恩返しが…。〉
『救出 日本・トルコ 友情のドラマ』という本です。
→http://www.alicekan.com/books/978-4-7520-0254-3.html
「第50回青少年読書感想文全国コンクール☆課題図書☆」
なんてシールが貼ってありますが、
何で買ったのか、今ひとつ、記憶が定かではりません。
明治23(1890)年、
トルコの軍艦、エルトゥールル号遭難については、
他の歴史か何かの本で知ってたような知らなかったような、
でもって、95年後(1985年)、
テヘランからの邦人脱出の方は、
当時19歳のワタクシ、リアルで知ってるような後付の記憶のような、
「なぜ来ぬ日航機 テヘラン、怒りの邦人 トルコ機でやっと脱出」
「イランの邦人 緊急脱出 260人余“最終便”で」
という当時の新聞見出しなんか見ると、
うーん、やっぱりリアルだった気もする、
・・・といったところです。
本には、
「日本人は外国の航空会社の便からしめだされ、事態はますますきびしくなっていくばかり。こどもたちまでが戦火の危険にさらされつつあるのに、どうなってもよいというのか。国民の生命と安全をまもらずして、外務省といえるのか。日航と交渉して、救出機の派遣を急いでくれ」
という当時の駐イラン・日本大使の言葉や、
「トルコと日本は、エルトゥールル号のときから、友好のきずなでむすばれていました。わたしたちは、あのとき、日本の人たちからうけたまごころを、みんながむねにきざんでいます。トルコの子どもたちは、そのことを、学校でおしえられています」
という駐イラン・トルコ大使の言葉がありました。
そんなわけで『海難1890』については、
すぐさま「あの話」が映画になるのか、
と思った次第です。
そして過日、
我ながら今更ながら、
(DVDレンタルで)鑑賞いたしました。
映画『海難1890』特別映像
東映:日本・トルコ合作映画『海難1890』
→http://www.toei.co.jp/movie/details/1204606_951.html
良い感じでした。
ま、もともと素材が良いので、
それを悪くするのも難しいのではありますが、
欲を言えば、
トルコが日本人救出に動いてくれた、何故?
理由はカクカクシカジカです、そうか、そんな物語があったのか。
というふうに、
時代を遡るか、行き来するツクリにしてくれてたら、
もっと入り込めたかな。
で、ちょっとだけ批判。
明治日本人の“真心”については、
素直に感動するのだけれど、
日本大使の「人々の真心が国を動かす」というセリフ、
ソレを“締め”とするには、やや雑だなと思いました。
「(かつての日本の)人々の真心が(今のトルコという)国を動かす」
と言うべきところですよね。日本国でなく!
実際のところは、
映画で描かれているトルコ航空のパイロット達と同じく、
日本航空にだって「自分が行きます」と手を挙げた人はいたようです。
しかし残念ながら、
責任取りたくない「上」の連中、すなわち、日航の組合やら、外務省やら、
そして最終的には日本国内閣総理大臣やらが動かなかったわけですから。
(当時の総理は中曽根さんです。参考までに)
念のため付け加えると、
法的にも技術的にも、
当時の自衛隊がイランに直接赴くことは不可能でした。
法律も装備も変わった今、
同じ状況なら自衛隊による邦人救出は可能になってます。
しかし、それでも、
そういうことが必要となる現実に対して、
私たち日本人は一致した見解を持てるでしょうか。
「どうして日本が日本人を助けられないんですか?」
32年前のこの問に、
今、答えなければならないのは、たぶん政府とかじゃありません。
昨今の北朝鮮関連のニュースとそれへの反応を見るにつけ思います。
「どうして日本には日本人を守ろうとしない日本人がいるんですか?」
・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・
本州最南端串本町、
一度行きたいと考えております。
串本町観光協会/南紀串本観光ガイド:トルコ記念館とエルトゥール号
→http://www.kankou-kushimoto.jp/miryoku/torukokinenkan.html
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